「光陰矢の戸越」
って言葉を思いついたけれど、どう使っていいのかわからないきくっちゃん2016です。
「動かざること山の戸越!」
でもいいっす。誰か使って下さい。
あげるから。

つい先日、東京でも積雪がありました。
びっくりした人もいただろうし、びっくりしなかった人もいただろうし、困った人もいただろうし、嬉しかった人もいただろうと思います。
でも、、、

いったいなんなんだこれは!不思議過ぎるやろ!!

と騒いじゃう人は、たぶん日本にはいなかったと思うのです。
たとえ、それを初めて目にした人でさえ。。。
「いや、だって雪じゃん」
ええ。知ってます。なんなら僕は大好きです雪。
誰だって「雪」のことは知ってますもんね。



学校とかテレビとか新聞とか本とか、友達とか親とか、もちろん実際に見たりとか触ったりとかして、「雪」という存在そのものは当然受け入れてるわけです僕たちは。
もちろんこの現代にだって、世界では(日本でも)雪を実際に見たこともない人もたくさんいると思います。でも、まあたぶんそういう人でも
「ひええ、これが雪かあ!」くらいではないかと。
「ありえん!こんなことがあるものか!」とはならないかと。
何が言いたいかと言いますと。。。
僕たちって、わりとわりと変なものまで、きちんと自然として受け入れてるなあと。
結構な頻度で空から水は落ちてくるし、
白いふわふわした冷たい六角形の氷の結晶のときもあるし、
なんならマジ氷がどさどさ降る時もあるし、
そうじゃない時はびっくりするくらい「青い」し(青ですよ青)、
日によっては最後にオレンジになるし(オレンジですよオレンジ)、
白いまだらの綿みたいなのが、なぜか落ちてこないで浮かんでるし、形もいろいろだし、
たまにもの凄い音と共に閃光が地面に突き刺さって、なんなら人だってやられるし、
たまに七色の曲がったでっかいビームが架かるし、
昼は死ぬほど明るいし夜は暗いし、
その夜は、光のつぶつぶにめちゃんこたくさん囲まれるし、
たまに流れるしそれ、
空だけじゃなくて。
川の水は一方向に流れるし、
海の水は寄せては返すし、塩味ついてるし、
なんなら一日に二回、増えたり減ったりするし(あれだけの量の水が)、
でも、誰かがその同じ水をうまいことやってくれて、家の蛇口をひねったら好きな量(塩味なしの方)が出てくるし、
塩味の方は、哀しいときとか嬉しいときに、自分の目から溢れるし、
とか書き出すと、もう文字通りキリがないっす。
その無限の設定を、僕たちは、いつのまにか「そうあるもの」として受け入れているんです。
まあ順番が逆で、僕たちの方が自然よりあとなんですけどね。
ところで、もし神様がいたら、僕、こう聞くと思います。
「設定多すぎね?」
って。
雨と雪とみぞれと、、、雹(ひょう)とかいるかなあ。
あと、
「たまに変なのなあい?」
って。

こんなのいるかなあ。
というわけで僕はいま、その設定に一つ追加して、
上から見たらきっちり山手線と同じ形をしている、雲くらいの厚みの大きな大きな透明な水の塊が、東京の上空数キロの高さ、山手線のまんま真上にぬらぬら浮かんでいて、下に住む僕たちの街にはプールの中に差す光みたいに、そいつを透過した揺れる日射しが降り注いでいて、別にそのことに対して誰も特に疑問は持っていない。
そういう世界のことを毎日考えています。
もちろんその世界には、雨が嫌いな人がいるようにその水の塊が嫌いな人もいるし、雲を美しく歌う人がいるようにその水の塊を美しい歌にしちゃう人だっています。
毎朝の天気予報で、お天気お姉さんはその水の塊のことにもきちんと触れています。
「今日はいつもよりゆらゆらが激しいので、外で本などを読む時やスマホの画面を見る時には光の揺れにご注意下さい。また風景もいつもより揺れますので、車酔いに弱い方は予防をきちんとしましょう」
雲や雨や火山を調べる学者がいるように、その水の塊を研究している専門家だって大学や気象庁には勤めています。
ちょっと冒険して、その上で波乗りをする、なんて無茶な人だって出てきたりします。



毎日毎日そのことを考えていると、本当にそいつが浮かんでいるような気がしてきて、たまに大崎駅とかから「なんにもない空」を見上げたりすると、ちょっとどきどきします。
嘘つけおまえ、と思ったあなた。
僕は全力で
「ちょっとどきどきします、ってのは嘘ですごめんなさい」
と謝ります。
でも毎日考えているのは本当です。
悪いか。