メイドさんが欲しい! | うじのブログ

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うだうだだらだら、鬱患者の日常。そしてホームページ、アフィリエイトの話もちらほら。気が向いたら見てやって下さい。

もちろんそんな財力も何もあったもんじゃ無いんですが、昔の貴族(?)が使用人を抱えていた気持ちが少し分かったという話。

調べると正確にはメイドさんと言うより執事が職能的にしっかりしているので、欲しいのは執事と言う事になるのだけれど、タイトルにはやっぱりメイドさんと書いた方がウケるかなと(笑)。

閑話休題。

ぼんやりと「使用人にかしずかれるのは幸せかも」と思ったのは全然使用人とは関係無いアシックスウォーキングで靴をセミカスタムで購入したときのこと。

靴の試着で靴紐を適正に結んでもらった時に「これは何だか幸せだぞ」と思ったのでした。

運動するときにシューズの紐を自分でギュッとやって気合いを入れるのもなかなか良い感じなのではありますが、普段の生活で出かけるときに毎日自然に靴を最適に調整してもらえるのはかなり幸せな体験だろうと。

と、ここまではぼんやりした感想。いや、最終的にもぼんやりした夢でしか無いんですが。

ケアマネさんがバタバタと動いてくれて、母の退院が迫ってきた。で、ほったらかしだった母のベッドまわりの片付けをヘルパーさん二人連れてきてやってくれた。

だがこれでは無い。ヘルパーさんには申し訳ないが、ヘルパーさんの活躍ぶりを見て、「ああ、他人にやってもらえるのは幸せなんだ」とまでは思えなかった。むしろ逆だったのだ。

ヘルパーさんは多分、普通の主婦であって、そこらのおばちゃんが生活費の足しにお仕事をしている。そしてその仕事の中心は介護関係で、諸々の家事手伝いは「要介護者のお手伝い」レベルなのだと思う。

で、どうなるか、と言うかどうなったかと言うと、ベッドまわりの片付けをしてくれたのは良いけれど、何をどこにどう片付ければ使い勝手が良いか、などよりも目先の作業性が優先(時間無いに片付ける方が重要なのだ、多分)なので、見た目には片付いたが実際に母が生活するにはまた一通りひっくり返さないとならないと思う。

シーツなどの洗濯もしてくれたが、洗濯して干したは良いけれど、乾くまで時間があるわけも無く、干しっぱなしで帰って行った。翌日は雨だったので私が濡れる前に慌てて取り込んだが、洗濯したものをどう片付けるつもりだったかの引き継ぎとか無かったので、母のベッドの上にまとめて放り出してある。

キッチンで使っていたスポンジをトイレ用に回して良いかと聞かれて、抵抗を感じながら押し切られて、使い捨てられるのかと思ったらトイレの手洗いの所に置いていった。今後も使おうということなんだろうが、見る度に「キッチン用だったのに…」とゲンナリしている。

これれは以前からだけれど、ガスストーブが台所に置いてあるのだが、掃除の時に邪魔になるからだろう、移動させられる。そして掃除が終わっても元の位置には戻らない。

流しに放置(と言っても毎日使う前に洗っているのだが)してあった洗い物を洗っていってくれたが、水切りの所に伏せて並べてあったので、裏側に水がたまっていた。

そんなこんなで、もやもやとストレスが溜まり、専門職が居てくれたら幸せなんだろうなあ、と思った次第。

それぞれの仕事に哲学があって欲しい。重要なのは「なぜ」であり「何の目的で」そうなっていて、そうするかが明確で合理的であること。

そういう仕事をしてくれる使用人が居てくれればさぞかし幸せなことであろう、と思う今日この頃なのである。

決して性的な奉仕を求めているわけでは無いのである(笑)。Wikipediaで見てるとメイドさんと言って昨今ぽわんと頭に浮かぶイメージはアダルトゲームがかなり影響を与えているらしいが。

いやまて、全く性的な奉仕を拒絶するかと言うとそれはそれでえとあのその、なんでもないです、ごめんなさいw