朝鮮学校のある風景-その七 八月はバスケとサッカーの中央大会 ④  | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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朝鮮学校のある風景-その七 
 
 
 
八月はバスケとサッカーの中央大会 ④                                                   
*9月中旬発売の「統一評論」10月号の連載に加筆した。
 
 
■夏休み、児童も先生も大忙し
 
 お盆の数日後、チェーサムの前を通ると、いつもの学校ならではのざわめきが聞こえない。運動場にも人影はない。校舎から運動場に通じる「東京朝鮮第三初級学校」と朝鮮文字がくり抜かれた鉄門も閉ざされたままだ。
 
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 炎天下、校舎から聞こえてくるのは、生い茂った樹木にとまったセミの鳴き声だけだった。
 
夏休みの学校、児童の姿がない学校を訪ねたのは初めてだった。先生たちも、家族と友人と、夏休みを楽しんでいるのだろうか、セミの忙しい鳴き声を聞きながら、ふと思った。
 
先生たちの夏休みは、思ったほど長くはない。終業式の翌日からクラブ活動がはじまり、それは八月上旬のバスケットボールとサッカーの中央大会までつづく。交代で日直、新学期の教材の準備と長編小説の読書感想文という「宿題」もある。始業式の一週間前からは、クラブ活動が再開される。先生たちは全員登校だ。
 
 男子は全員がサッカー部員、女子はバスケットボール部員であると同時に、民族楽器、現代器楽、舞踊、図工、クゴ(国語)部にも属している。
 
 いつも元気な梁先生は、「舞踊部の指導の時にはつい熱が入って、普段より大声が出ます」といっていた。民族楽器重奏団「民楽」の二〇周年記念演奏会に「友情出演」する朴先生が率いる民族楽器部の実力は? 現代器楽は平壌を訪問している黄先生に代わってだれが指導するのだろう? 国語部は早口言葉の練習でもするのだろうか?
 
クラブ活動に励む先児童たちの姿を見ようと、二日間学校に通った。
 
 この日も猛暑日だった。クラブ活動の担当を持たない金校長は二日間とも、校庭の樹木と「格闘」していた。一日目は高枝ハサミで校門の右手の樹木を切り、二日目は校舎の裏側で切り落とした枝木をかたづけていた。「戦いは当分続く」と語っていた。 
 
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 意外にも、運動場では、児童たちが成先生とボールを蹴っている。サッカー部の練習はないはずだが、サッカー好きは他の部活には興味がないようだ。図工の先生は時間講師なので、夏休みの間は図工部の部活は行われない。運動場でボールを追う児童の中には図工部員もいるのだろう。
 
 舞踊部-八月末の「独舞」の競演大会と秋の文化祭典、敬老会での出演を控え、特訓は続いていた。練習は三階の教室で行われていたが、窓が開けっぱなしだったこともあってか、梁先生の声は、運動場に立っていても聞こえた。
 
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 民族器楽部-あまりの暑さに楽器の接着部分が剥がれそうだと、朴先生。床に座り込んで楽譜を書きうつしている児童、多少のんびりムードが漂っていた。
 
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現代器楽部-黄先生のピンチヒッターは教務主任の金先生だった。吹奏楽部経験者、それも日本の全国大会に唯一出場した、いわば東京朝高の全盛期のトランぺットの奏者だというから驚きだ。休み時間なのだろう、男女とも朝鮮将棋に夢中になっていた。朝鮮将棋は三年生の社会科の時間に習ったという。
 
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クゴ(国語)部-運動会のときは競技の進行と案内に大活躍していたが、今は秋の作文コンクールを目指し創作中、四人の児童が先生と向き合い、何か話している。この教室の時間はゆっくり流れているようだった。
 
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「八月六日の午前一一時から一二時半まで、国会前の新しい議員会館前で高校無償化を朝鮮高校に適用することを求めて座り込みをします。ご一緒に参加できる方はご連絡ください」とのメールに応え、現場に着く。
 
横断幕を見て初めて主催が「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」だと知る。宝塚から三、四人、メールを見ての参加者を合わせても、一〇人に満たない小さなデモに、東京在住の在日二世の一人として加わった。
 
隣では、「日韓併合百年謝罪談話絶対阻止」を叫び一団がチラシを撒いていた。
 
「宝塚市民の会」のメンバーは、署名運動で出会った朝高生や学父母と接する中で、新しい「発見」があったこと、宝塚に朝鮮の小学校があったころには、交流も盛んに行われていて、学校存続を求める署名運動にも参加したことなどを話してくれた。
 
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 記録によると、宝塚朝鮮初級学校の前身は、一九四六年三月に川辺郡小浜村安倉でスタートした国語講習所である。四八年に五つの初等学校を統合して朝聯宝塚中央初等学院ができ、一九五六年に宝塚朝鮮初級学校に改名された。一九六五年には新校舎を竣工している。隣接する伊丹初級学校と統合されたのは二〇〇二年だ。その前年、地元市民が「学校の存続を願う会」を結成し、▲市が土地を購入して貸付する、▲助成金を増額する―などを求める署名運動に取り組み、五ヶ月間で七千七五四名の署名を集めた。
 
朝鮮学校は、在日同胞にとってかけがえのない学びの場であるばかりか、日本の市民にとっても、「友好と共生の象徴的存在」(上記、「学校の存続を願う会」)として、尊重されているのだ。
 
朝鮮高校の学費無償化の結論が九月に先送りされた。朝鮮学校の除外は、日本人からもその「存在」を奪うことにつながることになる。(キム・イルウ ウリハッキョを記録する会・一粒出版www4.ocn.ne.jp/~uil/p.htm)
 
 
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■シリーズ・朝鮮学校の歩み
Ⅰ「私たちの東京朝鮮第三初級学校物語」(一九四五~六七年・証言編)
Ⅱ「朝鮮学校は民族、統一、共同体の価値を持つ宝庫」(ソウル発インターネット新聞の特集)
Ⅲ「復刻版・東京朝鮮中高草創期十年史」
Ⅳ~Ⅵ「ぼくらの旗-君はあの頃(都立)の東京朝高生を知っているか?(三部作)
Ⅶ「私の中の一九四八年朝鮮人学校教育事件-アメリカ占領軍に抗して」
Ⅷ「続・私たちの東京朝鮮第三初級学校物語」(一九四五~二〇〇九年・体験記録編)
 
在日のこれまでと今を本に一粒(한알)出版
ウリハッキョを記録する会
 
TEL.FAX 03-6279-3356
www4.ocn.ne.jp/~uil/tokyo3.htm