「そろそろデートをしませんか?」と誘いがあったのは先週のことだった。既婚者の癖に不用心なメッセージを残すその人が、いやにその人らしくて、呆れると同時に笑ってしまう。いたずらっぽくキーボードを叩く様子が思い浮かんでしまって「縄文土器が見たいと思っていたところです」と返信をした。

 

この不用心な知人は非常勤講師仲間で、好きなことしか目に入らない危険人物。すぐに物を失くし、いつも寝ぐせがついていて、カップを倒しては書類を汚す常習犯だった。いつもキラキラした目をしており、自分の専門を話し出すと止まらない。考古学に恋心を弄ばれ続ける、可愛い古代日本の郵便屋さん。

 

初めて会ったときは学生かと思った。話し方や身振り手振りが全く大人らしくない。「なんだコイツは」と思いながらもキラキラした目に引きずり込まれてしまった。研究者とは案外、人たらしが多いのかもしれない。

 

「どうして土器の本を読んでいるんですか?誰の研究本ですか?僕、それ読んだことありますか?」

 

最初に声をかけて来たのは彼の方からだった。図書館で借りた本を広げていると、スタスタと真っ直ぐに寄って来て3つ質問をする。後に「大学の構内だったから油断しました」と恥ずかしそうにしていたが、それだっておかしいと思わないことが謎。

 

「興味があるから。これは大島直行の本。君が読んだかどうかは知らない」

 

うろたえながら返事をすると、彼は残念そうな表情で「土器ってつまらないですよね?」と言う。いきなり絡まれてギョっとしている相手に、土器がつまらないかどうかを気にするのはもう狂気の沙汰。この存在が抑えている火炎土器のページを指さして「そういう派手なものは少ないですから」としょんぼりしている。

 

「どこの学部生?」

「教科は哲学です」

 

「哲学部なんて学部は無いよ」とは言わなかったが、おしゃべりをしたそうだったので隣の席をすすめた。学生と一対一で交流することも無かったから、何か話したいことがあるなら聞いてあげようという気分だった。どうせ、こんな変な奴は主張も変だろう。

 

「土器に興味があるんじゃなくて、岡本太郎を研究していたらミルチャ・エリアーデに辿り着いた。大島直行は資料として読んでる。君は土器が好きなの?」

 

キラキラの目がビッカリと光を放って、アニミズム論やグレートマザー元型普遍的無意識についていくらでも語り始める。「やべぇ」と危機感を募らせていると、ついには現代の『美』の軽薄さを「所詮はシンボリックの奴隷」と批判を繰り出す始末。彼のこじらせた縄文人目線の持論はなかなか面白い。

 

「ふーん。デザインが嫌いなんだね」

「デザインが嫌いなんじゃなくて、古代の出土品を『美』の観点で論じる風潮が嫌いなんです。だって『美』は社会的なものでしょう?縄文時代に社会的な観念は無いじゃないですか」

 

彼の主張はエドマング・バーグの考察に系統されるように感じた。『利己的情念』と『社会的情念』によって区別されるバーグの指摘は『美』とは経済的な価値として作り出されたもので、人間の根源的な心象ではないと論じられている。

 

それで言えば、古代の出土品は全て『利己的情念』を用いるべきであり『社会的な美』というよりは『個人的な崇高』さを目指していたと考えた方がいい。しかし、古代人だってシンボリック表現にひたすらこだわっている。目指すところは違えど、現代デザインもレトリックが無いわけでは無い。むしろ、悩ましいくらいにその呪術性が必要なのだ。

 

「現代デザインの意識の中にもアニミズムはあるよ。シンボリックを追及していると輪郭の内側に意味を込めずにはいられなくなる。デザイナーは宗教論者でもあり、哲学者でもあり、シャーマンでもある。そういうナイーブな『美』の否定と自己実現が無いとこの仕事は出来ない」

 

「ケネス・バークですか?」

「いや、フランシス・クリックだよ。君も遺伝子の郵便物はありがたく受け取りなさい」

 

そう言ってこの話を終えようとした。学生のくせに、博識で暑苦しくて楽しい奴だと思って「また何か考えついたら教えてね」と席を立つと手を引っ張られる。「こっちは本を読みたいのに、いつまで付き合わせるのか」と叱ろうとすると、キラキラの目は「土器、見にいきましょう!」と興奮している。

 

この手の人間は社交辞令を言う程ドツボにはまるので、きっぱりと断った。この存在は一介の講師で、特定の学生だけに付き合うことは出来ない。学生全員を平等に扱い、講師評価シートにどんなに良いことを書いてくれた生徒も出席率が低ければ単位はやれない。

 

レポートの隅っこにコッソリ『4年生で就職が決定しています。単位をどうか、神様!』と書いてあっても「うーむ」と同情しながらも「また来年、頑張れ!」とエールを送っている。学生と一緒に土器のドキドキデートなんて、卒業単位くらい気の遠くなる話。ダメに決まっている。

 

「ダメダメ。ちゃんと講義に出席しなさい。地獄の沙汰も一般教養次第。あんまり舐めてたら留年しちゃうよ」

 

彼が講師だと分かったのは、それから何週間も経った後だった。「どうして言わなかったんですか?」と聞くと「いつまで誤解しているかと思って」といたずらっぽく笑う。ちょっとトキンとはねた胸に「鎮まれ」と慌てたのは、嫌いじゃなかったから。

 

まさか結婚しているとは思わずに、グラついた心がとても甘酸っぱい。久しぶりに誰かを「いいな」と思ってしまった。「いいな」と思った場所から、柔らかい気恥ずかしさが生まれて、指先まで微熱が回るような感覚を覚える。熱に浮かされた瞳を知られるのが嫌で、そっけない態度を取ってはチクリと心がうずく。

 

なんて可愛い、

この乙女心。

 

もちろん気持ちは伝えないし、土器のドキドキデートが予定されることは無い。『楽しみです』なんてメールを送ったきり、のらりくらりと誘いをかわすばかり。なんにもしないから、ちょっとだけこの温度を感じていたい。

 

校内で会う度にふっかけられる古代人の議論は、最近とても甘くなっている。反論するというよりは、彼の熱っぽい話に更に熱を浮かせた心で聞いている。全く意義の無いことになっているが、お互いの目的が違っているから仕方無い。熱心に論述する彼の言葉がいつの間にか「ちんぽ」「勃起」「まんこ」と低俗になっているが気にならない。

 

あぁ、懐かしい。

 

この恋に恋する脳内物質。抱きしめられているみたいで、まだまだたくさん放出させていたい。最近、お気に入りのこの趣味は体にいい変化をもたらしているに違いない。せっかくだからバーグの提唱する『利己的情念』を土でもひねって土器にしてみようかな。そのときは、彼のキラキラした目をシンボリックにしてみよう。

 

数百万年後に、寝ぐせ頭の考古学者に見つけてもらおう。そうしよう!