今年は貯蓄の年になりそう。
働けるうちに1500万貯蓄を目指して老後資金を貯める。60代はゆっくりしたい。頑張って働かない。余力でできる範囲でやりたい。身体がそんなに頑丈じゃないので。
息子2人の学校問題がやっとひと段落して安心し、体調を崩して休職してから10年間のワンオペ状況が過酷であったと振り返る。
気づいたら20年以上は鬱々したセロトニン不足であった…若いのに…命を削って最前線で働くって…何故か大変な事例に出会す確率が高い。
10年間夫が亡くなり1人で家のこと、実家のこと、息子らのこと、仕事のこと、自分の人生のこと…色々考えたり、やらなきゃいけなくて。
1番は次男を1人で産んで育てているっていうのが今の私にはびっくり。
1人で産み育てる人に関わるきっかけがこの先ありそうな気がして、保健師資格入手したんだけど。
若い頃は子供を1人で産んで育てるなんて無理だと思ってた。
育てることは難しいけれど、軸さえ見失わなければ、子供は反発しながらまっすぐに育っていく。
子供の目は離しても、心は離すな。
我が家は三角形の家族構成。
家族はチーム。
この時期の10年前は、弘前から引っ越してアパートに在宅医療を。次男妊娠中で長男3歳の誕生日を14日に迎える。
癌性腹膜炎が酷くてベースにモルヒネを使用し始めた時期でもある。3時間ごとにプリンペランのプッシュ。腎ろうケアにバルンケア…麻薬管理…パッチの貼り替え…輸液交換…
穏やかに過ごせますように…と頑張ったけど、2月には妊婦の私にはレスパイトが必要で緩和ケア病棟へ…
鬱になっている暇がなかった。
神様に尻を叩いてもらいながら、急いで沢山のことをこなしていった。
もう時間が無いから。
時間が無いという感覚は日に日にみえてくる。
毎日1人の時に泣いた。
3月でお別れ。
5月に次男出産。
30歳から32歳色々やった。
この緩和ケア事例があったから、母が3年前に亡くなる前に緩和ケアを進めれた。中央病院に入院した時点で早急に緩和ケア病棟に転院を進めれたら良かったのにという後悔は未だにある。
ギリギリまで在宅…でも肝がんで肝機能が落ちて介護できる環境ではなかった。父に説得しても頑なに拒否されていた。理解されない。
1日一緒に父が付き添い最期に一緒にいれたから良かった。
1日だけでも寂しくなく逝かせれたことに後悔はなく、最後に母の爪も切れた。その時は黙って切らせてくれていた。
次は父を送り出すんだろうなぁと思うと、今年、来年は父に暖かい居住地と役割を与えたいと思う。
私のできる親孝行。