朝鮮学校のある風景-その2 ①「二か月遅れ?」の成人式 | トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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朝鮮学校のある風景-その2
3月は二か月遅れの成人式に卒業式
 
 
「高校無償化」から朝鮮学校を排除しようという動きに反対する3・27緊急活動が行われた。参加を促すメールに誘われ、代々木公園での集会とデモに参加した。メールには、三七の団体が実行委員会に名を連ねていたが、会場で配られたリーフレットには六五団体の名がぎっしりと書かれていた。当日の主催者の報告によると、参加団体はさらに四つ増えたとのことだ。
会場から渋谷駅まで、神奈川と東京の朝高生の両脇を日本の市民と学父母が挟むようにして、デモに移る。
「子どもは平等だ」、「教育の差別に反対」、「日本社会の友人を苦しめるな」、「日本人は生徒と連帯するぞ」 
晴天、週末の繁華街とあって、通行人も多い。こんな体験ははじめてなのだろうか、スタート地点では、伏し目がちで、声も出なかった朝高生だったが、丸井のビルが見えるころになると、元気いっぱい、こぶしを振り上げていた。
翌日、メールの主のブログには、「強く、暖かく、そしてゆるぎない連帯を、肌で感じる集会・デモだったと思います」と、前日の緊急行動の様子が詳しく書かれていた。
「朝高生と一緒に、車道を、大声を出して歩いて、元気になって帰宅しました。こんなことなかったら、学生たちはただポーッと学園生活を送ったのでしょうが、渋谷までのほんの二キロ、歩くことによって『逞しいチョソンサラム』として育ってしまうのですね」というのは私の感想を書き込む。すると、三〇分もしないで、「今の高校生は昔の目に見える差別は無い中で、ともすると『日本人と一緒』とか、『日本の学校と変わらない』ということが当たり前にあると錯覚しながら生活していたのかも知れません。今回の無償化除外問題で差別について身をもって感じているのではと思います」との答えがあっぷされた。
 
■「二か月遅れ?」の成人式
今年、成人した二〇〇二年卒の五五期生が母校に集うと聞いて学校を訪ねた。「二か月遅れの成人式」というのは、成人した卒業生が先生と父母に感謝する謝恩会だったのだ。
 校長室に打ち合わせに来た卒業生に取材の了解を得ていたためか、前方の教職員のテーブルに案内された。校長の左隣だ。三年前に赴任してきた金校長だが、前任地の東京朝中でその何人かを教えたと語っていた。右隣に座った教務主任の康先生は卒業時の担任、その隣に座った秦先生は三年生の頃の担任だ。斜め前に座った男性の秦先生は、廊下で「先生ってこんなに小柄でしたっけ…」、「ご結婚おめでとう」と、卒業生に囲まれ、楽しいそうに話していた。四年と五年のときの担任だ。少し遅れて三〇余年をチェーサムと共にした名物先生、李先生と高先生、教育会の洪先生が席に着く。
 謝恩会は、成人を迎えた卒業生の両親と恩師への感謝の言葉で始まり、参加することができなかった先生からの「民族の魂を育んでくれたウリハッキョ(私たちの学校)こそが、忘れてはならない故郷だ」とのメッセージが朗読され、父母代表や金校長の励ましの言葉とつづく。
 「東京で一番小さな学校が、いまでは最も児童数が多い学校になれたのも、卒業生の頑張りがあったからだ」という校長の言葉に、卒業生の中からは「これからも頑張って、学校を守ってください」との励ましの拍手がわいた。
 図工の張先生から送られてきた「第五五期卒業生の成人をお祝いします」という文字の下に、彼らが卒業した年に描いた絵を並べたポスターが各テーブルを回る。
「うれしい」「これは○○トンムの絵だ」歓声が上がる。
 
