昨日のお勉強を引きずって、あちこち飛び火。色々と錆びついていていて、tanθ=(sinθ)/(cosθ)すら微妙に自信が無くなって確認してみたりする有様。
三角関数の微分関係のところで例によってふらふらとネットをさ迷っていると公式集と併せて問題集があったりして、あるサイトでは問題→解答の選択肢の順にクリックしていって正解ならば問題が消えて、間違えると全部復活というような作りになっていて、工夫が楽しい。
そこで思いついたのが、問題→解答の過程を考えさせる手法というのも、今の技術ならば独習させることができるのではないかということ。
何か問題があるときに、解答に向かうための筋道というものがある。
いい例えが思いつかないが、力ずくで解く場面か、テクニックか。後者ならどういう手法で解けそうか。近似なのか置換なのか既知の公式なのか。
そういう判断を繰り返して解答にたどり着く、あるいはその手法が無理筋だと判断して元に戻る。
十分な時間と付きっきりの先生がいないと(少なくとも我々の時代には)出来なかったのが、今なら出来そうな気がする。
試験問題でそういうのが出来るかもしれない。階層の深い選択式問題。
そんなことを思った。
ついでに思い出した教育関係。
一つは前に書いた気がするけれど選択問題に「自分には解答できない」を追加。間違った解答を選ぶよりわからない意思表示をした方がペナルティを少なくする。
もう一つは先日ぼーっとしてて思いついた国語の宿題。
「何でもいいから本を一定時間読む」
この際マンガでも良い。但し、特定のテーマ(物語ならばキャラクターなど)について注目しながら読む。
宿題への回答は「何を読んだ」「何に注目したか」「どう感じたか」の三点で最小限の時間で書ける範囲。無作為抽出で突っ込んだ議論をするとしておいてもいい。
以上、何にしてももっと本質に向かう部分を重視する工夫が必要なのではないかと思った次第。
現場のこととか全然知らないので、とんちんかんな事書いているかもしれないけれど。
別次元の話も詰め込んでおくと、高齢化社会というのは逆に言うと若い世代にリソースを突っ込みやすい社会とも言えるのではないか。
手厚い教育によって、競争力ある世代を作って、我々の老後を軽々と面倒を見られるようになってもらいたいものだ(笑)。
#まぁ、個人的には社会から脱落中の身なので見捨ててもらっても良いのだがw