教育実習が終わるというので、いつもの学校へ。
校舎の玄関の傘立ては、色とりどりの傘で埋まっていた。

雨靴は少ない。低学年の下駄箱には幾つかの雨靴があったが、高学年は普段通りのスニーカーだ。

職員室をのぞくと、実習生のカン先生がレポート用紙に報告書なのか、小さな字でびっしり書きこくでいた。机の上には、授業で使ったであろう、児童の似顔絵を描いた札が置かれていた。
黒板の予定表を見ると、最後の授業は前日で、今日は4時「総括会-1」、6時に「総括会-2」と記されている。おそらく、総括会―1は「総括会議」で2は「送別食事会」のようだ。
私・「授業は何時間入られました?」
カン先生・「7時間です」
金校長・「茨城朝高で40時間、一学年二クラスで、授業も多かった」、30年前の話だ。
金教務主任・「東北の、高校生ではなく、中学生のクラスに入りました。前年に…」その時担任した2年生とは、今でも親交があり、<3・11大震災>のときも連絡を取ったと話していた。

職員室の隣の多目的ホールでは、何人かのオモニたちが打ち合わせをしていた。
バザーが一週間後に迫っている。
「例年に比べて、学父母から提供される品数が少ない」とのことだ。
大震災で東北への支援物資として送られたこともあるが、最近の傾向として、リサイクル品、中古品の提供と言うより、新品へのこだわりが強い、それに加えて、結婚式での引き出物が少なくなっているという事情もあるようだ。
廊下ですれちがったオモニたちは、そんな話をしてくれた。

チョゴリ写真館もバザーの目玉の一つだ。
担当のオモニは、昨年の資料を片手に、背景色をなかなか決めかねていた。
「派手すぎるとチョゴリが目立たなくなるし、かといって、地味だと顔が引きたたなくなるし…」
「年賀状用の写真にできるように」など、注文も多いようだ。

いものように、校舎をひと回りする。
1階と2階の間の手洗い所から運動場を見ると、雨はやんだものの児童の姿はない。
大きな水たまりがいくつもできていた。

3階の踊り場には、中間試験平均点が貼り出されていた。
目標は9・3点だが、6年生と4年生は共に、「クゴ=国語、朝鮮語」と日本語は目標をクリアーしているが、社会は苦手なようだ。
1年生は足し算、2年生の教室の黒板には「自分の家に帰る道」と朝鮮語で書かれていた。3年生は円の半径と直径、4年生の黒板には「古いしらかばの木」、日本語の時間だ。5年生は分数の足し算と引き算、6年生の教室の黒板には、
「熱―熟」、「陛―階」、「字―宇」など、似通った二つの文字が書かれていた。

昼食時間、給食室に注文弁当やお茶を取りに来た児童は、バザーに出品される前にして品定めだ。
「私はこれを絶対買う」、「僕はこれ」。ヤカンを片手に教室に戻ろうとしない。
この児童たちのお目当ては、ルパン三世やウルトラマンのキャラクター時計のようだ。

教員室から出てきたカン先生を女子児童が取り囲む。
児童・「ソンセンニムは、黒のチョゴリしか持っていないのですか?」
カン先生・「ブルーと…三着持っています」
児童・「黄先生の様なに明るいいろのチョゴリを着ればいいのに…」
カン先生・「今は学生だから黒いチョゴリを…」
今度は「ソンセンセム、耳どうされたのですか?」との質問だ。少しささくれだっているようだ。
しばらくして、話しかけてきた男子児童を後ろから抱きかかえ、頬をつまみ、やがて肩を組みながら一緒に数字を数え始めた。
実習に来て三週間すっかり児童とも慣れ親しんだようだ。児童の名前もよく覚えていた。でも、まだ先生と児童と言うより、良き姉のようだ。

そんな光景を後にして、6年生の教室にあがって行くと、黒板には「コマッスムニダ(ありがとうございます)」の大きな五文字が書かれていた。
紙吹雪も配られていた。昼食を兼ねた送別会の準備だ。
職員室の前の児童は、カン先生に気付かれないよう、立て続けに話しかけていたようだ。

以下次回