13.
ねぇジン。
気をつけて行ってきてね。
私は大丈夫だから。
そして出来れば、早く帰ってきてね。
試験室の試験台、と言ってもとても寝心地の良い高級ベッドに横たわるジンは、まさに眠れる森の美...男子である。
試験助手の女性はもちろん、そこの君も見惚れてないかい...?
性別年齢問わず、ジンが人を虜にする瞬間をこんな時まで見せつけられるとは。
『被験者No.613 キム・ソクジンさん、これから脳波計を頭部に取り付けます』
女性助手に視線を送ると、顔を真っ赤にしながらジンに脳波計を取り付ける。
手が震えていてベルトを締め損ねた。
『僕は大丈夫ですから、ゆっくりしてくださいね』
森の美男子の笑顔にそのまま崩れ落ちるのではないかと心配になったが、彼女は仕事をやり終えた。
『カッコ良すぎて緊張して息できなかった...瑞上さん毎日どうやってこの人と向き合ってるんですか』
今、言うことじゃない。
雑談と捉えた東条先輩が睨みを効かせ、彼女はそそくさと壁際へ退散した。
さぁ、これからよ。
『キム・ソクジンさん、できるだけリラックスしてください。ご自分の戻りたい過去の出来事、会いたい人、よく訪れた場所など焦らずゆっくり思い出してください』
『ヌナ...』
手を取ろうとしたジンに気付かない振りをして手元のモバイルパッドに目を落とした。
だめだよ。
今、ジンに触れたら。
行かないで、って言ってしまうかもしれない。
こんな間際になっても心が決まらない程、本当は不安定だったんだ。
自分で自分の気持ちに、ここまで気付けないなんて私も相当きてる。
行き場を失った手は元の位置へ戻り、ジンはゆっくり目を閉じた。
ジンの口元に呼吸器を当てがう。
意識を切り離すにはかなりの深い眠りが必要だ。
眠りを誘発するのに使うのが、ユリの花から抽出したエキスを使った睡眠導入剤だ。
ユリの花粉には童心に還すほどの強い催眠効果がある。
それを害の無いギリギリのラインまで体内に蔓延させ、脳以外の全機能を低下、そのまま保持する。
それゆえ、被験者の監視態勢は万全でなければならない。
私は出来るだけ、ジンの顔を見ないようにした。
モバイルパッドの波形や数値を見ればジンの様子は手に取るように分かる。
心配ない。
順調だ。
まもなくジンの意識は、切り離された。
私と東条先輩は約一時間、脳波計を隈なく確認し続け、東条先輩が手を軽く上げた。
『もういいだろう。呼吸器を外してくれ』
ジンは過去へと辿り着いた。
この瞬間にやっと安堵の声が漏れる。
被験者の中には過去への辿り着けなかったり、辿り着いても過去の自分と結びつけられなかったりするケースもある。
泣く泣く、今へと戻されるのだ。
『被験者No.613、バイタル、脳波ともに安定してます。良かったですね、瑞上さん』
助手の弾んだ声に、弱く頷く。
本当に大丈夫かな...
波形の沈みが少し浅い気がする。
もっと深く、底に着くほどに深くてもいいはずだ。
じわじわと波形線が浮つく。
「東条先輩っ!!」
私の声と同時にジンの体が大きくびくつく。
顔色がみるみる青ざめていく。
やっぱり結び付きがうまくいってなかったんだっ...
『呼吸器当てて!睡眠導入剤濃度上げて!バイタルサイン絶対に目を離すな!』
東条先輩が叫びながら指示を出す。
えっ...目覚めさせないの?
このまま試験続けるの?
「東条先輩、危険です!目覚めさせましょう!」
必死になって涙目で叫ぶ私の肩を東条先輩が掴む。
「ダメだ、彼はすごく中途半端な、現在と過去の間にいる。意識はかろうじて過去の方が近い。このまま過去へもう一度飛ばしてやるしかない」
東条先輩の静かな説得と力強い眼差しに何も抵抗できず、へたりと椅子へ座り込んでしまう。
ジンの枕元でアラートが鳴り続ける。
『導入剤だけじゃ不安だな。少し脳波にも影響出してくぞ。脳波計に電流波ライン2本足して。レベル3から流してくから確認怠るな!』
助手たちがテキパキと動く中、私は何も出来ずに、彷徨う視線でジンの姿を捉えた。
ジン...ジンッ...!
「近寄るなっっ!」
東条先輩が怒鳴り、窓ガラスがビリビリと揺れる。
一瞬、全てが止まり、アラートだけが無情に鳴り響く。
「こうなったのはお前のせいなんだよ、試験室から出てけっ!」
『瑞上さん、行きましょう』
助手に体を支えられて、訳も分からぬまま試験室の外へと連れ出された。
「ねぇ、ちょっと待っ...」
目の前で閉じられた冷たいドア一枚にジンと隔てられ、息が出来ない。
私のせい...?
脳波計、見誤った?
導入剤の濃度の指示が間違ってた?
何...なに?
私がジンを危険な目に遭わせてるの...?
胸が苦しい。
涙で何も見えない。
ジン。
ジン。
ジン。
帰ってきて。
お願い...