2024年も半分が終わろうとしている。2月に『今年やりたいことリスト』をつくって仕事部屋に貼っているが、12項目のうち2項目をクリアしている。残り10項目をやり遂げることは不可能かもしれない。頑張ればやれそうなことしかないのに、勝手に「やれない」と判断している意気地なしの自身が情けない。

 

やり遂げるために、なぜ出来ないのかをじっくりと検討してみたい。目標をクリア出来ないことよりも、なぜ挫折しそうなのかを考える方が有意義だ。また仕事へと没入してしまえば、あっという間に12月になっているから。「今年もやりたかったことが出来なかった」なんて言葉を毎年の馴染みにしたくなかった。

 

最もクリアに遠そうなのは『ヨーロッパ周遊旅行』だ。オフシーズンの10月~11月に行きたいと考えていたが、旅費や行きたい場所すら考えていない。広大なヨーロッパに想いを馳せるのは楽しいが、いざ具体的な目的地を思い浮かべると霧がかかったように不鮮明になる。

 

なぜ行きたいか?という動機自体が不鮮明だ。ビエンナーレやトリエンナーレに行きたいとか、パリコレを見てみたいとか、そういうリミテッドなイベントがあると考えやすいのかもしれない。ヨーロッパの田舎道をゴトゴト荷馬車に乗って~…、と赤毛のアンの戯言では心のマリアは顔をしかめ始める。

 

それから「せっかくヨーロッパに行くのだから1つの国ではもったいない」という貧乏根性がこの目標を大きく阻害していた。「これが見たいんだ!」と決めたら、最短期日でスケジュールを組んでさっと行って帰宅する。無駄にマルチタスクを組むから物事は複雑になるのだ。

 

何が見たいんだ。

 

内なるアンに尋ねると、また夢見がちな返答をした。「だから素敵な小径や香りをかぎたいじゃない?あれが見たいって行動原理から逃れたいのよ、私は!」そうかそうか、なんて笑って受け止めるのは考えの至らないマシューだけ。君が他者と上手くいかないのは現実を直視しないから。子どもに逃げる大人は周囲の観察が出来ていない。

 

「そういう非合理な行動で無駄な買い物をしてしまうことを行動経済学というんだ」と言えば、アンは「だから何も成し遂げていないんでしょ?」と核心を突く。行ってしまえ、フィールを感じろ、全くバカと天才は紙一重。いつからバカをしなくなったのだろう。

 

15歳の頃、好きな男に会うために新幹線にとび乗った。留学期間が終わったのに帰りたくないからアラスカまで逃げた。黄色いロープがかけられている鍾乳洞にも入ったし、富士の樹海の遊歩道からわざと外れてみたりした。全部1人でやったことだ。

 

いっぱい叱られたし、

いっぱい褒められた。

 

そういうことが出来ない人間になった訳でも無いのに、いつの間にか「出来たらいいな」と思っている。こんなリストまで作って。作っている時間でやればいいのに、やりたいことはたくさんあるのに。やらないでいるこの存在はまた「今年も何も出来なかった」のため息の方をクリアにしている。

 

アンが聞いた。

 

「何が見たいの?」

 

『今年やりたいことリスト』を見上げながら、この存在は心のままに言葉にしてみた。「ローマのシスティーナ礼拝堂が見たい」「プラハのカレル橋が見たい」「ロンドンの大英博物館が見たい」「アムステルダムのアンネの隠れ家が見たい」「パリのヴェルサイユ宮殿が見たい」「ベルリンのバウハウスが見たい」「ドナウ川を渡りたい」

 

口にしてみたら全部出来ることだった。不鮮明なものがクリアに目の前に現れて、アンは「地図に線を引いてみましょう!」と笑ってペンを握る。慌てて「仕事が…」とアンの手を止めようとしたが、彼女は「ほっとけ!」とぶっとい線で国をつなげてしまった。

 

「あなたの地図ね!」

 

押し付けられた地図は達成までの大きな1歩。まだ躊躇しているこの存在にアンが胸を張って言う。「私とあなた。2人ならどこへでも行けると思わない?」

 

10月のオフシーズンに向けて、この存在を縛り付ける利用者たちに何と言おうかと頭を抱えている。その隣で腕を引っ張り続けるアンに、人生の一部を託した。「フィールを感じろ!」彼女の力強い声に励まされて、決心に血が巡る。