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元図工の担当先生による激励のポスター
 
 李先生は、このような集まりは三度か、四度目だが、女子が全員チマチョゴリを着て参加したのは、今回が初めてだと、「イェプダ(可愛らしい)」を連発していた。卒業生たちが前日から準備に大忙しだったことを知っている高先生は、少しぱさついた焼きそばやチャーハンを盛んに勧めていた。
 普段から口数が少ないのか、感慨深かったのか、二人の秦先生は、司会進行役の卒業生の顔をみつめていた。
舞台では「心をひとつに、ホワイトボードゲーム」が始まる。卒業生と親が分かれ、質問の答えをそれぞれボードに書く。当たれば「화려한 선물(華麗な商品)」がもらえるとの司会者の言葉に、「もしかしてハワイ旅行?」という、欲張りな声が飛ぶ。
「オモニの得意な料理は?」
「直してほしいところは?」
一組三問ずつ、二問当たれば「華麗な商品」だ。
 誕生日を聞かれ、「歳が分かってしまうから、月日だけにしましょう」といったオモニの誕生日が故金日成主席と同じ「四月一五日」だったので、場内がざわめく。
 父母と卒業生の対戦が、そのオモニとアボジとの対戦にかわった。サプライズである。
質問は、結婚を決意したきっかけである。おしゃべりは一時中断、全員の視線が集まる中、アボジは「妥協」、「押しまくられて」とのオモニの答えに場内は、爆笑の渦である。
「華麗な賞品」として、洗剤にもう一つ、「サランラップ」が付けられると再び大きな拍手だ。「サラン」とは朝鮮語で「사랑()」、その愛をラップしなさいとの子供たちからのプレゼントだ。
卒業生が四年生当時の総合公演、歌と話「私たち明日に生きます」の動画が流される。「私は先生になります」、「私は看護婦になります」「私は○○に…」ひとりずつ将来の希望を述べる場面が次々とクローズアップされる。そんな中、参加者全員が舞台に上がり、「今何をしているか」、「これから何をするか」を語りだす。
・日本の大学で経営学を学んでいる。将来は飲食業に就きたいと思う。
・スポーツトレーナーを目指して、専門学校に行っている。
・日本の大学を卒業したら、アパレル、ファッション関係の職に就きたいと思う。
・結婚式場やフレンチレストランで働きながら音楽の専門学校に通っている。将来はそっち関係でデビューしたい。
・看護師をめざして、日本の大学で勉強している。
・希望は、早く結婚すること。
・朝大を卒業したら、同胞社会の担い手として頑張る。
・朝大の経営学部三年。今は、専攻の勉強に勤しんでいる。
・今年朝大を卒業して、大阪府下の朝鮮の幼稚園の先生になる。
・朝大の経営学部にいる。
・経営学部で学んでいる。
・政経学部を卒業したら、同胞の力になれることをしたいと思う。
・自分に合う仕事を探している。
・働いている。歌手をめざしている。あと一年スネをかじらせてください。
・遠回りしたことを無駄にしないで、夢に一歩一歩近づき、在日であることを隠さず、プロのモデルを目指す。
・バイトをしながら、人のためになることを探している。
・朝大の理学部にいる。大学院に進学して教師になりたい。
自分の子の番になると、アボジは緊張するが、オモニの顔は緩みっぱなしである。
誰もが進むべき道を自分一人ではなく、ウリ、私たちの社会と結び付け、朝鮮人として、何か役立つことをしたいという。頼もしい限りだ。
マイクを回され、すぐに言葉が出ないトンムがいる。「○○トンム、ゆっくり考えて話しなさい」とアドバイスを送る康先生。「早くお嫁にいきたい」との言葉には、「かっこいいチョソンの青年を紹介するわ」との言葉が飛ぶ。
数日後には大阪の保育園の先生として赴任するという男の子にはひときわ大きな拍手がわく。
そして、合唱へとつづく。
 
바위처럼 살아가 보자
모진 비바람이 몰아친대도
어떤 유혹의 손길에도
흔들림없는 바위처럼 살자꾸나
 
(岩のように生きてみよう
激しい雨風が吹きすさもうと
いかなる誘惑の手が延びてこようと
揺るがぬ岩のように生きてみよう)
 
「岩のように」に、つづいて「こだま」である。
 
……
곁에는 언제나 누가 있었지
손잡아 이끌어주신 부모님모습
한번만 노하신 선생님
언제나 함께 울고 웃던 친구들
……
(そばにはいつも誰かがいた
手を握り導いてくれた両親の姿
一度だけ怒った先生
いつも共に泣き笑った親友)
 
 
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決意も新たに合唱
 
卒業生は一九人、三人から「参加できず」との連絡があったと聞いている。何度数えても一人多い。小学校の時に荒川区の第一に転校していったトンムも参加したとのことだった。転校していったトンムのことも忘れない、ウリハッキョといのはいいものだ。
卒業生代表のオモニへの感謝の言葉に、あらたまった表情の参加者一同、最後は、先生たちの贈る言葉だ。
まずは、今年はあいさつの準備をしてきたという秦先生だ。一〇年前、一〇年後の社会は良くなっているはずだと話したが、残念ながらそうなっていない。これからどのように生きようとしているのか、もう一度自問自答してほしい、各自行く道が違っても、いつもウリハッキョが見守っているということを忘れないでほしい。
もう一人の女性の秦先生は、担任をしたとき初産した。トンムたちからたくさんの元気をもらって、無事出産することができ、その娘が四年生になった。これからもウリハッキョを忘れず、朝鮮人として成長していってほしい。
高先生は、二十歳になったのだから、言動に責任をもって、自分の人生なのだから自分で切り開いていくべきだと諭すように語る。六年生の時に社会を教えた李先生は、自らの力を信じて、希望を捨てずに生きてほしいと述べた。
康先生の番になると、それまで立ったままで聞いていた卒業生たちが「康先生の話はいつも長いから」と、一斉に席に着く。
まず、児童が卒業記念に運動場の壁に描いた絵を補修のため撤去しなければならなかったことを残念がる。背伸びできるのも両親のおかげだということ、そしていつでもトンムたちを温かく迎え入れてくれる家族とウリハッキョ、地元の同胞社会があることを忘れずに、地にしっかり足をつけて歩んでいってほしいとと語った。
卒業生の目は真剣だ。それを見守る両親の顔も自然とひきしまる。
二〇〇八年三月に初めてこのような催しを行ったとき、実行委員長を務めたホン青年は「後輩たちが受け継いでくれると信じている。これからも、母校のために尽力したい」と語っていたが、その気持ちは立派に受け継がれているようだ。
この日、卒業生の全員に、学校の歩みがつづられた『続・私たちの東京朝鮮第三初級学校物語』がプレゼントされた。
 
 
 
■涙と笑いの卒業式(次回)
 
 
 
 
 
■シリーズ・朝鮮学校の歩みⅧ「続・東京朝鮮第三初級学校物語」(体験記録編・一九四五~二〇〇九年)刊行のお知らせ
 二〇〇七年刊行の「物語」の続編。草創期から現在に至るまでの児童・学父母・教職員の体験記録と児童の作文・アンケート調査の結果などを収録。
 
目次・内容などは 
www4.ocn.ne.jp/~uil/tokyo3.htm
 A五判・三九〇頁・頒価二、八六〇円
 一粒出版 TEL.FAX 03-6279-3356
uil21@yahoo.co.jp
 
 
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