僕「学校、辞めてきた。」

姉「そう。」

どうせ何も期待していないから、と言わんばかりの冷淡な返事。
会話終了かと思われた瞬間、姉は感情を押し殺したような平坦な声調で付け足した。

「お祝いに、森でバーベキューでもしに いきましょうか。」

直感…
告げられたのは祝いの言葉ではなく、呪いの言葉だった。
僕には【死にに行きましょうか】としか解釈できなかった。

だけどもう直ぐ夜じゃないか、などと反論する隙も与えず姉は言った。

「車はレンタカーを借りてあるわ。七輪と練炭は私の友人が持ってきてくれる。一時間後に着替えて玄関の前で。」

姉は用件だけを手短に述べ、急ぎ足で家を出て行った。
計画周到で生真面目な姉の言う事に、冗談なんて生易しい成分は微塵も含まれちゃいない。
だから僕は、迷う暇もなく姉の言うままに玄関で待った。

その言葉通り、30分後には玄関に黒塗りのワンボックスカーが停車していた。
ドアを開けて降りてきたのは、僕の姉と、僕のアルバイト先の同僚のメンへラ少女(名称不明)だった。

姉の第一声。
「心の準備は済んだ?」

僕は狼狽した。
「こ、これってどういう事…」

姉は質問に答える気など無いと言わんばかりに冷たく突き放した。
「ならば未練だけでも置いて行きなさい。」

僕はただただ閉口するばかりで、姉から目を逸らした。
「…。」

メンへラ少女は僕の方を向いて微笑んでいた。
事情を全て知っているかのような余裕の態度で、名乗ってもいない僕の名前を呼んだ。

「ごきげんよう、“八木山 城司”さん…」
僕はその名を呼ばれるのが大嫌いだ。

「驚いたな、姉とはどういう関係で?」
僕は率直な疑問を口にした。

「これ。」
メンへラ少女はPDA端末を取り出して、僕の目の前に差し出して経緯を話し始めた。

【自殺志願者SNS】
黒い背景に赤文字を散りばめアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出す画面上には、それに引けを取らない物騒な文字ばかりが表示されていた。

「八木山さんと私はここで知り合いました。」

「同じ悩みを抱えていると知るにつれて仲良くなり、八木山さん主催の“BBQオフ@青木ヶ原樹海”に招待してもらいました。」

「まさか城司さんが弟で、最期にまた巡り合えるなんて、何だかロマンチックですね。」

これから死のうという際にロマンチックだなんて、気でも触れたのか?
僕は否定しようとしたが、それより先に姉の冷徹な一声が遮断した。

「余計な事をべらべらと喋り過ぎよ、遠足じゃないんだから馴れ合いはそれ位にしておきなさい。」

抵抗する程の生への執着を持ち合わせていなかった僕は、姉に命令されるがまま車内に押し込まれ、七輪と練炭と三つの肉塊を載せた黒塗りの車は樹海を目指して走り出した。

道中、姉は安全運転に集中しているのか、自ら話題を振るのが苦手なのかは知らないが、終始無言を貫いていた。

いつ終わるとも知れない沈黙の重みに耐えかね、少女は話を始めた。
「お姉さん、合理的な考え方のできる人なんですね。」

【目的を失った人生なんて残り時間を消化しているだけ、気が向けばショートカットして終わらせてもいい】
「その言葉が、自分を責めて手首を刻んでばかりいた私に勇気をくれました。」

同居人の、血の繋がった僕さえ知らない、姉の一面を垣間見せられた。
自殺サイトを通じた歪な形の関係であれ、姉を慕っている人間がいるとは想像だにしなかった。

幼き日の姉は、今のように仏頂面で機械的な受け答えしかしない、そんな面白くない人間だったのだろうか…
違うと思う。

姉は自分に懐いてくれる妹のような存在を、心のどこかで欲していたのかも知れないな。
僕も、姉も、もう少しだけ自分に素直に生きられれば、どれ程幸せだった事か。
だけどもう、やり直すには全てが遅すぎたんだと、切ない気持ちになった。

