諦めたらダメだ | うじのブログ

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というわけで、世間の流れに逆らって言おう。


「原発再稼働&新設を」


現住地が至便の土地なので動きたくないが、原発が隣に引っ越してきても一向に気にしないから。


ダメかなぁ。


とりあえず、CO2削減を優先すべきだと思うのは私だけではないと思う。


でなければ、そもそも今まで原発作ってきた意味無いようなものだし。


原発の廃棄物は確かに長期にわたって扱いに困るものではあるし、大事故が起こったら汚染範囲も広い。


けれど、最悪レベルの福島事故でも、現状ですでにある程度は被害のコントロールは出来ているように見える。


あちこち問題は残っているし、直接被害に遭っている人には計り知れない精神的負担がある(但し、これの多くはマスコミや反原発団体によって作られたものだと思っている)だろうけれど。


一方のCO2の問題。「今までも何とかなっているから」と放置していていい話なのか?


現実に気象変動が起こりつつあるように見えるし、温暖化により国土に被害を受けている「将に今」の問題となっている国もあると聞く。


原発の廃棄物の問題は保管期間が長いだけに何らかの対処方法が出てくる可能性もある。安全に宇宙に投棄することだってできるようになるかもしれない。安全に保管する方法が大切なだけで、時間はたっぷりあるのだ。


それに比べるとCO2の問題は切実。数百年とかの比較的短いスパンで効果が現れてしまうし、その間に温暖化かガスを無効化する技術革新があるとは思えない。時間が無いだけに、宇宙に安全に投棄するような進歩が望めるとは思えない。


本当に子孫のため、人類のためを思うのならばどちらがベターであるかは、個人的には明確。


人類のために他の生物なんて知ったことかと、環境アセスメントすっ飛ばして水力地熱などの現在使えそうなエネルギー源を最大限活用するのでもいいかもしれない。


税金をジャブジャブ投入して、現在の比較的効率の悪い太陽電池パネルをばらまくのもアリかもしれない。


税と社会保障の一体改革は待ったなしの課題と言うが、エネルギーも待ったなしの課題であると思う。


増税を渋って社会保障がぐだぐだになって国民が健全な生活が出来ない人ばかりになってしまっては本末転倒なように、目の前のわずかな放射性物質を恐れて人類の文明が大幅に後退してしまっては本末転倒。


誰か何とかしてくれよぅ。


…と叫ぶのが精一杯の私のできる事なのでした。


政治家も国家百年の計を見据えつつ、人類一万年の計を想像して動いてもらいたい。


何も書かなければストレスがたまるというマイナスの効果しかないので、拙いながらも思うことを書いてみたのでした。


ぶっちゃけて言えば、私が死ぬまでの間裕福に暮らせればそれはそれで構わないのだけれど、一方では人類が宇宙規模で滅びの時を迎えるまで存続してもらうためならば我慢すべきはしてもいい、自分が犠牲になってもいい、というぐらいの気概はあるのだよ。


さあ、人類よ、選がよいっ(←偉そうw)