29-1.


ねぇジン。

「分からない」の中で過ごすのはもう限界だよ...



ジンの「僕の彼女」発言は、過去の壮絶な体験からくる一過性の混乱によるものだと助手たちの間では片付けられた。


ジンが「彼女」と言ったのは8回目の試験。

それを含めた直近3回の試験結果や脳波データを片っ端から確認する。


何かあったはずだ。

どこかで現在と過去との境目が分からなくなるくらいの出来事が、何か...



ジンは覚醒後の検査でやや意識の混濁は見られたが、その後のレポートもいつも通り完璧に提出された。

やはり、今回の試験でもジョングクを救うには至らなかったようだ。


幾度となく目を通した資料には、もう穴が開くかもしれない。

私がジンの状態を知れるのは、細かに羅列された数値だけだと思うと、数字ひとつひとつにも意味を見出してしまいそうだ。



「おい」


頭上から声が落ちてきた。

東条先輩だ。


「ちょっと話あんだよな。コーヒー奢ってくれよ」


「誘われた私が、なんで奢るんですか」


少し...イライラする。

だめ、当たってる。

この気持ちはジンにぶつけなきゃ意味ないのに。


「いいから。ちょっと来いって」


手元の資料を取り上げられた私は苛立ちを隠せなかった。


「やめてください!...休憩ならお一人でどうぞ」


NOTES使うか?」


その言葉に即座に反応した私は、先輩の顔を見ながら立ち上がり、レストスペースへ早足で向かった。


自販機でコーヒーとミネラルウォーターを買い、先輩にコーヒーを手渡した。


NOTESって...使ってもいいんですか?」


「うん」


「どうして...


NOTESの使用には被験者の同意も必要だ。

今の、何かを隠そうとしているジンが首を縦に振るわけがない。


72時間の長時間試験はごく稀だから、この前の上長会議で所内特別監査試験として取り扱われることが決まったんだ」


......


「ははっ、はてなだよな。所内で対象試験にNOTES使用が妥当だと認められれば可否の決裁権は研究所に帰属するってことだよ」


ジンの意志に関係なく、NOTESを使える...

ジンの過去での行動や...

「彼女」についても分かる...


...っ」


「ちょっ...瑞上っ!?泣くなよっ...


口に出せない、嫉妬や不安が沸き上がる毎日に疲弊してたのか、言葉の代わりに涙が溢れてきた。


ジンと何度も話そうとした。

だけど、私の顔を見ても、ジンの表情が変わらないのだ。

嬉しそうでも、怒ってもいない。

私を通して誰かを見ているわけでもない。


私が見えていないような気になるのだ。


昨日ジンに電話した時に、


『あ、研究所の...


と言われた時には膝から崩れ落ちた。


ジンの中で「私」が消えかけている。

「彼女」を上書きされそうだ。


いや。

もしかしたら、私を「彼女」に上書きしてしまっていたのかもしれない。


つづく