詩人たちの要請行動に同行しました。 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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【2月17日・金曜日】「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」刊行会代表の河津聖恵さんと
日朝の詩人、歌人、関係者による内閣府と文科省要請に同行しました。
 
チョチョン(青年同盟)が文科省前で要請行動を繰り広げていました。
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文科省です。
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内閣府です。
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内閣府の玄関には「拉致」関連パネルが…。
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詳しくは
許玉汝三のブログを
 「心の傷は消えない」
                       
 昨日2月17日、アンソロジー刊行会の<朝鮮学校への「高校無償化」制度即時適用を求める詩人の要請書>と、賛同者名、125名の貴重なコメントを携え、河津聖恵さんはじめ詩人、歌人4名とウリハッキョ支援者3名で文科省と内閣府で要請を行った。

 約束の10分前、文科省に着くと、すでに東京の朝青トンム達が胸に無償化除外反対のゼッケンを着けプラカードとハンドマイクを手に、寒空の下、元気一杯のシュプレヒコールを行っていた。若者達の力強い支援を受けた私たち一行は百人力を得て、彼らの想いを胸に、中に入った。私たちが要請を続けている間も、彼らのシュプレヒコールは院内にまで途絶える事無く届き、力を添えてくれた。

院内の一室(2年前と同じ部屋)で要請が始まった。まず河津さんが要請書を浪々と読み上げ、力強い要請の火蓋を切った。次に残りの6人が交代で次々と発言した。

私は日本の最高教育機関である文科省が2年間も、事あるごとに政治問題と絡め、朝高生たちへの無償化問題を延ばし延ばししている間に、それを良い口実にして、大阪、東京をはじめ、地方の自治体が何十年も続いてきた助成金をカットしたり、停止している問題に対してどう責任を取るのかと詰め寄った。

又、1昨日、宝塚での神戸朝高生達の素晴らしい吹奏楽演奏と、司会をしていた女学生が無償化から除外されている問題に触れた時、民族を愛するものは未来に夢を持ってはいけないのかと絶句したことに触れ、私たち大人が未来ある学生たちにこんな悲しい思いをさせて良いのか、彼らが受けた心の傷に誰が責任を取るのかと問いただした。

又、日本政府は日本の子供たちをどんな人間に育てようとしているのか、無償化除外を続けることにより、朝鮮の子供達には差別をしてもいいんだという風潮を撒き散らし、公然といじめを助長してきた罪は重いと発言した。そして、もうお願いはしない。当然の権利である無償化を即時適用するよう求めた。

要請参加者がすべて各々の立場での思いをぶっつけ、あっという間に40分が過ぎてしまった。内閣府でも同じような要請が続いた。

内閣府では担当の人が無償化自体が無くなるかも知れないというような主旨のことを云ったので、私達は尚更、怒りを抑えることが出来なかった。担当の人達は勿論、何か決定する権限がある訳では無いということを分かりながらも、逃げ腰な態度に怒りをぶっつけざるを得なかった。

同行した日本の方が、日本の未来が心配だ、日本の子供達が朝鮮人に対する公然とした差別を目の当たりにしながら、どんな人間に育っていくだろうかと不安でならないと発言したとき、本当にそのとおりだと思った。

 要請が要請したという事実だけで終わってはならない。子供達が受けた心の傷を決してそのままにしてはならない、最後までたたかわねばと心に誓い東京を後にした。
             
(2012年2月18日)
河津聖恵さんのブログを
2012年2月20日 (月)

要請に行ってまいりました

17日、朝鮮学校の無償化実現を要請して参りました。
文科省と内閣府に、詩人、歌人、支援者のそれぞれの熱い思いを伝えてきました。
緊張していたせいか、記憶が混乱していて、誰が何を語ったのか、あるいは自分の語ったことも、不正確にしか思い出せない気がしています。
しかし、私の思いはただ一つでした。
卒業式まであとわずか。ささやかな力でもどうしても無償化へ波動を起こしたい。
この二年の時間が、この日に向かって背中から押し寄せていた気がします。
担当官と向き合いつつ、
二年間の記憶が、自分の眼差しと声と言葉にもしみこんでいるのを実感してました。
それは、無償化をもとめることは正しいというゆるぎない確信が、いつしか自分に生まれていた証でしょう。
この煮崩れする国は、無償化と教育への政治の不介入という理念をつらぬけ──
私なりに、そうひとすじの命法になっていた一時間半でした。
「この社会は在日コリアンと日本人が出会わないように、お互いを知らないような仕組みになっているのです。私は、朝鮮学校の問題を知り、人権を侵害されている側の苦しみを知って初めて、人権のとうとさを知ったのです。」
声をふるわせながら真情をうったえていた日本人の支援者のことばに胸打たれました。
涙が止まりませんでした。
何があっても朝鮮学校の無償化は実現されなくてはなりません。
拉致担当相などの政治介入によって、
文科省が生徒達から教育の権利を奪うことがあってはならないのです。
そしてそのことは
文科省自身がよく知っているはずです。
2009年末には同省は学校の無償化を決定していましたし、
翌年2月、無償化直前に前年末の拉致担当相の発言が意図的にとりあげられて
鳩山元首相が除外を容認した時も、
文科大臣は異議を唱えていたのですから。
しかし今やどうでしょう。
世論の論調は
「無償化は北朝鮮を利する」から「無償化除外で北朝鮮に圧力をかける」という
より好戦的で暴力的なものに変わってきているではありませんか。
それも、文科省が政治的圧力によって無償化宣言を出さないでいるからです。
不安定で無根拠な世論は、マスコミ報道にも揺動し、容易に煮崩れたのです。
私は朝鮮学校の内実や歴史を熟知しているわけではありません。
私が無償化除外に反対するのは、朝鮮学校を讃美するからでもありません。
2009年3月に橋下元知事の暴言にいたたまれなくなってアピールを出したように
この国の魂と言葉に加えられる、政治的あるいは世俗的な暴力と
それを抑制すべき日本の大人たちの無自覚さと無責任さに対して
詩人としてきっちりものを言わなくてはならないと思ったからです。
それは自分自身への自省も含めてですが、
詩人ならずとも
除外問題をめぐってみえてきた非人間性に対して声をあげることは、人間としてまともに生きようと思えばあたりまえじゃありませんか。
すべての子どもに安心して学べるようにという理念さえも貫けない社会とは何なのでしょうか。
それは
すべての人間が互いに価値も権利ももはや感じ取れない社会、
人が人間的な光の消え失せた、闇の眼と心で声をころして生きていく
社会ともいえない荒れ野でしょう。
それでもいい、むしろそうなってしまえと居直る人間たちが除外に与しているのです。