まず最初に、スマホで思いのまま書き綴るため読みにくく、支離滅裂な部分が多々あると思います。


タイトルのとおり、妊娠10週にて初期流産しました。

プーちゃんが存在した証として、当時の記録を鮮明に残しておきたい思いで筆を取ります。

内容的に、グロテスクな表現も多くなります。苦手な方はご注意ください。


また、現在妊娠中の方、特に絨毛膜下血腫を抱えている方にとっては必要以上に不安を煽る内容になってしまっていると思います。

ここから先は自己責任でお読みください。





 排出までの経緯




 10w4d 19:00頃〜


前日、入浴中に小さな血の塊が何度か出た以来、いつもどおりわずかな出血のみ継続していたところ、ここに来て急に赤黒い血の塊が「ドゥルン」と出る。

しばらくしてゼラチン、レバー状の血の塊がどんどん出てくる。




この時点で総量としては鶏の卵大1.5個分くらい?

腹痛は、わずかな収縮痛のようなものがある程度。

腹痛が酷ければ受診を考えたが、ほぼ無かったため、夫と相談しこの日は就寝。




 10w5d 1:30頃


夜中にトイレへ行くため体を起こすと、子宮の入口へ溜まっていたと思われる血の塊がナプキンへズルズルッと出る。

用を足したあと横になりながら「絨毛膜下血腫 血の塊」などで検索。

いろいろ考えているうち1時間以上経つ。




 3:30頃


だんだんウトウトし始めた頃、寝ている状態でドゥルンと塊がたくさん出た感覚があり、慌ててトイレへ。

今までは赤黒い血の塊ばかりだったのに、ここにきて鮮血も出現。

さすがにまずいと思い、産院へTEL。



私「(経緯を説明)進行流産の可能性もあると思い、指示を仰ぎたくてお電話しました」

受付「わかりました。医師へ確認するのでお待ちください」




立ちながら15分以上待っていたところ、大きな塊がおもいっきり「ドゥルンッ」と出た感覚。

それにあわせ出血もものすごく、普通の生理ナプキンではカバーしきれず血が足元をつたう。

電話をスピーカーホンにした状態でトイレへ行く。床に血が次々と滴り落ちる。




 3:50頃 排出



※表現ご注意ください。


















ナプキンをおろすと、血の塊の下に白く小さな小さな腕が、曲がった状態であるのを発見。

瞬時にプーちゃんと気付き、「あ…あ…」と声にならない声をあげる。

トイレに腰掛けながら、うつむいて声にならない声で泣き叫びました。




寝室で眠っている主人を大声で呼びまくる。

遠くで「なに〜?」という声が聴こえ、「来てーー!!」と叫ぶ。

後から聞くと、直前まで熟睡していたが、私の只事ではない叫び声で驚いたそう。




トイレの扉を開け、床が血まみれの状態のなか主人を迎え入れる。

私、絞り出した声で「プーちゃん、出ちゃった…」

主人「えっ!」

その場に崩れ、夫婦で泣きました。




私は「ああーーー!!ああーーー!!!」と悲痛な叫び声をあげて泣きまくりました。

主人はそんな私を抱えながら一緒に泣きました。




そこでスピーカーホンから受付の女性の声。

状況が変わったので、何とか気持ちを鎮めて説明。


私「す、すみません…たった今排出しました…」

受付「えっ…」




その後、再度医師に確認すると言って保留へ。

その間、私はトイレに腰掛けたまま、ナプキンにはプーちゃん、座り込む夫、血塗れの床とかなりの地獄絵図な状況でした。




受付「お待たせいたしました」

受付「排出されたものは、便器の中でしょうか…?」

私「いえ、ナプキンにいます。お待ちすれば病理検査に出せますか?」

受付「はい。これからすぐ来ていただいてもいいですし、落ち着いてからでも大丈夫です」

私「伺えば子宮のなかの残留物の確認などはしていただけるんですよね?」

受付「はい」

私「ではこれから行きます」




プーちゃんの持参方法などを聞き、電話を切る。

ここで寝室の娘、起きる。

慌ててトイレの扉をしめ、主人にとりあえずテレビを見せておいてもらうよう伝える。


娘をとりあえずテレビに向かわせた後、主人がジップロックを持ってくる。




 4:10頃 取り上げ


主人が娘の相手をしている間、私はプーちゃんを触らないように観察した。

小さな小さなおててを曲げ、その上に宇宙人のような顔があった。

10w0dの診察では100円玉大といわれたが、もう少し大きそうだった。


いつ亡くなったのかな。

お腹のなかで亡くなっていて、今排出された?

