昨日は半日、東京の江東区にある東京朝鮮第2初級学校で過ごしました。
「コマウォ! ウリハッキョYAKINIKU-アーティスト・アクションin枝川」という長~い名称のイベントです。
一言でいうと、旧校舎とのお別れ会です。最終日の29日には、焼肉を食べながらのライブも催されます。
右手のレンガ色にみえる建物が新校舎、木に隠れた建物は旧校舎です。

1946年1月15日 枝川隣保館内に朝鮮学校(国語講習所)開設
…
1964年2月16日 新校舎完成―この「新校舎」というのが今回解体される旧校舎です。

「新校舎建設委員会事務所」に寄りました。

よりよい教育環境を作り出すため、いくつもの学校を訪れたようです。会議だけでも…
新校舎建設の経緯が写真とともに詳細に記されていました。*お宝です。

児童たちは「新校舎 いいないいな!」運動を繰り広げたようです。

各教室の黒板には、旧校舎への感謝の言葉がつづられていました。

壁にも「旧校舎ありがとう」「校舎は心の中に永遠に生きている」との文字が。
落書きではなく、「作品」です。

階段にも、「東京朝鮮第2初級学校 最高!」の文字が。

統一した朝鮮半島が描かれた「東京第2列車」には、
教職員と全校生47人の名前と思い出の写真が貼ってありました。。
6年生の名前は、上の窓に似顔絵ともに書かれています。

「あなたにとって朝鮮とは…」゜日本とは…」「東京とは…」「枝川とは…」
校舎と運動場全てが、児童と在日同胞と日本人の「作品」であふれていました。

金さんが、S大学の学生たちを
旧「枝川1の9」の朝鮮人部落の面影が残っているところを案内するというのでついて行きました。

「ジュウジョウ」と呼ばれる二階建の集合住宅です。トイレ、炊事場は共同です。

「ジュウジョウ」といのは、たたみ十畳で仕切られているからとの説明です。

同胞の「陳情」でできた「朝日児童公園」です。「あさひじどうこうえん」と仮名がふられていますが、
できた当初は「ちょうにちこうえん」と呼んでいたそうです。
51年前にきたというだけに、金さんは枝川の「生き字引」のような存在です。

正面が旧校舎で、新校舎は左手の二階建です。
地盤が軟らかいので、50メートルも杭を打ったとか、完全パイヤフリーだとか、
児童たちがいつでも元気に遊べるよう校舎の中心に体育館があるとか…
児童と学父母、教職員と地元同胞、それに韓国と日本の市民団体の「愛の結晶」です。

オープニングイベントです。まずは「비나리(ピナリ)。
「『빌다/ピルダ=祈る』祭事の祈り歌、呪術文。学校の未来とYAKINIKUの成功に祈りをささげる」と、
当日のパンフに書かれていました。
朝鮮半島では、ことがうまく運ぶように、豚の顔を飾ってオープニングセレモニーもします。
日本でも、店舗のオープンのときなどによくみかけます。この日は本物の豚の代わりに絵が準備されていました。
その豚に、お金を捧げるといいというので、私も右下の一万円ではなく、その下に千円を指し込みました。

「ウリハッキョに寄せる詩の朗読会」と続きます。
解放直後のドキュメンタリー映像を背景にした
河津聖恵さんと許玉汝さんによる「これがおれたちの学校だ」(ホ・ナムギ作)の朗読は圧巻でした。

他の出演者を携帯で撮りまくる河津さん、黄色い携帯が目立っていました。

ここでも…

「イオ」の記者は、出演者のアップを狙っているのか、
最前列で大きなカメラを構えていました。
12月27日の「日刊イオ」に「東京第2の校舎お別れイベント」というタイトルで書いてます。

引越しの準備も着々と進んでいるようです。

この学校にも、チュン・デセと共に東京第3の卒業生、アン・ヨンハクの色紙が飾られていました。

来年1月11日から解体工事は始まります。

年明け早々には、校名を刻んだ新たな看板がはめこまれるのでしょう。
ウリハッキョは、児童の学びの場だけではなく、地域同胞の出会いの場、拠り所、憩いの場でもあります。
新年の同胞の集いが新校舎で催されるとのポスターも貼られていました。

了
12月28日に少し書きこみました。