車は市街地を抜け、田畑ばかりの鄙びた景色が続いている。
刻一刻と夕日が沈んでゆく、闇の訪れが忍び寄る終焉の時を暗示しているかのようだ。

少女の話は続く。
「喫茶店のアルバイトの面接に落ちた時、刺身にタンポポの花を乗せる仕事を私に紹介して下さったのも八木山さんなんですよ。」

いま形成されているこの状況は、どこまで姉の計算の範疇なのだろう…
ロマンチックとは違うと思いたいが、僕は否定しがたい深い因縁を感じた。

僕は話題を転換した。
「そういえば名前、まだ聞いてなかったよね?」

少女は少し間をおいて答えた。
「“天ヶ瀬 京香”です。」

僕は皮肉と憐憫の感情を半分ずつ込めて言った。
「そうなんだ、素敵な名前だね。」と

天ヶ瀬、なんて不吉な響きだろう。

***

京都有数の自殺の名所、天ヶ瀬ダム…

防犯カメラが設置してあるにも関わらず投身自殺者が後を絶たず、国土交通省によって立入禁止の措置が取られていると聞く。
交通事故や死体遺棄事件があったらしく、幽霊の出没談が多い事で有名だ。

多くの支流から漂流物が流れ着くダム湖にはドロドロの水死体が混ざっており、夜間にバシャバシャと泳ぐような音を聴いたという証言が多数報告されている。
その正体は、上流から流れ着いた水死体の霊であると言われている。

***


“名は体を表す”って諺があるよね。
名はその者の実体を表し、名と実は相応する。
神様は皮肉がお上手だ、忌わしい宿命をその名に込めて、その人生までも弄ぼうと言うのだろうか…
そう、この“八木山 城司”という名にも、非業の死を宿命付けられたかのような“曰く”がある。


***

東北地方屈指の心霊スポットにして自殺の名所、八木山橋…

あまりの自殺者の多さに高さ2mまでフェンスが補強され、ねずみ返しに鉄条網という厳重な警備になっていると聞く。
自殺者供養のための慰霊碑が建立され献花まで捧げられているという有様。
八木山橋で起きる自殺は変わっていて、錯乱・放心状態になった末に橋の下から伸びてくる“白い手”に引きづり込まれる錯覚に陥って身を投げると言う。

橋の真下には人形に窪んだ部分が多数あり、赤い人型の線が引かれている。
脳をくり抜かれた犬の死体や人間の歯、洋服や靴、遺書など…
ありとあらゆる物が散乱し、この世のものとは思えない不気味な様相を呈している。
面白半分に近付けば頭痛や吐き気などの霊障があらわれると恐れられ、地元住民すらも寄り付かないそうだ。

***

「気に障るわ、意味の無い話は止めて頂戴。」
察しの良い姉は不快を露わにして刺々しい口調で言った。

正論だ。
名前は存在を【顕示】する為の道具、自ら存在を【抹消】しようとする僕達にとってはゴミ同然だ。
嘘でもいいから、知らないフリを決め込んでいた方が、お互いの為なのだ。

車は幾つ目かのトンネルを抜け、その時にはもう、空が漆黒の闇に覆い尽くされていた。
車のライトだけが目の前を照らしている。

ここはもう自殺志願者の聖地、青木ヶ原樹海…

【命は両親から頂いた大切な物です。もう一度静かに両親や兄弟、子どものことを考えてみましょう。一人で悩まず相談して下さい。】

【自殺する 勇気があるなら 生きてみろ】

【一寸待て 死んで果実が 咲くものか】

【遊歩道 引き返す事も 又人生】

【自宅で死ね by美しい富士を守る会】

五・七・五調のものから自殺そのものは否定しない趣旨のものまで…
ありとあらゆる看板が僕達の旅立ちを阻止しようと立ちはだかっていた。

それを目にしても姉は眉一つ動かさず、コンピュータに数字を入力する仕事をしている時と同じ
無表情で、無感動で、無感情な、普段と変わらない様子でいた事に、僕は少しばかり恐怖を感じた。

姉は僕と天ヶ瀬さんに指示を出した、事前に相当の情報収集を行ってきた事が覗える。
「このエリアなら大丈夫かしら、近頃は自殺防止を目的としたNPOの連中が巡回していると聞くわ。二人とも、念のため外を見てきて頂戴。」

