2019/7/5
姉を偲ぶ
姉の検死結果は7月1日に出た。
事件性なし。
解剖までは不要と当方の意向を示していたので病名は「不詳の病死」となった。
また書類の名前が「死亡診断書」ではなく、「死体検案書」になっていた。
いわゆる孤独死。
死亡日時は推定。
ご近所の方に寄れば、その推定日は、午後に歌の練習に行き、いつもと変わらずの元気な様子だった由。
そして家の中も、夕食後の食器等の片付けはきれいになっていた。
一日の終わりに入浴し、ほっとした瞬間の出来事であったようで、浴水は胃にはほとんど入ってなかったとの警察の説明もあった。
ということから、亡くなった姉自身は何ら苦しむことなく毎日の楽しい思いを持ったまま、あの世(浄土・天国)へ逝ったと私は考えている。[余談]残された方は大変だが・・・
子供はいなく、義兄(姉の夫)は13年前に逝去。
義兄の実家(A家)は石川県で義兄の弟さんが継がれており、A家とも相談の上、私が喪主として取り仕切っていくことになった。
こういう場合、妻がいてくれたら非常に心強かったのだが・・・
お寺さん、葬儀屋さん、と日程調整の上、2日通夜、3日葬儀・告別式と決め、家族葬ではなく仏式の一般葬とした。
元気なおばあさんで交流も多く、お蔭様で、親戚を含め、両日で延べ120名ほどの方々から弔慰参列をいただいた。
亡き姉の妹K(私からはK姉)は、今年1月に東京で心臓の大手術をしており心配であったが義兄(K姉の夫)に連れられ両日に亘って妹としての大役も無事に務めてくれた。
なんと、遺影にしたのは、その1月にK姉の見舞いに行った時に撮った写真なのだ!
(2019/1/22の拙ブログにタイトル「お見舞い」で記載)
わからなものだ!
通夜の前日の深夜に、にわか仕上げで、姉を偲ぶスライドショーを編集したが、映像が流れ出してご近所の方々から感嘆のようなざわめきが起きたときには、自分でも感涙を止められなかった。
感情がたかぶった直後の喪主の挨拶。
時に声にならず、治まりを待っての途切れがちな挨拶にはなったが、結婚までのM家での存在感、結婚後の周りの方々との交流振りなどを紹介し、88年間の皆様からのお世話にお礼を申し上げた。
そのようなことで、無事にそれなりの葬儀を亡き姉に捧げることができたことに親戚の皆様をはじめ故人の友人やご近所の皆様のお蔭であると感謝の気持ちが一杯である。
少しパソコンを開けるだけの心と時間の余裕が出てきたので、ブログを再開。
それにしても、姉のこの現実は、一人暮らしの私も本当に他人事ではない!
3日は斎場から葬儀のホールに戻り、初七日の法要を済ませて、会席膳をいただいたが、親戚の方々への気遣いや疲れもあり、改めて昨夜は、私を支えてくれた息子達と久し振りに醍醐のビストロオブリンでディナースペシャル懐石を十分にいただいた。
この店は、亡き妻のお気に入りで、妻の一周忌の御膳にも利用させていただいた。
昨夜は丁度二男が撮影してくれていたので、一部を以下にアップする。
大変美味しくいただいた。