東条side 23-1.


水でふやけた箱らしき物が目の前に置かれている時点では。

これから目の前の君に何を言われるか、全く見当も付かなかった。


*******


トンッ


「なんだよ、これ...え、目薬か?」


ギリギリ原型を留めている外箱の蓋は開いていて、なんなら中身の保護袋も封を切られている。


「お前さ、なに、嫌がらせかよ?」


ハハッ、と乾いた笑いを遮る、鋭い指摘。


「私の手の傷のこと、気付いてましたよね?」


おっと...

これは。


「そりゃ何かしら怪我してるのは分かってたよ」


ゆっくりと首を横に振るしぐさ。

自分の置かれた状況を無視して、揺れるその髪を眺めていたくなる。


「彼に...ジンに話しましたね?」


...わー...


「なんのこと...」


バンッ


机を平手打ちできるのは、今が終業後で研究エリアに俺と瑞上のたった二人だからだろう。


「二人で何をコソコソ話してたんですか?私のことですよね?」


彼氏くん...

弱ぇなぁ...

瑞上に詰め寄られたかなんかで、何もかも吐いちまったのか。


「そのせいで、この目薬はこんなことになりました」


は...?

分かんねぇ...

詳しく聞きたくもないけど。


「すごい心配してたぞ、彼氏くん。お前ちゃんと話し合った方が...」


わざと仰々しく話す俺に、瑞上の攻撃的な視線は緩まない。

...

謝るのか、俺が?


「ひどいですよ、先輩。何もかも分かった上で分からないフリして、私に接してたなんて」


一体いつからのこと、言ってるんだろうな。

分かっていながら敢えてお前を泳がせた、なんてこと。

良いことも、悪いことも。

出会ってから、ずっとだ。


「恥ずかし過ぎます...」


「恥ずかしがることねぇよ。お前はお前のやり方で乗り越えようとしてたんだろ、過去を」


瑞上は俯き、やり場のない気持ちを白衣の袖に向けている。


そういうところ。

見た目も相まって院生の頃と変わらなさ過ぎて。


お前こそ。

俺の目の前で、ずっとタイムリープしてるんじゃないかと思うよ。


「で?その様子じゃ彼氏くんとなんか進展あったんだろ」


金曜の夕方。

瑞上がジャケットを置いたまま退所したのが気になっていたが。

まさか、その結果が今なのか。


俺を見上げた顔が少し綻んで見えたのは、勘違いではなさそうだ。


「ちゃんと...話しました。これまでのこと、これからのこと」


ほぅ...


「全てをうまく説明することはできないんですけどっ...」


「はっ!いらねーよ、そんなノロケ話。俺は、お前が研究に集中して成果を上げさえすれば何も文句言うことないから」


本音だ。

建前が、本音に成り代わっているんだ。


その手の、指の傷はこれから良くなっていく方向なんだよな?

もう心配させてくれるなよ、瑞上。


「先輩、あの...私が嘘ついてた間、何も言わないで、ずっとそばにいてくれてありがとうございました」


深々と下げた、小さな頭。

本当に、よく頑張ったよ。

撫でてやりたいけど、もうそれは出来なさそうだ。


そばにいられる相手が、完全に俺でなくなったから。


今度こそ。

ちゃんと彼氏くんとうまくやってくれよ。

お前が幸せじゃなきゃ、俺は安心できないんだから。


「別に...上司として部下の精神状態を把握してそれに応じて対処したまでだよ」


はい、と返事した声は消え入りそうなほどだったが、微かに微笑んだその顔には小さな花が咲いたようだった。


→つづく