なんと今年は
元に戻りまーす!

マンション暮らしおさらば!
7年耐え忍んだら、息子らが大成長したから一安心ということで、自宅に父の居場所も確保して、庭付き一軒家に戻るのです。


長男の成長には目まぐるしく無事立志式までいく年齢に。涙


次男も無事1/2成人式


次は、自分を癒す番である。


グリーフケア、緩和ケア、家族療法、チャイルドカウンセラー、DPAT、発達障害、小児児童思春期やら、児童青年期やら色々学び21年経過。あっちゅうま


次は、ロゴセラピスト試験を受けに行く。


10年学んだものを筆記で果たして書けるのでしょうか…


人生は自分で決めるもの


スタートです




今年は貯蓄の年になりそう。
働けるうちに1500万貯蓄を目指して老後資金を貯める。60代はゆっくりしたい。頑張って働かない。余力でできる範囲でやりたい。身体がそんなに頑丈じゃないので。


息子2人の学校問題がやっとひと段落して安心し、体調を崩して休職してから10年間のワンオペ状況が過酷であったと振り返る。


気づいたら20年以上は鬱々したセロトニン不足であった…若いのに…命を削って最前線で働くって…何故か大変な事例に出会す確率が高い。


10年間夫が亡くなり1人で家のこと、実家のこと、息子らのこと、仕事のこと、自分の人生のこと…色々考えたり、やらなきゃいけなくて。


1番は次男を1人で産んで育てているっていうのが今の私にはびっくり。


1人で産み育てる人に関わるきっかけがこの先ありそうな気がして、保健師資格入手したんだけど。


若い頃は子供を1人で産んで育てるなんて無理だと思ってた。


育てることは難しいけれど、軸さえ見失わなければ、子供は反発しながらまっすぐに育っていく。


子供の目は離しても、心は離すな。


我が家は三角形の家族構成。

家族はチーム。


この時期の10年前は、弘前から引っ越してアパートに在宅医療を。次男妊娠中で長男3歳の誕生日を14日に迎える。

癌性腹膜炎が酷くてベースにモルヒネを使用し始めた時期でもある。3時間ごとにプリンペランのプッシュ。腎ろうケアにバルンケア…麻薬管理…パッチの貼り替え…輸液交換…

穏やかに過ごせますように…と頑張ったけど、2月には妊婦の私にはレスパイトが必要で緩和ケア病棟へ…


鬱になっている暇がなかった。

神様に尻を叩いてもらいながら、急いで沢山のことをこなしていった。


もう時間が無いから。


時間が無いという感覚は日に日にみえてくる。

毎日1人の時に泣いた。


3月でお別れ。


5月に次男出産。


30歳から32歳色々やった。

この緩和ケア事例があったから、母が3年前に亡くなる前に緩和ケアを進めれた。中央病院に入院した時点で早急に緩和ケア病棟に転院を進めれたら良かったのにという後悔は未だにある。

ギリギリまで在宅…でも肝がんで肝機能が落ちて介護できる環境ではなかった。父に説得しても頑なに拒否されていた。理解されない。

1日一緒に父が付き添い最期に一緒にいれたから良かった。

1日だけでも寂しくなく逝かせれたことに後悔はなく、最後に母の爪も切れた。その時は黙って切らせてくれていた。


次は父を送り出すんだろうなぁと思うと、今年、来年は父に暖かい居住地と役割を与えたいと思う。


私のできる親孝行。



久しぶりに読書

2日で読み切った。

祖父のような存在で自分も在れたらいいなと思ってしまった。

自分を表現する、伝えるって難しい
何も言えなくなってしまわないように対話を意識していきたい

家族っていう存在と居場所

居心地良い、風通しが良い、触り心地が良い
そんな感触大事だな

自分が住んでいた、いる場所を舞台になっているためイメージがすぐにわく

美緒が自転車で県立大学前から滝沢駅までなんて

祖父宅はあっちかとか

盛岡の喫茶店はカルタは私もお気に入り

クラムボンに機屋、鉈屋町、番屋…
桜山…

いつも日常歩いてる

1番は自分が10年お気に入りに使っているストールはホームスパン

ホームスパンの織りは職人によって味が違う

素材によって触り心地も違う

色の配色も違う

模様も違う

ふわふわ、ざわざわ、さらさら

ホームスパンの頑張りの歴史も好きだし、新しく世界的にも認められている

それぞれの職人さんの頑張りが点から線となっている

高いけど価値がある

わかる人には手に取って欲しい

手作業で丁寧に織られたホームスパンは、これこそ、おもてなし

そして二度と同じ織りはできない

一期一会