東条side②-2.
→つづき
「母さんの最後のわがまま。今から言うから、うん、って返事して」
母が、こういう年甲斐のない、甘えたような発言をするのも久しぶりだ。
「はっ!?何言おうとしてんだよ」
泣いたと分からないように顔を洗って目の赤みが引くまで待っていたら、研究所に戻るのがかなり遅くなった。
その間に、親父も日本から到着したようだ。
「変なこと言うなよ?俺、母さんのこと助けたいけど、だからってなんでも言うこと聞くわけじゃ...」
「もう一回、家族をやり直したい」
え...?
「あなた...反抗期すごかったじゃない?昔の話じゃないわ、今も反抗期よ、もうずっと!」
呆れた、と言わんばかり。
吐き捨てるような言い方で母が続けた。
「寂しかったよ、ずっと。母さんも父さんも。だけど、あなたの人生だから。あなたの生き方や時間を邪魔しちゃいけないって見守ることに決めてたのよ。でもね...」
言葉に詰まる母の肩を抱き、親父が代わりに話し始めた。
「タイムリープで過去へ行こう、家族3人で」
「は...?何言って...」
「時間を取り戻したいんだ。家族3人で、もう一度。別にずっと母さんにベタベタくっついてやれ、なんて言わない。だけどな、お前が他に費やした、母さんと過ごせるはずだった時間を母さんに返してやってほしいんだ」
俺が...
他に費やした...
そうか。
俺が敢えて距離を取ってるってバレてたんだな。
「もちろん、いま通う大学で研究がまた出来るよう勉学には励めばいい。でも...ほら、なんだ...もう少し...」
「母さんと一緒の時間を...」
涙で喉が詰まる。
さっき、子どもみたく泣き上げた体から、まだ感情が溢れ出す。
「無理にとは言わない。でもね、母さんの期限が迫っていることは確かなのよ」
母さんの期限。
余命、ということか。
『姉さんの今の体力じゃ、本当はタイムリープなんてさせられないんだ。だけど、お義兄さんとお前だけが過去に行ったって、こっちに残った姉さんの心が満たされるかどうかは、正直分からないからな』
タイムリープは遡る月日が長くなるほど体に負担がかかるそうだ。
母の体力を考慮すると、目指せる過去は三年前。
病気が発症する前後だ。
俺が...
もっと親父の話に耳を傾けていれば。
でも。
後悔している時間はない。
過去へ行けるなら、いま行けるギリギリのところまで。
少しでも家族の時間を長く。
『帰ろう、3人で』
母の手を取る。
こんなに冷たく、小さかったか...
『ありがとう...ありがとう...』
母を優しく見つめる親父の目尻の皺に涙が伝う。
そうか。
気付かなかった。
孝行なんて、いつからやったっていい。
むしろ、あとでまとめてやれるもんじゃない。
一日、一日。
この二人のおかげで俺は生きているんだと感謝すべきだった。
そしてそれを。
ちゃんと伝えるべきだったんだ。
まだ、それをやれるチャンスが俺にあるなら。
もう手放しちゃいけない。
目の前にいる、両親のために。
『ヒョン、よろしく頼むよ』
『おっ。なんだよ懐かしいな、その呼ばれ方』
嬉しそうに、ニカッと笑う叔父の顔は安堵に満ちていた。
それから三日後、母、親父、そして俺はタイムリープの最中に意識の切り離しを行い、無事に三年前にたどり着いた。
既に母は病気を発症していたが、足繁く病院に通い、家族として、できる限りのことをした。
母がやりたいことはなんでもした。
どこへでも付き合ったし、なんでも食べた。
しかし、なぜか韓国へは墓参りに数えるられほど帰っただけだった。
「父さんと出会って結婚して、あなたを産んで育てた。もうここが、私の故郷なのよ」
それは強がりではなく、本心だと思った。
こんなに穏やかで優しくて美しい横顔。
俺は今後、他の誰にも見ることはないだろう。
俺が大学院で博士課程を修了した春。
母は命の期限を最大限に引き延ばし、淡い空へと旅立った。