そうして僕と天ヶ瀬さんは二人きりで、闇の中に放り出される羽目になった。

天ヶ瀬さんは呟いた。
「虫が鳴いてますね、或いは嗤ってるのかも知れませんね。」

考えてみれば意味深な発言だ、意外と感受性豊かな所もあるんだと感心しつつ、僕は答えた。
「そうだね、人間は自ら命を絶とうとするほど不幸な生き物だって、嗤ってるのかも知れないね。」

「見て下さい城司さん、星がとても綺麗です。」
天ヶ瀬さんにつられて僕も夜空を仰ぎ見た。

「本当だね。」
安っぽい表現だが、まさに宝石箱をひっくり返したような満天の星空が広がっていた。

「だけど、綺麗なだけですね。」
僕には何となく、天ヶ瀬さんの言葉の意味が分かった。

「綺麗なだけじゃ虚しいって、僕等が一番よく思い知らされてるもんね。」
生ゴミとして廃棄されてゆくだけのタンポポの花と同じで…

いま目に映っている星の光は過去のもので、既に燃え尽きて塵になっているかも知れない。
その煌めきは夢や希望の成れの果てで、死者の残り香のような儚い物。

星空は天に磔にされた夥しい数の墓標で、名も無き敗北者達の屍の山。
一つ一つがどれだけ美しく輝いていようと、全体を構成するパーツの一つとして埋没してしまうという現実。

その現実から逃げて
夢を追う事から逃げて

仕事から逃げて
学校から逃げて

他人と接触する事から逃げて
自分と向き合う事から逃げて

泥の中を這いずり回って惨めに死ぬのは嫌だと泣き事を喚きながら
自分の弱さを認めて分相応の生き方をする事からも逃げようとした
その結果として…

【僕は今、此処にいる】

自問自答の末、僕はそれを悟って愕然とした。

夢を叶えられないのが現実なら、現実を夢だった事にすればいい。
そんな無力な存在が自分なら、存在さえも幻だった事にすればいい。

「天ヶ瀬さん…星になったと思って僕の存在を忘れてくれますか?」

僕はそう呟いて、先の見えない暗闇に向かって歩き出した。
闇の中にフェードアウトしてゆく、星々の残光のように。

このまま闇の中を彷徨えば樹海の中で野垂れ死に、失踪事件として報じられ、数ヶ月後に白骨化死体として発見されるだろう。

一歩、また一歩、光から遠ざかってゆく。
着実に、この世との接点から切り離されてゆく。

【振り返るべき昨日など無かった】

【見つめるべき今日など無かった】

【ただ、真っ暗な明日だけが有る】

決意が鈍れば歩みが止まる、僕は何度も噛み締めて、自分にそう言い聞かせた。


…!?


何かが袖を引く感触がした。

天ヶ瀬さんだ。
最後の最後まで、余計な真似をする人だ。

「そっちじゃないですよ、私達が進むべき“明日”は。」

天ヶ瀬さんは何か含みのある笑顔でそう言った。
そして僕は直感した、これは“あの時”の復讐なのだと…

だったら僕の自業自得だ。

天ヶ瀬さんに気紛れに希望を与えたりしなければ…
心を鬼にして絶望の奈落に突き落としていれば…

今の今まで、生温い幻想に縋り付く事なんて無かっただろうに…
僕と同じで、闇に身を潜め人知れず死んでいたに違いないのに…

結局僕は歩みを止めた。
そして自分の決意の弱さを恥じた。

放心してその場に立ち尽くしていると、姉が車から降りてきて吐き捨てた。
「興醒めだわ。」と

そして姉は僕に、今まで吐いたどの言葉よりも冷たい言葉を浴びせた。
「あのまま熊にでも喰われて死んだ方が幸せだったでしょうに。」

「いくらお姉さんとは言え、それはあんまりです…」
天ヶ瀬さんは僕に代わってそう反論したが、これ以上何を言っても声は届かないだろう。

「死ぬ気の無い者は去ればいい、私一人でも練炭を焚くわ。」
姉の言葉の端々から迸る殺気が、それが冗談ではない事を物語っている。

「それに、生きてるだけで何の役にも立たない貴方を、誰が面倒看てやるって言うの?」
姉は涙を流していた。こんな風に感情を露わにする事なんて、普段じゃ考えられないのに…

