バレンタイン当日の朝



彼は本当に家に来た。



その日は2月だというのに、とても暖かかった。



ドアを開けると、春を感じさせる生暖かい風が吹いていた。




彼は「おはよう」と言って、家に入ってきた。




私は何かを聞きたくてたまらなかった。


「今日バレンタインだよ?」


「奥さんがおうちで待ってるんじゃないの?」


「私とは会えないんじゃなかったの?」



でも、何も聞けずにいた。




彼はシャワーを浴びた。




私はふと、チョコとメッセージカードのことを考えた。



どうしよう



まさか今日会えると思っていなかったから


プレゼントも買ってないし


カードには何も書けてないよ…


書くなら、今のうちかな…




カードを取り出し、ペンを持ってみた。



何て書こう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



あ、そういえば私ピンクとか黄色とかのかわいい色のペン持ってないよ


こんな地味な黒のボールペンでいいのかな…?


かわいくデコったりした方がいいのかな?


どうしよう、そういうの、ないよ~




そんなことを考えていたら、彼がシャワーを終える音がした。



男のシャワーは短い。 あっという間に彼が出てきてしまった。



私はとっさにカードを隠した。



彼の脱いだ服をハンガーに掛けたりしていると、彼が先にベッドに入った。



そして私もベッドに入った。







ベッドの中で、私は言った。


「今日は会えないんだと思ってた」



すると彼は


「だから会いに来たんだよ」 というようなことを言った。




今日は奥さんが家でチョコを作って待っているんだろうな


それとも2人でどこかおいしいお店に食事にでも行く約束をしているのかも



そんなことを想像してみたけど


きっと昨夜私が彼をパーティーに誘ったことで、何か責任?罪悪感?


そういうものを感じて会いに来てくれたのかな



私が会いたいと思っていたこと


でも、そんなことは叶わない願いだとわかっていたこと



それが昨夜の電話で彼に伝わって、こうして私に会いにきてくれたのかな?


そんなことを思った。




ただ私は


「ありがとう」


と言った。




でもきっと目を覚ましたら、奥さんの待つマイホームに帰っちゃうんだろうな


そう思っていた。


「何時までいられるの?」と聞いてみると


「仕事で12時に行かないといけないんだ」と答えた。



あ、仕事じゃなくて奥さんが待ってるから12時には帰らなきゃいけないのかな


そう思った。



でも、今、ここにこうして来てくれただけで、彼の腕に抱かれていられるだけで


充分幸せだと思った。そう思うようにした。




彼が行かなくてはならない時間まで、眠れる時間は3時間くらいしかなかった。



彼は眠りだした。



私は、眠れずにいた。



カードに何を書こうか、ずっと考えていた。


チョコを、どういうタイミングで渡そうか


家に帰るなら、チョコは私の家で食べていけば、奥さんにバレることもないかな


カードは…その場で読んでもらったら返してもらおうか…



とにかくいろんなことを考えていて、眠れなかった。




隣で眠っている彼の寝顔を見ていたら、胸がギュって苦しくなり、涙が出てきた。



泣くのはやめよう


そう思った。



起きたら、笑顔でチョコとカードを渡して、笑顔で彼を送り出してあげよう


そう思った。







11時にアラームが鳴った。



私は眠れていなかったので、アラームを止めてすぐに起き上がった。


彼はまだ眠っていた。




洗面台に向かって、鏡で自分の顔を見てみた。



やっぱり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




ひどい顔をしていた。



昨夜あれだけ大泣きしたんだから、当然の顔だった。


目が腫れまくっていた。



彼にバレないうちに、この腫れを冷まさなきゃ。


そう思って濡らしたタオルを目に当ててじっとしていた。


彼が起きてしまわないように、ただじっと、タオルを当てていた。



どうか、彼が目を覚ますまでに、この目の腫れが引きますように。




すると、彼が起きてしまった。


「おはよう。早いね、どうしたの」と彼は言ったけど


私は何も答えずに、彼に見えないようにタオルを当てていた。



彼はそんな私に気づいて「どうしたの?」と言ってきた。


「なんでもないよ」と答えた。


「だって…どうしたんだよ?」と聞く彼に


「ん、ちょっと目が腫れてたから冷やしてるの」と答えた。



少しの間があいて、彼が


「泣いたの?」と聞いてきた。


でも私は答えなかった。


こんな目を腫らしたひどい顔を彼に見せたくなかった。


タオルを取れずにいた。



でも、彼が「おいで」と私をベッドに招き入れた。


私は「目を冷やしたいの」と言って拒んだ。


それでも彼は、私をベッドに連れ込んだ。


そして、私を強く抱きしめた。

ぎゅーーーーーーーーーーーーーーーーっと、強く。



「泣いたんだろ?」


そう聞いてきた。


それでも私は黙っていた。


彼はまた強く抱きしめた。



あぁ、このまま骨が折れるくらいきつく抱き締めて


そして内臓が破裂しちゃえばいいのに…


そんなことを思った。




そのまましばらくベッドで寄り添っていたら、彼が電話をかけだした。



え…


まさか、奥さんにかけるんじゃないよね…?




彼がかけたのは、仕事の電話だった。



時間は11時をとっくに過ぎていて、もう家を出なくてはいけない時間だった。



彼は電話で


「ごめん、ちょっと今日行けなくなった。本当に申し訳ないんだけど、任せちゃってもいい?今度何かフォローさせて。ほんと、ごめん」


そう言っていた。



驚いた。


本当に仕事だったんだ。


てっきり、奥さんの待つ家に帰るもんだと思っていた。




電話を終えた彼に


「いいの…?」


と聞くと


「いいんだよ」と言って、またぎゅっと抱き締めてくれた。





こんなことがあっていいの?


昨日の夜、あんなに絶望感でいっぱいになって大泣きして


今朝、こんなに目を腫らしているっていうのに


これは、いったいどういうこと…?



バレンタインの今日


一緒にはいられないと思っていた彼が


今、ここに、私の隣に、いる。




嬉しすぎて、幸せすぎて、怖いくらいだった。