4・24阪神教育闘争から65年-3
「日本国民救援会」からコピーが送られてきました。
3月18日、パリコミューンの日に「解放無名戦士の墓」に行った時、お会いした「救援会」の役職者が、資料の中から「金太一」を探し出してくれたのです。
1956年10月10日に発行され、1987年11月20日に復刊された『解放のいしずえ』の表紙と奥付、そして同書の131ページに記されている、「金太一」の略歴の2枚です。

「金太一 1932~1948
戦後、大阪において朝鮮学生同盟員として活動していたが、1948年(昭和23)4月26日アメリカ占領軍の手先となった芦田政府によって在日朝鮮人学校閉鎖命令に対し、民族教育防衛のため、数千の朝鮮同胞と共に陳情を行った際、大阪府庁前において襲いかかった警官の凶弾に射殺され、16歳の前途多き生涯をとじた」(原文のまま)
文末、四角の中に「遺」=不明とあります。
日本国民救援会によると、「遺」は遺族の略で、「遺族は不明」と言うことです。
*4・24教育闘争の精神を称え、警官隊が放った銃弾で犠牲になった金太一少年(当時16歳)の冥福を祈り、遺骨が眠る青山霊園にある「無名戦士の墓」の前で、たたずもうと思います。
2013年4月24日午前10時から2時間余り・「同調者」募ります。
2013年4月24日午前10時から2時間余り・「同調者」募ります。