「借金なら何十年か働けば返済できる、だけど貴方の人生までは背負えない、私には重すぎる不良債権なの。」
僕の将来を案ずるがあまり、思いつめて至った結論が【自殺】なのだろう。
それは重くて不器用な、愛情の裏返しだったのかも知れない。

もう少し早く気付いてやれば、姉はここまで苦悩せずに済んだのかも知れない。
だけどもう、やり直すには全てが遅すぎたんだ…

いや…
遅すぎるなんて、誰が決めたんだ。

気紛れに下した決断のせいで、後でどれだけ後悔するか分からない…
だけど未練を残したまま死ぬ位なら、後でどれだけ後悔しようと構わない。

「僕はあの日常に帰りたい。今度はもう少し、頑張ってみるから…」

これは紛れもなく、僕の本心から出た言葉だった。
少しの沈黙の後、姉はこう言った。

「帰るわよ、肉を忘れて来たのにこんな場所にいても無駄だわ。」

そして姉は背を向けて、車に乗り込んだ。
精一杯の、不器用な照れ隠しだったのかも知れない。

それに従って、僕と天ヶ瀬さんも車に乗り込み樹海を後にした。
道中、姉は相変わらず無言を貫いていたが、僕達は不安に駆られるどころか寧ろ、安堵さえ感じていた。

少々の眠気を感じながらも、僕は天ヶ瀬さんと二人で話をしていた。
お互いに、以前より少しだけ親しみを込めて。
天ヶ瀬さんは大人しそうに見えて、意外と話好きなのかも知れない。

・・・

京香「やっぱり死んだ方が幸せだったかなって、後悔してませんか?」

城司「さあね、まだはっきりしない。」

京香「私は少し後悔しています、この世の中は私にとって居心地が悪いから。」

  「生まれた瞬間から勝負が付いてる不公平な、社会が嫌い。」

  「仲良しゴッコを強要される刑務所みたいな、学校が嫌い。」

  「やり甲斐を見出せない単調な作業ばかりの、仕事が嫌い。」

  「他人の同情を惹こうと不幸ぶって甘えてる、自分が嫌い。」

  「一番最後に、城司さんが嫌い。素敵な名前だねって褒めてくれたのは、城司さんだけだから。」

城司「それって…」

京香「察して下さい、好意に値するって事ですよ。」

・・・

その時の天ヶ瀬さんは、どう見ても頬を少し赤らめていた。
その表情からは皮肉も憐憫も、感じ取る事は出来なかった。

自宅に着く頃には夜が明けていた。
天ヶ瀬さんの家も徒歩数分の近所にあると知った。

朝焼けが綺麗だ。
この寝惚けた頭では、ただひたすらに綺麗だという感想しか浮かばない。

綺麗なだけじゃ虚しいなんて、二度と言うまい。


~1年後~

あの日以降、大きな変化は無かったが、とりあえず僕は26歳になっていた。

天才は27歳までしか生きられないらしい。
ジム・モリスンも、ジミ・ヘンドリックスも、ブライアン・ジョーンズも、27歳でこの世を去った。

あと1年、僕もそれまでに結果を出さなければと思っている。
自分が天才なのか、何の才能も持たない無能なのか。
だけど仮に27歳まで生き長らえても、何食わぬ顔をして生き続ける道を選ぶだろう。

刺身の上にタンポポを乗せるアルバイトの方はと言うと…
僕はエリアマネージャーに昇格し、時給が50円上がった。
以前と違って機械のスピードに遅れることもなく、鮮やかな手際でタンポポを並べる事が出来るようになった。

それに加えて、仕事の合間に小説を書いて文学賞に投稿するようになった。
まだまだ受賞には程遠いが、二次選考まで残って書評を送ってもらえる程度には上達した。

姉は借金返済の目処が立ち、自殺サイトの代わりに婚活サイトを閲覧するのが日課となっているようだ。

天ヶ瀬さん…いや、京香さんはというと
刺身にタンポポを乗せる仕事を辞めて、近所のレストランでアルバイトしている。
深く刻まれたリストカット痕はなかなか消えないが、長袖のシャツを着用する事を条件に雇ってもらえたようだ。
休日には時々家に遊びに来て世間話をしたりして、今もそれなりの交流は続いている。

