強い閉塞感 | うじのブログ

うじのブログ

うだうだだらだら、鬱患者の日常。そしてホームページ、アフィリエイトの話もちらほら。気が向いたら見てやって下さい。

公私共に。って公的には死に体なんだけれど。
まず「公」。
アベノミクス(この言葉嫌いだけれどw)がマスコミのネガティブキャンペーンに押されつつあり、節約志向が止まらず内需が伸びず成長が見通せない。公的年金に生かしてもらっている私には社会的にじわじわと殺される不安を感じる。
そこは措くとして、司法が国を滅ぼす能力を示し始めてきた。高浜原発稼働差し止めの話。
司法が神の如き無謬性を持っていれば良いのだが、残念ながらそうではないのは自明。
で、今回の原発についてであるが、これが原発の問題だけに限定される話ならば(個人的には原発に一定以上の信頼を持っているので十分問題なのだがそれは別の話として)問題無いのだが、こういう事例が発生していることが問題。
すなわち「わしらには安全性の評価がよくわからんから完全に納得できるまで○○は止めろ」という理屈で「とりあえず止める」ことが出来てしまうことがはっきりしたこと。
今まで幸いにして十分に低い可能性のおかげで新幹線は事故を起こしていないが、新幹線が高速通過中に直下の断層が動いたら大惨事になる。これを以て「納得できない」声が高まったら新幹線の運転差し止めが出来る。
爆発性を持つ気体を近隣に対する十分な殺傷力を持たせるだけ蓄積可能な都市ガスの配管は安全線を担保できないので差し止め。
重大な事故を発生する恐れがある一定密度や速度以上の道路交通は差し止め。
発生する温室効果ガスの影響に対する将来への安全性が担保されない化石燃料使用の差し止め。
etc.etc.
こういうことが「ちょっと不安の強い人の訴え」と「ちょっと頭のおかしい裁判官グループ」が組み合わさることで出来てしまう。
そういう判断が出ること自体は上級審で修正されれば良いというのが現在の考え方であるが、今回の事例で「修正されるまで差し止めが必要となる」と言うことが露呈した。
差し止められている間の経済的損失については民事訴訟によってしか回復できないだろうし、訴訟を司るのは司法だから、司法関係者がその責任を負うことは極めて明白な瑕疵が無い限りは無いだろう。
つまり司法の「言ったものがち」。
これに対し、裁判官の罷免について市民が何が出来るか。事実上何も出来ない。
「この人の判断おかしいんじゃないか」と訴えることは出来るが、それを判断するのは司法の「内輪の判断」で非公開。最高裁判所は国民が物を言う制度はあるけれど。
と言うわけで、高浜原発差し止めについて、原発推進派としてだけでなく、「誰にでも間違いはある」派として「即時発効」制度に恐怖を覚えたのでした。
次に「私」。
ここまで長文書いたら、もうどうでもいい気分になっているけれどw
母が入院している。私の希望としては(母が他人に頼るのを嫌う傾向があることもあって)母が自分で日常生活に不自由せず、またその状態を持続できる所まで回復してから退院して欲しいと思っている。
で、本人の意欲次第でそれは出来ると思っていて、一定程度回復してから退院してもらいたいと思っている。
しかし、本人は長い入院生活で退屈し始めていて、退屈と言いつつその退屈な時間を自主的なリハビリであるとか知的活動であるとかに振り向けず「寝るより楽なことは無し」みたいなことを言ってのんびりしている。
齢85で障害者手帳持ちでもあれば、先に希望を持つのは大変なことではあろうとも思うし、どうせ寝たきりなら自宅でと思ったりもするのだろうけれど、自宅に戻れば私との二人生活で、自慢じゃないが精神障害者のお墨付きをもらっていると言う甘えを持つ私一人では到底面倒を見られない自信がある。
ある程度自分のことは自分でしてもらって、介護制度も利用してもらって充実した方向に行ってもらえるのであれば自宅の方が良かろうとも思うが、正月に外泊届けだして自宅に戻ったときでも自分でベッドから起き上がれず助けを求めたのが複数回(正月で兄も居たので私は手伝っていない)。
そうでなくても、私がごろりと横になって無気力にパソコンとかスマホとかぽちぽちいじっているのをぼほんやりベッドから眺めるのは多分精神衛生上良くないと思う。
とにかく意欲を持ってもらうのが第一だと思っているのだけれど、それが感じられない。
初期、あるいは一定程度の認知症の疑いが濃いのも不安の一つ。今入院している所には精神神経科の類は無かったと思うが、適切な対応とか投薬とかお願いできるのだろうか。
退院しても認知症の専門医とか近所にあるかどうかわからない。かかりつけ医で診てもらえるはずだけれど、あの医者信用できないと思っている(笑)。
で、「私」の私である。
ぼんやり過ごす時間は相変わらず多い、部屋は散らかす一方だ、金銭の管理能力に不安を感じる、出かけようにも一々足が痛む、足の痛みの原因は相変わらず不明瞭、物忘れや言葉が出て来ないなどもある、ごく初期の認知症なのだろうか、色々な不安にイライラする、あるいは目を背けて毛布をかぶって居眠りして逃避する。
死にたいとは思わないのが救いなのか救われないのか分からなくなる。ともかく、「死」に対して合理的かつ漠然とした認識があるのでそこは多分ご心配なく(笑)。
とまぁ、あっちもこっちも閉塞感に包まれております。
で、配達会社に6時14分に引き渡された私宛の荷物はいつ届くんだ。配達は「当社専用便」となっていて配達会社に引き渡しというのもわかりにくい。
まずは荷物が届いたら設置の問題解決が喫緊の課題ではある。おお、明確な目標があるのは何と素晴らしいことなのだろう。
…とか朝から今までかけてこんなこと書いてて良いのだろうかw