それとも絨毛膜下血腫の排出に引きずられて、たった今?

だとしたら、さっきまでお腹のなかで快適に過ごしていたのに、突然引きずり出され、さぞびっくりしただろう。




5日前の健診では元気な姿を見せてくれていたのに。

私の子宮のなかが、血腫があって快適じゃなくてごめんね。

プーちゃんには原因がなくて、私の環境のせいだったら、本当に申し訳なさすぎる。

本当に、ごめん……




物言わぬプーちゃんと相対して、浮かぶのは謝罪しかなかった。

でもその一方で、あまりにも突然の状況の変化で、どこか現実味がなかった。




私「大丈夫?手とか顔とかあって、見るのつらいと思うよ」

夫「大丈夫」


と言って、血が大の苦手なはずなのに、ナプキンからジップロックへプーちゃんを受け止めてくれた。

主人はプーちゃんをジッと見て、大事に大事に抱え、両手を上げてうつむきながら「ありがとう」と言っていた。




取り上げてから、主人はプーちゃんを病理検査に出す最後の最後までしっかり管理してくれた。




 救急外来へ



 5:00頃 出発


私は顔も洗わず、丁度おろしたばかりの黒のルームウェアだったのでそのまま行くことに。

主人と娘は着替え、娘の荷物をまとめて、準備できしだいタクシーを呼ぶ。


家から病院まではタクシーで30分程度、料金片道7,000円だった。

電車なら15分で着くのに、なかなか遠い。




まだ外は暗く、娘は眠気もありタクシー内ですごく大人しくて助かった。

私は主人とぽつりぽつり話をしていた。

その間も、悪露のようなものが排出していた(あまりに量が多いので、娘のときの産褥パッドを当ててきたが正解だった)。




着いたあと、何度か待たされながら、ようやく産科の診察へ。




 6:00頃 診察


状況を説明し、エコーへ。

その間も悪露の排出が止まらないため、パッドを押さえながら内診台へのぼるという…。




ここで、6時の病院のチャイムが鳴った。

MFICU入院時、私の起床の合図だった曲。

そして娘の陣痛時に聴いた曲でもある。


6時のチャイムで我に還り、トイレに立ったところから陣痛が進み、出産に繋がったのである。




あのときは、これから産まれる命のために下半身をあけ、

今は、ついえてしまった命の確認のために下半身をあける。




そんなことをぼんやりと考えていた。




エコー後、家族を呼んで説明。


先生「出血量が多いですね」

先生「ただまだ子宮内に血がかなり残っているので、まだ出ると思います。ですので子宮収縮剤を出します。2〜3日は出血量が増えますが、その後は落ち着きます。しばらくパッドを当てておいてください」

先生「ちょうど1週間後に妊婦健診を予定していましたので、そこで診察しましょう。それまで安静に過ごしてください。入浴はシャワー浴で」




先生「(赤ちゃん)ありがとうございました。拝見しました」

先生「病理検査の結果が出るのが2週間後になりますので、次回診察のときにはまだ結果はわかりません。次回、結果報告のスケジュールについて相談させてください」




先生「流産の原因については今ははっきりとはわかりませんが、絨毛膜下血腫も大きかったですし、その出血につられて出てしまったのかもしれません」

私「昨夜、血の塊が出ていた段階で病院にかかっていたら結果は変わったでしょうか?」

先生「変わらないと思います。来ていただいたところで、できることって安静以外にないんです。その安静でさえ、厳密に効果があるかは立証されていません。こういう状態では止血剤も効きません。勢いが凄かったので、避けられなかったと思います」




先生「疑問点はありますか?」

私「このあと出血が増えるということですが、産褥パッドが娘のときの残りが少ししかないんです。ネットで購入しても届くまで掛かりますし、ここで購入していきたいんですが…」

先生「売店があくまで時間がかかるので、産科に話を通しておきます。自販機で購入してください」




話を終え、退室するとき小さく「プーちゃん、ばいばい」と伝えた。

私の大事な大事な赤ちゃんとの、最後のお別れだった。




 6:30頃 産科で顔見知りと遭遇


主人に娘を見ていてもらい、私1人で産科病棟へ。

ロックを開けてもらい、自販機へ案内してくれた看護師がなんと、MFICU時代に一番思い出深い新米の女の子でした。




私「第一子のときにお世話になったんです」

看護師「えっ!?お名前伺ってもいいですか?」




フルネームを言うと、何と覚えていた!