そうだったら、いいのにな。

THE END
専門学校の卒業が差し迫った或る冬の日の話。

僕は学校に課された卒業制作を口実に、文壇デビューの為に文学賞に作品を投稿するという当初の目標から逃避し続けていた。

小説を書くために専門学校に入学し、視野を広げるためと言って三年も自主留年したが、ついに小説を書く事は一度も無いまま今日の日を迎えた。

僕は【ポストモダン文学におけるメタフィクション的コンテクスト構築技法の変遷と展望】と題された論文の束を抱えて、卯月先生の研究室へと足を運んだ。

先生は論文を手に取り、ぱらぱらページを捲って一呼吸置き、珈琲を啜りながら問うた。
「君の研究の集大成であるこの論文に、幾らの価値があると思う?」

僕は自信ありげに、澄ました表情で答えた。
「即物的な発想ですね、価値なんて測れる類のものじゃありませんよ。」

それに対して、先生はいつになく真剣味を帯びた表情で返答した。
「こんな出来の悪い論文を、お金を払ってまで必要とする人が世の中にいると思うのかい?」
「君はそれを唾棄すべき発想だと捉えているのかも知れないが…金銭に換算できない創作物には、一銭の価値も無いんですよ。」

悔しい…だけど僕は、その感情を受容できないまま言った。
「論文が駄目なら、僕は小説家になって富も名声も掴み取りますよ。印税収入でのうのうと生き長らえている、先生のようにね。」

それに対する、先生の意味深な一言。
「君は馬鹿ですか?今の君にとって小説家を目指す事は自殺の手段にしかなり得ない。」

馬鹿みたいに呆けた表情で僕は訊いた。
「それは一体、どういう意味ですか?」

・・・

貴方の今後を想って、最期にお話ししておきましょう。

小説家とは世界の観測者であり、記述者である。

その使命は
社会構造の本質・人間心理の本質を捉え、文章に認める事。

その過程で
この世の無常・残酷・不平等を否応なく垣間見させられ…
人の欲深さ・傲慢さに良心を抉り削ぎ落とされ……
この世の闇という闇に自らの心を侵蝕され………

やがて、死に至る。

賢き者ほど、容易にその真理に達して足早に命を絶つものです。
芥川先生然り、川端先生然り、ね。

【幸せになりたくば死ねばいい】

一度達した結論の疑いようの無い正当性を覆い隠して、生き続ける為の屁理屈のような逃げ口上を暗中模索する…

小説家は世界の【真実】を観測し【虚偽】を記述する、矛盾を孕んだ生き方しか許されない、憐れな道化ですよ。

プロの小説家になれて幸せだったか?とんでもない。
騙してごめんなさいと、社会の全構成員から謝罪を迫られているような拭い去れない罪悪感、私を責め苛む針のような無数の視線…

長年の間、読者の為にと夢や希望を捏造して捧げ続けた対価として私が受け取った報酬は、それだけです。
果たしてそんな人生に、いったいどれ程の価値があったのでしょうね。

・・・

自嘲的に語る先生のその目には、涙が浮かんでいた。
果たして僕は、先生と同じだけの深い業を背負えるだろうか?…否。

評論家を気取って雲の上の立場から他人の作品にケチを付けるのが精一杯。
自力では十枚程度の原稿用紙も満足に埋められない。
そんなザマで、何がプロの小説家だ。

小説家たり得ない無力な僕など、さしずめ【妄想家】ではないか。

自分の限界を突き付けられた程度で諦め、割り切れる。
その程度の夢は夢じゃない、空想だ。
ならば僕が今まで追っていたのは、幻想か。

絶望に打ちひしがれる中、僕はありったけの力を振り絞って言った。
「今までお世話になりました…」
「僕はこの学校を辞めて、真っ当に生きていこうと思います。」

それだけ告げて、振り返って先生の顔色を覗うことさえせず、僕は研究室を後にした。

…夢から醒めた夢見人は何処へ向かえばよいのか?

