こんにちは。
たずねてくださってありがとうございます。
☆今日の話題は、生死 を扱っています。
明るく軽い空気感で綴っていますが、
体調よっては、
心や思考の刺激になる方もいらっしゃるかもしれません。
そういう方は、体調第一に、スルーしてくださいね。
父が亡くなって1年半ほど経ちます。
看病の時期や亡くなった後は、
生死について考え続けた時期でした。
気持ちが落ち着き始めたのが
7ヶ月後ぐらいだったかな。
その時に、書いた記事です。
テーマがテーマなので、
簡単にはアップ出来なくて、
一年放ったままになっていました。
が、書いてもいいかな?
と思えるようになったので、
今日投稿します。
父が亡くなった時に
父の死を感覚的に腑に落とすにはどうしたらいいのか
その方法を探っていた時期があります。
毎日そこにいたのに、
ある瞬間を境に人間がいなくなったという現象が
どうにも腑に落ちなかったのです。
病死だし、刻々と生命力が落ちていく様子も見ていたし
頭では「死」という現象が起こったことはわかっているのですが
感覚が付いていきませんでした。
いつもいたのに、いない。
消えた??
ワタシの感覚では、死んだという論理的概念より
父の身体とか存在が
光の粒のようになってサーッと空間に溶けていくような感じだったのです。
だから「消えた」という感覚になって
死という現象を腑に落とせずにいました。
(👆このことに関しては、もう少し踏み込んで魂的な視点で腑に落ちた捉えがあるのですが、今日のテーマと逸れるのでまた、別の時に。)
さーて、
いつまでもふわんとした“消えた現象”の中にいるわけにはいかん。
父は死んだ ということを脳にも感覚にも落とし込まねば。
日記に自分の気持ちや感覚をとにかく書きなぐりました。
延々と。
で、ふと出てきたことが、
世界中にこんなにたくさんの人間がいるのに、
お父さんはどこにもいないってどーゆーこと??って文。
世界中に、すっごい数の人がいるのに、
どこをさがしても、我が父はいない。
こんなに人がいるんだから、どっかにいたってよさそうだけど(笑)
当たり前だけどいないでしょ。
ようやく、父の死という現象が感覚に落ちてきたこの頃、
ふと湧いてきたことが。
死んだお父さんは
世界中にこんなにたくさん人がいるのに
どこにもいなくなった・・・。
ん?まてよ??
ワタシだって、
世界中にワタシ一人しかいないってことなんじゃないの??
おお~!!
そうだよ!
ワタシって、
今、世界中にワタシ一人しかいないんじゃん!!
ひょえ~~!!すごい~~~!!!
ワタシって、今、世界中のどこを探してもいないんだ~~!!
地球上に、ココにいるこの個体だけなんだ~!!
って、当たり前のことに大感動したんです。(笑)
論理で言えば当たり前すぎるくらい当たり前のこと。
でも、
これまで生きてきて、一度もそんなふうに思わなかったんです。
感覚的に気づかなかったんです。
いやぁ、感動しました。
父が亡くなったばかりの時、
寂しいなぁ、会いたいなぁと思う日が続きました。
世界のどこかで生きていることがわかれば、
地球の裏側でも探しにいくのになぁって思いました。
でも、現実はどこにもいない。
どうやったって会えない。
そんなことを思いながら過ごしていたら、
人間って、全部の人がこの世に一人しかいないんだな
ってすごく実感したんです。
で、
自分もこの世にただ一人しかいないんだ
って腑に落ちました。
地球の裏側に探しにいっても、ワタシはいません。(笑)
身近な人を亡くしたからこそ気づけたことだと思いました。
父が死を真近で見せてくれたおかげです。
父からの大きな大きなプレゼント。
おかげで、
ワタシは自分を大事にしようって思えているし
一人しかいないワタシってすごいじゃんって思えているし
(時々忘れて自分をイジメてしまっていますが(笑))
一人しかいないってことは、
ワタシの世界観や感覚は、当然、世界で一つだけってことだし、
人と同じじゃないところがあっても当たり前なんだ、と
論理的にストンと落ちるのです。
同時に、それは、相手に対しても同じ。
アナタの世界観や感覚も世界にただ一つです。
ワタシも
アナタも
世界中探し回っても、どこにもいない。
この世に、たった一人だけの人なんですねー。
人間って、すごいなぁ。
もし、感覚的に腑に落ちないならば、
世界中探しに行ってみてください。
そしたら、
自分はこの世に一人しかいないんだ!って実感できると思うから。(笑)