先々週だったか… たまたま付けたテレビで、中原中也の詩が特集されていた。
その中で朗読されていた、「夏の夜の博覧会は かなしからずや」という作品に、いきなりグワッと胸を鷲掴みされる。
なんと、たまたま付けたテレビに数分で泣かされ、ティッシュの箱を探しまわったのだから…おそるべし中原中也…
この「夏の夜の博覧会は かなしからずや」は、未発表の作品だったらしい。
最愛の息子を病気で亡くした中原中也が、幼子との楽しかった時を、個人的に綴ったノートから、没後に出版されたそうだ。
とにかく不思議な詩で、本来とても楽しい思い出である博覧会や遊園地、動物園や買い物の記述のあとに、必ず「かなしからずや」と続く。
何も知らずに読めば、「そりゃそうでしょう、悲しいはずないよ。楽しいことばかりだもの」と思うわけだが、それらの記憶が全て亡くなった幼い息子に繋がる中也からしたら、そうして何度も「かなしからずや」と打ち消さなければいられない。
この詩の舞台は、上野公園だ。
広小路や、不忍池も登場する。
私には、長年ものすごく身近な場所だ。
中也の息子は、不忍池が、生涯で一番大きな水…だったらしい。
幼子の柔らかい髪の毛が、水面を通ってくる風にフワフワと揺れるのは、なんと可愛らしかったことだろう。
当時も、夏の不忍池には蓮は咲いていたのだろうか?
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これは昨年の夏の盛り。
中也親子も、あの弁天堂がある島は眺めている。
当時の不忍池は、今のように桜並木の遊歩道は無く、その代わりに、弁天堂から両岸に1本の長い橋が架かっていた。
今はもう、この「観月橋」は無く、貸しボートの池が広がっている。
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ちょうどこの写真を撮った岸辺から、対岸のボート小屋に向かって「観月橋」はあった。
不忍池って、実際に私が知る限りでも、けっこう変遷があるのだけれど、戦時中は水を抜いて畑にされていたり、その前には外周で「競馬」を開催してたこともあるらしい!
なんでも鹿鳴館が華やかなりし頃のことだそうで、ようするに西欧の貴族文化を真似て「競馬 & 社交界」をやってみたわけだが、費用が掛かるばかりで頓挫したとのことだ。
おそらく、その時に整備した外周が、今は広い遊歩道になっているのかも。
それにしても…中原中也…
大人になっても、結婚しても、子供ができてからも、ずーっと故郷の母から仕送りを受けていたらしい。
詩人…だ。
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