僕は自らに言い聞かせた 【前を向いて、歩き出せ】と。
指針を見失い、目の前に霞がかかったままで。
どちらが前かも分からず、行き先も定まらないまま。

終わりのない悪夢の中に僕を捕食しようと舌舐めずりする蜘蛛がいて、もがけばもがく程その糸に絡め取られてゆく…
僕の未来を暗示しているかのような、そんな不気味な錯覚に襲われた。

つづく
【視点A】
私は重度の中二病を罹患した愚弟に失望している。

専門学校を三度も留年し、今日も家に籠もって子供騙しの稚拙な文章をインターネット上に垂れ流して悦に入っている、こんな人間に未来など無い。

私は何度も弟に真っ当に生きるよう諭した。

私「プロの小説家なんて、何万人に一人しかなれない、難しい仕事なのよ?」

弟「芥川賞は難しいかも知れないけど、直木賞ぐらいなら余裕かな。書き手の相対的なレベルは年々下がってきてるし。」

私「仮に、プロになっても食べていけるのはほんの一握りだって知っているの?」

弟「政府がベーシックインカムを導入するまで待つよ。」

私「だけどあなたの小説…とても読めた物じゃないわ。誰が買ってくれるのかしら?」

弟「僕は売れる小説なんて書きたくない、芸術の解らない低俗な人間に高尚な文学を嗜む資格なんて無い。」

私「私ぐらいの年になっても定職に就けないままで後悔する事になりますよ?」

弟「天才は早死にするから先の事とか考えるだけ無駄。はい論破完了w」

結局私の声は届かなかった。
聞くに堪えない自己弁護の戯れ言ばかり。

どんなアルバイトを紹介しても長続きせず、友達の一人も作らず、外の世界を知らないまま自己完結してしまっている弟。
そんな人生に、いったいどれ程の価値があると言うのだろうか…

