2023/3/1(水)
無事に元気に82歳を迎えられました。
皆さまの支えがあってのことです。
心からお礼申し上げます。
歳だけはとりましたが、まだまだ知らないこと出来ないことが多く、老若男女の多くの方にお世話になっている。
あと何年元気に楽しく生かせていただけるのか分からないだけに、一日一日を大切にして、これからも未知の世界にゆっくりとチャレンジしていきたいと思っています。
さて、昨日(2/28)のブログに書き切れないことがあったので掲載します。
ホテル(京乃宿 清水五条呉竹荘)のご近所にある日本の歴史上、重要な場所になっていたところです。
六波羅蜜寺
参拝したのは、昨日(2/28)の午前中。
※ 本寺のパンフの表紙
六波羅蜜寺は空也(くうや)上人の創建(平安時代中期)になる。
だからこの寺では、教科書などに載っているあの有名な「空也上人立像」にお目にかかれる。
もちろん撮影禁止なので、写真はネットとパンフから借用しました。
この上の写真の文(ひとたびも 南無阿弥陀仏と いふ人の はちすの上に のぼらぬはなし)は、ひたすら南無阿弥陀仏と念仏すれば往生する、という意味の歌で、「拾遺和歌集」に残されている。 ※「はちす」とは蓮
そして、この口から出ている六体の阿弥陀仏は「南」「無」「阿」「弥」「陀」「仏」の六文字を現しそれほど一心に常に説いておられた、と言われている。
その他、ここには平安・鎌倉時代の木像の名宝が多く安置されている。
国宝:十一面観音菩薩立像(平安)
この像は秘仏でネットにもパンフにも本物の映像なし
でも、模造の銅像が本堂前に
重文:地蔵菩薩立像(平安)
重文:地蔵菩薩座像(鎌倉)
仏像ではないが
重文:平清盛座像(鎌倉)
など、国宝1.重文14の木像が令和館(宝物館)に所狭しと置かれていた。
そして、大型モニターが令和館に入ったところにあって、この4K映像が素晴らしくしばらく見とれていた。
ここ六波羅蜜寺を中心とした六波羅(六原)地域は歴史上の重要な場所であった。
平氏も源氏もこの地を京における重要拠点にしていた。
平氏から源氏に政権は変わっても六波羅の地は重要拠点になっていた。
六波羅蜜寺を取り囲むように平家の拠点として平家一門の武家屋敷があり、鎌倉幕府は京都における政治拠点としてここに「六波羅探題」を設けた。
現在の六波羅蜜寺の外観は以下のようになっている。
※ 本堂
※ 阿古屋塚
※ 清盛公乃塚
※ 令和館へ
※ 令和館へ
※ 弁天社
今日もきれいな夕焼け空になった。
西山に浄土(天国)への路(みち)のような雲が・・・
明日が、皆さまにとって素晴らしい日でありますように!
感謝! 感謝!