昨夜、河村尚子さんのピアノリサイタルに行った。
ベートーヴェンのピアノソナタを14作品、4回に分けて演奏する、その第1回目の夕べだった。
私は、河村尚子さんのピアノが好きだ。
これまで主に彼女の演奏に接したのは、N響の定期公演で、そこで様々な協奏曲のソリストとして聴いてきたが、毎回「なんて心地よく魅力あるピアノだろう!!」と、大きく拍手を送ってきた。
とはいえ、そこから更に前進して、彼女個人のリサイタルに出掛けることはなかったのだが、今回のプログラムを知った時、「これは絶対に行かねば」と思った。
演目はベートーヴェンの数ある名曲の中でも、極めてポピュラーなものだけれど、それだけに、本当の名演にはなかなか遭遇できない難物。
でもきっと河村さんなら、めったに聴けない音楽を届けてくれるはず…と期待した。
四ツ谷駅から紀尾井ホールに向かう道沿いには、紫陽花が咲きはじめた。
昼間の暑さは去り、夕方の風が爽やかだ。
雨降りや極寒の日に向かうと、ちょっと苦痛に感じる紀尾井ホールだけれど、こんな穏やかな日に歩くには絶好の道で、しかも先に極上ベートーヴェンが待っていると思うと、うきうき心弾んだ。
河村尚子
ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ・プロジェクト Vol.1 (全4回)
2018年6月1日(金)19:00〜
紀尾井ホール
ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 Op. 7
ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 Op. 13「悲愴」
ピアノ・ソナタ 第7番 二長調 Op. 10-3
ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op. 27-2「月光」
客席は、ほぼ満席。
しかも、しばしばピアノリサイタルで見かける、美男か美女のピアニスト追っかけミーハーファン的な客層ではなく、じっくり河村尚子の音楽を聴きに来た人々だ。
河村さんは、昔から非常に愛くるしくチャーミングな女性だけれども、それ以上に実力が優るピアニストだ。
これは私の勝手なイメージだけれど、彼女のピアノは、バレエの吉田都さんの踊りと似ている。
とても強靭なのに柔らかく、その人にしかない個性に満ちているのに、押しつけがましさとは無縁で心地良く刺激的なのだ。
昨日のプログラムからも、まさにそれを体感させられた。
まずなんと言っても、「悲愴」の第1楽章冒頭が素晴らしかった。
あの「fp」は、凄い。
あれには胸を一撃された。
同じワザは、後半の第7番でも聴かせてもらったけれど、ここまで音楽的に昇華されたピアノの「fp」を、私は初めて聴いたような気がした。
それだけではない。
有名な第2楽章を、ああもサラッと歌って「歌」になるピアニストって、いったいどれだけ存在するのだろう?
「月光」の第1楽章にしても、彼女は歌い過ぎることがなく、まるで自分の魂の真ん中まで磨いた核だけを取り出してみせているだけ…というような様子だった。
これは第4番の第2楽章から、緩徐楽章で貫かれた姿勢で、低音の和声が、こうも伸びやかに響きあう瞬間には、なかなか出会えないと感動した。
技巧の素晴らしさは言うまでもなく、あらゆる苦労の跡を全く感じさせず、ただ自由な美がそこにある点が、まさにバレエの吉田都さんと同じ。
「月光」の第3楽章に、こんなに包み込まれたことがあっただろうか?
空気中に自然と湧いたような音と光の洪水に、ただ身をまかせる気持ちの良さを、どう表現したらよいものか…
それにだ!
河村尚子さんは、舞台上でのレヴェランスが素晴らしい!
飾りっ気なしの笑顔、スッと自然に存在する姿の、なんとエレガントなことか。
この人に、この音楽あり…ということか。
アンコールにはドビュッシーの「月の光」を弾かれたけれど、こちらも素晴らしかった。
この数分間は、紀尾井ホールの空気が一変した。
しかし凄いのはここからだ。
ベートーヴェンとは正反対なドビュッシーの名曲を堪能して尚、さっきまで心を満たしたベートーヴェンは、一欠片も出て行かなかった。
河村尚子さんのベートーヴェン、ピアノソナタのシリーズ2回目は、11月29日(木)19:00〜で、演目は「ワルトシュタイン」や「熱情」など。
チケットの発売は今日からとのこと。
都合がつく限り、私は絶対に聴きに行くつもりだ。