天才を気取って努力する事を頑なに拒み、理想と現実のギャップから目を背け続ける弟。
そんな浅ましい生き方を続けた先に、いったいどんな末路を辿るのだろうか…

そんな夢見がちな弟の背中を見て、私だけでも現実を見据えて生きてゆこうと心に誓った。


【視点B】
僕は三十路近い姉とアパートで同居しているが、言葉を交わす事は殆ど無い。

姉は僕を出来損ないだと見下しているが、僕は姉を世捨て人だと憐れんでいる。

どれだけ同じ時間と空間を共有しても、同じ気持ちを共有した事さえ無い冷めた間柄だ。

六畳一間のアパートの中で、二人は互いに背を向けコンピュータに向かっている。

姉はコンピュータにひたすら数字を入力する内職の仕事に勤しんでいる、一応肩書きは自営業と言う事らしい。

僕は小説の執筆を投げ出し、自分の管理する文芸評論サイトの更新を行っている。

静寂の中で響くのは決して明るい笑い声ではなく、キーボードを叩く音のみ。

姉は人生の残り時間を消化する為だけに、投げやりにキーボードを叩く。

僕はやり場の無い苛立ちの捌け口を求め、乱暴にキーボードを叩く。

物言わぬ抵抗…
僕達は、不協和音しか産み出さない。

十年前、姉は人に雇われる生き方を嫌って起業した。

当時はWebコンテンツの黎明期でITバブルの真っ只中だった。
ホームページの作成を代行するだけで大金が転がり込む、夢のような時代が存在した。

しかし、ITバブルの崩壊と共に会社の業績は陰りを見せた。

姉はコンサルタントの口車に乗せられファイナンス部門を立ち上げて資産運用を行い、先物取引業者の口車に乗せられて大赤字を出し、会社は倒産した。

お金も、仲間も、肩書きも、全てを失った。

一度夢を掴んだ人間は、過去の成功に固執し変化を拒む。

搾取する側とされる側の入れ替わりなんて、時代のうねりの中では日常茶飯事。

その現実を受け入れられない程に、姉の思考は凝り固まっているのかも知れない。

姉は両親に勘当され、会社員になった同期の友人と顔を合わせる事も拒むようになった。

土燿も日燿も、盆も正月も無く、無感情な機械のパーツの一部のようにコンピュータに数字を打ち込む姉。

再び起業する為の資金を貯めている最中だと言って、買い貯めたカップヌードルをかっ食らう質素な生活を送っているが、決して通帳の残高を教えようとはしない姉。

押し入れの中には今も「代表取締役」と仰々しく書かれた姉の名刺の束が大切にしまってある。

十年経っても何も変わっちゃいない姉の背中を見て、僕はやりきれない気持ちになった。

死んだ魚のような目で虚しい現実を直視するだけの人生に、いったいどれ程の価値があると言うのだろうか…
僕はこの眼で、現実の向こう側にある“未来”を見据えて生きてゆこうと心に誓った。

つづく
「誰にでもできる簡単なお仕事です」と言われ
深夜の食品工場で刺身にタンポポを乗せる仕事を始めた25歳の初夏…

食べ物が美味しく見えるよう彩りを加える、立派な仕事だなぁ。
前に紹介された、倒れたペットボトルを立てる仕事よりよっぽどやり甲斐があるや。
社会貢献ってヤツ?うん素晴らしい。

って、そんな訳ないだろ常考。

どうにも腑に落ちないんだよな。
僕は僕であって、他の誰かじゃない。
僕にしか出来ない事がきっとある筈だ。
才能では誰にも負けないし…

またいつもの思考の堂々巡りが始まった。
研修で教わったように見栄え良くタンポポを並べる手順など、とうに失念していた。

「15分休憩入っていいよー」
僕より歳の若いエリアマネージャーの瑞々しい声が場の沈黙を破る。

「はぁい、休憩頂きまーす」
と生返事をして手を洗い、休憩室までとぼとぼ歩く。

壁も天井も煙草のヤニで黄ばんだ休憩室、時代に逆行するかのように分煙は少しも進んでいない。
室内では自分達より先に入った年配組がグループを形成して真ん中の大机を陣取り、我が物顔で煙草をふかしている。

どうせ、競馬とパチンコしか娯楽を知らないオジサン達と話なんて合うわけがない。
そうやってコミュニケーションを避ける為の口実を作って、極力煩わしい人の輪には入らないのが僕の処世術だ。

僕は行き場を無くし、壁にもたれて携帯電話を開いた。
こんな時間に着信なんて来るハズない、と知りながら。

どうせ誰にも本当の僕を理解する事なんて出来ないのさ、とニヒリズムに浸ってクールな自分に酔いしれてみる。

「何見てるんですか?」
後ろからぼそっと呟かれて背筋が凍った。

振り返ると女性が立っていた。
目が隠れる程伸びた黒髪に色白の肌、線の細い感じの人物だった。
肌の質感から察するに、20代前半に見えなくもない。

ただし、両腕にリストカット痕がびっしり。

「う…」
決して目を合わせてはいけない、僕の第六感がそう告げていた。

「ち、ちょっと友人とメール等を、ね…」
僕は眠い頭をフル回転させて苦し紛れに答えた。
嘘です、某巨大掲示板の「無職・だめ板」を見ていました。

すると彼女はにこやかな表情で言った。
「それって2ちゃんねるですよね?私もよく見るんですよ」
普通にバレていた。

「メンへラ板とか…」
やっぱりそうか、と思いながらもその言葉は僕の脳内で何度もリピートされていた。

「へぇそうなんですかぁ(棒読み)」
僕は彼女を刺激しないようにと苦笑いを浮かべ、携帯をいじるフリをして休憩時間が一刻も早く終わるようにと神に懇願した。

メンへラ女は抗鬱剤か何かの薬をエビアン水で流し込み「よし、今日は三錠で抑えたぞ」とか
「これ以上飲むと血圧が下がるからお医者さんに止められてるんだよなぁ」とか
ぶつぶつ呟いて構ってアピールをしていたようだが、終いに僕は仮眠をとるフリをして無視を決め込んだ。

