ご訪問感謝です!
この記事をお読みになって下さりありがとうございます!
今回は先月に受けさせて頂いたマナイ由華さんのセッションについて書いていきます。
今回のセッションも本当にありがとうございました
最初に出てきた場面では12歳程で海の見える砂浜に居て兄の見送りをしています。
兄は外交のために出発するようで目的地は現在のトルコの北西部のあたりにある新興国のようです。
過去世の私はどうしても見送りたいと言って無理を言って付いてきたようでした。
経験豊富で交渉に長けている人が兄に同行していました。
私は、「兄はすごいんだ!自分も兄のように出来るようにならないと」と感じていました。
次に出てきた場面では13歳程で兄の誕生日パーティーが行われています。
姉は既に嫁いでいて父と母、兄夫婦が居ました。
最初に出てきた場面で兄が向かっていた外交は成功したようで私は嬉しく思っていました。
過去世の私は、「立派な兄がまた一歩すごくなった」と感じていました。
この過去世の私は兄に憧れや尊敬という気持ちを持っており、それと同時に自分を可愛がってくれる大事な家族という思いもありました。
次に出てきた場面では14歳になっており兄が私の成長を喜んでくれていました。
私は兄の補佐として期待されておりその事を嬉しく思っています。
兄の誕生日が過ぎた後に会いに行っており、それがこの過去世で兄に最後に会った日でした。
私は直感やテレパシーが出来るようでした。
15歳ごろに移ると既に兄が亡くなっており、「大好きな兄はもういない」と感じていました。
兄が居ない分自分がやらないといけないと責任を感じていてそれがプレッシャーにもなっていました。
以前よりも訓練の内容が濃くなりまた訓練の時間も増えています。
16歳の時に移ると訓練を行ったり教養を身に着けるために学んでいました。
急に誰かに甘えられなくなったようで
寂しくても悲しくても我慢、「寂しいとか悲しいなんて思っちゃいけないんだ」と思っています。
マナイ由華さんの誘導で過去世の私が甘えられる人(兄の妻と母)にその気持ちを伝えます。
兄の妻は
「あなたまで無理をしないで。まだ若いのだから」「誰だっていきなり完璧な人間にはならない」
「兄が亡くなって責任も増えたからそうなるのは仕方ない」
といったメッセージがきました。
それを聞いてこの過去世の私は少し楽になったようで「無理やり我慢しなくていいんだ」と実感できたようでした。
次に母に会いに行くと母は
「たまには泣いていい。こっそりでいいから泣いたりして良い」と言ってくれました。
この過去世での母と兄の妻と誘導をして下さったマナイ由華さんのおかげで過去世の私のみならず今世の私も少し重荷を減らせた感覚を覚えました感謝です
次に40代ごろに場面を移しました。
私は、
「国を安定させ人々を休ませないと」「国や国民を豊かにしないと」、「自分がそうしなくては。国が安定して国民が安らかに暮らす事が兄の望みだったから」と思っていました。
庶民に対してはそこまで苛烈ではなく彼等からは過剰に搾取しないようにと考えています。
次に、パラレルワールドとして彗星に愛を届けてもらい、その結果より良い結末となった世界線にしていきます。
過去世の書き換えというのは実は文字通り経験した過去世を作り変えているのではなく、パラレルワールドとして別の結末を用意しているのだそうです。
まず、叔父が裏切りを企てて凶行に走る直前の場面で彗星がやって来て愛を届けました。
すると叔父は兄と比べられて辛かったと言っても兄の子供に罪はないと思い直し、計画を中止にしました。
そしてこの国は勿論のこと周りの国まで波動が高くなりこの国とその周辺の国で争いや略奪が止みました。
兄の遠征の前にも彗星が来て愛を届けました。
すると平和的な解決ができて兄も無事に帰ってきました。
私は、「やっぱり帰ってきてくれた。これからも遊んだりできる」と思っています。
彗星が届けてくれた愛は周りの動植物にも良い影響を与えていました。
この世界線のその後を見てみると
10代頃の場面では国は活気があって以前よりも栄えていました。
兄が父の後を継いでおり立派に国を統治して人々から慕われています。
過去世の私は、「やっぱり兄はすごいんだ。自分が兄を支えていくんだ」と思っています。
20代頃では他国や他部族とも全てではないものの平和的解決ができてその分国が豊かになっていました。
私は兄の補佐をしており兄を精神的に支えていました。
30代頃になると兄の子供が生まれていて一緒に教育を行っていました。
40代になると兄は良い王として慕われており、私は兄が立派になって嬉しく感じていました。
この過去世の私は兄を支えるのが自分の道だと思っています。
50代に移ると兄の息子の手伝いもしていました。
兄と兄の子と私で共同統治という形をとっていました。
私は、「自分はこれでいい。こう生きるものだ」と思っています。
60歳前後で人生を終えます。
この時には正式には結婚はしていないものの10代半ばの子供が居ました。
やっぱり自分の生き方はこれでいいんだと思って人生を終えたようです。
ここまで読んで下さりありがとうございました!