ただただ流され
敷かれたレールの上を
楽しく過ごした高校時代
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大学生活もご機嫌に…
私のストーリー24
忙しい父と母
高校生時代や大学時代の父や母、
やはり2人共に忙しい。
大学に入ると
おばあちゃんを家で看取るため
おばあちゃんの介護の生活が始まりました。
介護に仕事にと、とても忙しく
多分この頃は母は
とてもしんどかったと思います。
家族が食事する部屋の横に和室がありました。
そこにおばあちゃんのベットを置き
毎朝顔を撫でて
「行ってきま〜す💕」
クモ膜下出血で一命は取り留めたものの
誰が誰か分からなくなり
寝たきりの可愛いおばあちゃんになりました。
勿論私の事は覚えてないのだけれど
父の顔を見て涙を流す事があるので
きっと分かっていると思います。
父母共にとても忙しかったので
大半は病院でした。
それでも、出来るだけの事はしたいと
家政婦さんをつけての7年です。
褥瘡が出来ない様に
数時間おきの体位変換に
食事の介助と
全て家政婦さん任せでした。
それでも、毎日母は通っていました。
父は黙々と働く。
この頃の私は
ちっとも父母の大変さを
見ようと思っていませんでした。
その後、
父の介護を母と2人でする事になるまで
私は、在宅介護がこんなにしんどいものだとは思いもしなかった。
改めて、7年も家政婦さんをつけて
毎日病院通いする父と母は
凄い人だな。
と思っています。
あの頃、
病院は施設ではないので、
体調に変化がなければ
施設をすすめられました。
施設に入るとやはり体調は悪化します。
年を重ね、全ての機能は衰えてしまいますね。
繰り返すおばあちゃんを見て
在宅介護を決めた両親でした。
誤飲による肺炎は避けられないけれど
看取るなら自宅がいいと言う決断です。
その頃は介護保険なんて無かったし
お母さん大変だったろうな。
私と言えば、いいところしか見ていない。
多分見ようとしていない。
振り返ってみると
申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
毎日ツヤツヤのお肌のおばあちゃんの顔をサワサワして、喋るだけ。
介護を手伝った記憶がないのです

母は黙々とおばあちゃんの介護をしていました。
私は
介護を手伝う事もなく
父母のお陰で楽しい学生生活を送るのです。
私のストーリー25へ続く。
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