その日は休憩後も仕事に身が入らないまま朝を迎え、僕は帰途に就いた。


僕の勤務している工場は埋め立ての人工島の中にあり、30分おきに運行するシャトルバスに乗って市街地と行き来する。

あいにく今日はひどい雨風に足をとられ、普段より一本遅いバスを待つことになり
さらに運の悪い事に、先述のメンへラ女と一緒に乗り合わせる事になった。

さすがに私服は長袖を着こんでおり、リスカ痕を衆目に晒すことは無かったが
黒を基調としたその服装は喪服を連想させ、僕は陰鬱な気持ちになった。

「普段は何されているんですか?」
メンへラ女は僕に訊いた。

「まだ学生」
僕は無愛想に答えた。
ちょっと言葉を交わした程度で友達にでもなったつもりかよ、おめでたいなぁ。

「そうなんだ…私もこの前まで学生だったんです…」

「アイドル目指してて、代々木の専門学校に通ってたんです。」

「色々あって挫折して、1ヶ月で辞めちゃったんですけどね。」

「可笑しいですよね…私みたいなのがアイドルなんて。」

彼女は途切れ途切れになりながらも、懸命に言葉を紡いだ。
身の上話なんて興味無いんだよと高をくくりながらも、僕は雨音にかき消されそうなその声に耳を傾けた。

「へぇ…同じ学校だったんだ、僕はグローバルメディアデザイン学科の文芸評論創作コースで小説書いたりしてる。」
僕が初めて能動的に言葉を発した瞬間かもしれない。

「あぁ、卯月先生が講師やってるコースですよね?」
わかります、と言わんばかりに彼女は頷いた。

「あの先生は日本文学界の権威だなんて言われてるけど、最近の読者のニーズに関しては僕の方が熟知しているよ。」

「それに僕は自費出版でも利益上げれるレベルの作品しか書いてないのに、地道に文学賞に投稿しろとか五月蠅くてさ。」

「学校の実績作りとか色々事情はあるんだろうけどさ、先鋭的な作品ってのは年寄りには正しく評価出来ないんだよね。」

「むしろ国内より海外で評価されるタイプだと思うんだ、僕って既成概念に捉われない人間だからさ。」


「自分を好きでいられるのって羨ましいです。私は、そうじゃないから…」
その言葉を真に受けて、僕は自分に酔っていた。
斜に構えた俺、カッコイイと思っていた。

大雨でどこかの堤防が決壊し、渋滞が起こっていると車内でアナウンスが流れている。
それを遮るように彼女は語り始めた。

「私より容姿の優れた人や歌の上手い人なんて腐るほどいるのに、自惚れていた自分が愚かしい…」

「夢や理想を追いかけて傷付く位なら、何も望まない方がマシなんです…」

「どうせこんな腕じゃ接客業も出来やしないし、お嫁にも行けないんです…」

「だから私は決めたんです、陽の当らない場所で、闇に身を潜めて生きていくと…」

自虐的に振る舞えば全てが許容される、彼女はそう思っていたのかも知れない。
自分の不幸を免罪符にして身を守る、そんな不器用な生き方しか選べなかった。

その眼に涙を浮かべて彼女は問うた。
「私達、ずっとあんな工場で底辺の仕事続けなきゃいけないのかな…?」

僕は明後日の方向を向いて答えた。
「僕達が生きるのは今日じゃなくて明日だよ、サクセスの為の通過点だと思うんだ。」

根拠の無い希望を振りかざし、在りもしない幻想を抱かせる…
果たしてこの世にこれ以上の罪があろうか?
僕は笑顔の裏に非情で残忍で冷酷な本性を忍ばせた醜悪極まりない人間です。

タンポポの花なんて食べない人が大多数だから、結局は生ゴミと一緒に捨てられるだけ。
どんなに頑張って綺麗に盛りつけようと、人間は魚や肉を貪る事にしか興味が無い。

所詮、僕達にはその程度の価値しか無いと宣言してやれば、彼女はどれ程救われただろうか。
だけど僕達は、そんな朧気な希望に縋り付こうとするし、それを信じている間だけ幸せでいられる。

「そっか、そうだよね。」
そう言って彼女は今まで見せなかった屈託の無い笑みを浮かべた。

【明日】も仕事だ。
このまま雨が止まなければいいのにと、僕は思った。
このまま終着駅に着かなければいいのにと、私は願った。

つづく