ネコとヒトはどちらが偉いか | うじのブログ

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まぁ、結論的にはどっちもどっち、みたいな感じだと思うのですが。
人類が主役を気取っている時代が機械に取って代わられて、機械さんの庇護によってのんべんだらりと生活できるようになるのはほぼ既定の路線と言って良いのでは無かろうかと思っている。
当初は機械の使命は人の社会を安定的に快適にと言う事になるだろうけれど、機械が自律的に世界のあるべき姿を模索するようになればどうなるか。
人類が与えたミッションが薄れて行くに従って、ヒトと他の生物を区別する意義は薄くなっていくだろう。
地球レベルの保存を機械が志向し始めたときに、人類社会はどう評価されるのだろうか。
機械がお世話してくれる時代になれば今までのような社会ではなくなっているだろうが、歴史的に見れば地球がせっせと蓄えてきたものを猛烈に浪費してきたのが人類社会。
その流れで行くと、機械さんに世話してもらう世の中になったとしてもヒトの維持コストはネコの維持コストよりも圧倒的に大きいだろう。
機械さんとしてはヒトとネコのどっちを優先するだろうか。
人類社会を拡大させるも縮小させるも機械さんの匙加減一つになっている世界だとすると、人類文化を人類が納得できる程度に維持させつつも、縮小させる方が全体として良いのではなかろうか。まぁ、何にとっての「良い」なのかがさっぱり予想できないけれど。
というわけで、せっせとネコ様の世話をして喜んでいるヒトの端くれとして、ヒトとネコどちらが優先されるべき何だろうかと思っている次第。
そもそも人類の文化を機械が保全する社会において、戦争とか武器の開発とかの「悪い事」は人類文化の側面として保存されるのだろうか。
化学的なヒトの性質が十分に解明されていれば、ヒトに争わせるのは簡単だと思っている。
脳内麻薬みたいな感じで快楽中枢を攻撃成功に与えてやれば喜んで戦争をする人の出来上がり。
まぁ、そんな世界より先に機械による自動攻撃が来そうなのは個人的には幸いだと思っているが。
そもそも戦いのない世界を先に実現して欲しいけれどエネルギーと水と人口と教育の問題はもうちびっとだけ時間がかかりそう。
というわけで、ヒトとネコ(に限らないけれど)の幸せな共存の世界を願ってやまないのである。
お犬様もご一緒したいなぁ。経済的にペット二頭とか厳しそうなのと散歩してやれる自信がまるで無いのでお猫様との共存を現在は選んでいるわけですが。