東条side⑩-2.
→つづき
『彼の心が芯から壊れる前に何か手を打たなきゃならんな』
腰を落ち着かせてコーヒーを飲めたのは、空が白んできた頃だった。
『ヒョン。もう無理だよ。彼を救うには意識転送しか...』
『簡単に言うな』
穏やかな口調ながら、ヒョンの瞳は俺の発言を十分に諌めた。
『だけど、このまま放っておく方が危なくないか?自分で命を絶ちかねない。さすがにそれは研究所としてもまずいし、かと言ってずっとこのまま監護室で面倒みるわけにもいかないだろ?』
『父親がいただろう。引き取ってもらえないのか?』
政界に通じる名前から、政府機関が秘密裏に行っていたタイムリープで息子が気をおかしくした、なんてネタが流れてみろ。
ヒョン、研究所潰れるぞ。
『無理だね。無理なんだよ、もう。意識転送しかない』
『しかし...瑞上さんの記憶がここまで薄れてるのは何故なんだ?いくら心と脳のバランスを崩したからって彼女の記憶だけ抜け落ちるなんてこと...』
その答えはNOTESにあった。
『友人を救った後、過去の「彼女」に贈るために買ってたんだよ、花を』
『まさかっ、スメラルドかっ?』
勢い余って立派な口髭をコーヒーで濡らしたヒョンが、慌ててハンカチで拭う。
観賞用として人気の高い花だが、オフシーズンと呼ばれる時季のスメラルドの花粉による意識混濁効果は、ユリの持つ催眠効果より遥かに高い。
あまりにも危険で扱いが難しいため、研究所内の人間にはユリ優勢と伝え、タイムリープでもユリを使用している。
研究者の中にスメラルドの持つ恐ろしさを知った者が悪用しかねない、とヒョンはスメラルドに関する情報をひた隠しにしていた。
オフシーズンのスメラルドは日持ちが悪いが、そのかわいらしい様子がゆえ、市場に出回ることもある。
彼はその花粉を、「彼女」が交通事故に遭う前後に恐らく大量に吸い込んだのだろう。
そのタイミングで、幻と化していた「現在」の瑞上に関する記憶が抜け落ちてしまったと推測している。
『ヒョン。俺が守りたいのは彼じゃない。瑞上なんだ』
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「それで、お前の承諾が必要なんだ」
「どっ...どうしてですかっ...もうジンと先輩で話進めて決まってるんですよね?私なんかいてもいなくても...私の気持ちなんかっ...」
そうだよな。
今のお前の気持ちを、あいつも俺も汲めてない。
でも信じてくれ。
これが、お前を守ることになるんだ。
「お前の承諾がいるんだよ...家族だろう?」
敢えて、ずるい言い方をした。
意識転送するなら、家族の同意をもらってくることが条件だ、とヒョンから強く言われてしまった。
父親に何からどう説明するか悩んでいた時に、ふと思い出した。
被験者家族同意の欄には、瑞上がサインしたんだった。
情の深い瑞上なら、きっと同意する。
家族、という言葉に俺の悪意を包み込ませた。
「ジンを...過去へ切り離すことに同意します...」
瑞上。
待っててくれ。
この選択が間違っていなかったと、俺が絶対に証明してみせるから。