そこからめちゃくちゃ意気投合。




看護師「覚えてます!MFICUの〇〇番ベッド…」

私「窓際の角の…」

看護師「そうですそうです!よく覚えてますよ〜!そのあと一般病棟に移られて、無事に出産されたんですよね」

私「その子、もう2歳ですよ。下にいます」

看護師「わぁ〜!」




そんな話で、廊下で大盛り上がり。

自販機で用を済ませたあとも話が終わらず、エレベーターまで見送っていただいた。




私「完全破水後5週間もった私の記録って、まだ破られてません?」

看護師「はい。高位破水だと割ともつ方もいますが、完全破水はないですね」


私はまだレジェンド入りしているようだ。




お腹はぺたんこで、夜間救急の時間帯に産褥パッドを買いに来るなんて訳ありに決まっているのに、そのことには一切触れないでくれた。

それが有り難くて、あの件以降初めて明るい気持ちになれた。




できれば出産で再会したかったな。



 7:30 朝食


会計を済ませ、娘のおむつを変えたあとは夫の提案で近くのファミレスへ。

ちょうど7時から開店でモーニングをしていたので、普段利用することは皆無だけど、帰って朝食の支度をする気にもなれないので利用することに。




モーニング用のお子様プレートがあり、娘はニッコニコでパンケーキとポテトを平らげていた。

人の気も知らないで、満面の笑みでご機嫌だ。

でも正直、娘がいなければ今の状況でまともな感情でいられなかったと思う。

感情の逃げ場がないのは厳しい。




私も、こんな状況というのにお腹は空いていて、モーニングプレートは完食した。




安静期間中に良くしてもらっていた保育園には知らせないわけにはいかず、娘のお休み連絡も兼ねて主人に報告してもらった。

電話に出た理事長は絶句していたらしい。




 8:30 タクシーで帰路へ


この時点で、家を出てから3時間半が経過。


4時に起こされ診察に付き添ってくれた娘は眠気が限界で、不機嫌MAXに。

タクシー内で泣いたり暴れたり。


それを横目に私は方々へ連絡開始。

まず本日に面談を予定していたファミサポへキャンセルと、事情説明。今後の保育園迎えの利用もなくなる旨を連絡。

担当さん、絶句。




次に安静期間中、家事のヘルパーをお願いしていた事業者へ連絡。

次回の予定キャンセルと、事情説明。

電話口の女性、絶句。




基本的に親族には伝えておらず、便宜上やむをえないところにのみ妊娠を伝えていたけど、やはりこの報告はしづらい。

相手に気を遣わせるのが目に見えているからだ。


明日以降、保育士と顔を合わせるのもキツいな。

「大丈夫ですか?」と聞かれて、大丈夫じゃないのに「大丈夫です」と伝えるのも、キツいや。




 9:00過ぎ 自宅到着


長い長い夜〜朝だった。

娘を寝かしつけ、私も横になったが眠れず、考え事ばかりしてしまう。


そこで記録のため、詳細をブログに残すことを決めた。

今こうして書き終えて、気持ちが整理されていくのを感じている。




昨日までお腹にプーちゃんがいたのに、今はいないし、この世からも消えてしまったことが信じられない。

それと同時に、妊婦だった自分がいたことが嘘のようにも思えてくる。




思えば今回の妊娠は、一度たりとも安心したことがなかった。


はじめはhCGの伸び率が悪く、諦めていたところ急成長。

まもなく絨毛膜下血腫ができ、安静管理下に。


ダメになったときの保険のつもりで、自分の心にブレーキを掛けていたけれど、どこかで流産は他人事に思っている自分がいた。

いろいろあるけれど、最終的には出産に至るだろうと。

そのつもりで妊娠〜出産後のタスクまで、この間まとめ上げたばかりだ。




プーちゃんがどうか、お空に還り、安らかに過ごしていることを願わずにはいられない。

プーちゃんのことを考えるたび、涙が溢れる。




まずは2週間後以降の病理検査で、どういう結果が出るか。

それまでは、仕事をセーブし体と心を労りながら、気持ちを少しずつ消化していけたらと思う。




とりとめのない雑文を最後までお読みいただきありがとうございました。

申し訳ないですが、気持ちにゆとりがないのでコメントは閉じています。いいねは、労いや応援と捉えます。

興味本位のメッセージもお控えいただけると幸いです。