僕「学校、辞めてきた。」
姉「そう。」
どうせ何も期待していないから、と言わんばかりの冷淡な返事。
会話終了かと思われた瞬間、姉は感情を押し殺したような平坦な声調で付け足した。
「お祝いに、森でバーベキューでもしに いきましょうか。」
直感…
告げられたのは祝いの言葉ではなく、呪いの言葉だった。
僕には【死にに行きましょうか】としか解釈できなかった。
だけどもう直ぐ夜じゃないか、などと反論する隙も与えず姉は言った。
「車はレンタカーを借りてあるわ。七輪と練炭は私の友人が持ってきてくれる。一時間後に着替えて玄関の前で。」
姉は用件だけを手短に述べ、急ぎ足で家を出て行った。
計画周到で生真面目な姉の言う事に、冗談なんて生易しい成分は微塵も含まれちゃいない。
だから僕は、迷う暇もなく姉の言うままに玄関で待った。
その言葉通り、30分後には玄関に黒塗りのワンボックスカーが停車していた。
ドアを開けて降りてきたのは、僕の姉と、僕のアルバイト先の同僚のメンへラ少女(名称不明)だった。
姉の第一声。
「心の準備は済んだ?」
僕は狼狽した。
「こ、これってどういう事…」
姉は質問に答える気など無いと言わんばかりに冷たく突き放した。
「ならば未練だけでも置いて行きなさい。」
僕はただただ閉口するばかりで、姉から目を逸らした。
「…。」
メンへラ少女は僕の方を向いて微笑んでいた。
事情を全て知っているかのような余裕の態度で、名乗ってもいない僕の名前を呼んだ。
「ごきげんよう、“八木山 城司”さん…」
僕はその名を呼ばれるのが大嫌いだ。
「驚いたな、姉とはどういう関係で?」
僕は率直な疑問を口にした。
「これ。」
メンへラ少女はPDA端末を取り出して、僕の目の前に差し出して経緯を話し始めた。
【自殺志願者SNS】
黒い背景に赤文字を散りばめアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出す画面上には、それに引けを取らない物騒な文字ばかりが表示されていた。
「八木山さんと私はここで知り合いました。」
「同じ悩みを抱えていると知るにつれて仲良くなり、八木山さん主催の“BBQオフ@青木ヶ原樹海”に招待してもらいました。」
「まさか城司さんが弟で、最期にまた巡り合えるなんて、何だかロマンチックですね。」
これから死のうという際にロマンチックだなんて、気でも触れたのか?
僕は否定しようとしたが、それより先に姉の冷徹な一声が遮断した。
「余計な事をべらべらと喋り過ぎよ、遠足じゃないんだから馴れ合いはそれ位にしておきなさい。」
抵抗する程の生への執着を持ち合わせていなかった僕は、姉に命令されるがまま車内に押し込まれ、七輪と練炭と三つの肉塊を載せた黒塗りの車は樹海を目指して走り出した。
道中、姉は安全運転に集中しているのか、自ら話題を振るのが苦手なのかは知らないが、終始無言を貫いていた。
いつ終わるとも知れない沈黙の重みに耐えかね、少女は話を始めた。
「お姉さん、合理的な考え方のできる人なんですね。」
【目的を失った人生なんて残り時間を消化しているだけ、気が向けばショートカットして終わらせてもいい】
「その言葉が、自分を責めて手首を刻んでばかりいた私に勇気をくれました。」
同居人の、血の繋がった僕さえ知らない、姉の一面を垣間見せられた。
自殺サイトを通じた歪な形の関係であれ、姉を慕っている人間がいるとは想像だにしなかった。
幼き日の姉は、今のように仏頂面で機械的な受け答えしかしない、そんな面白くない人間だったのだろうか…
違うと思う。
姉は自分に懐いてくれる妹のような存在を、心のどこかで欲していたのかも知れないな。
僕も、姉も、もう少しだけ自分に素直に生きられれば、どれ程幸せだった事か。
だけどもう、やり直すには全てが遅すぎたんだと、切ない気持ちになった。
車は市街地を抜け、田畑ばかりの鄙びた景色が続いている。
刻一刻と夕日が沈んでゆく、闇の訪れが忍び寄る終焉の時を暗示しているかのようだ。
少女の話は続く。
「喫茶店のアルバイトの面接に落ちた時、刺身にタンポポの花を乗せる仕事を私に紹介して下さったのも八木山さんなんですよ。」
いま形成されているこの状況は、どこまで姉の計算の範疇なのだろう…
ロマンチックとは違うと思いたいが、僕は否定しがたい深い因縁を感じた。
僕は話題を転換した。
「そういえば名前、まだ聞いてなかったよね?」
少女は少し間をおいて答えた。
「“天ヶ瀬 京香”です。」
僕は皮肉と憐憫の感情を半分ずつ込めて言った。
「そうなんだ、素敵な名前だね。」と
天ヶ瀬、なんて不吉な響きだろう。
***
京都有数の自殺の名所、天ヶ瀬ダム…
防犯カメラが設置してあるにも関わらず投身自殺者が後を絶たず、国土交通省によって立入禁止の措置が取られていると聞く。
交通事故や死体遺棄事件があったらしく、幽霊の出没談が多い事で有名だ。
多くの支流から漂流物が流れ着くダム湖にはドロドロの水死体が混ざっており、夜間にバシャバシャと泳ぐような音を聴いたという証言が多数報告されている。
その正体は、上流から流れ着いた水死体の霊であると言われている。
***
“名は体を表す”って諺があるよね。
名はその者の実体を表し、名と実は相応する。
神様は皮肉がお上手だ、忌わしい宿命をその名に込めて、その人生までも弄ぼうと言うのだろうか…
そう、この“八木山 城司”という名にも、非業の死を宿命付けられたかのような“曰く”がある。
***
東北地方屈指の心霊スポットにして自殺の名所、八木山橋…
あまりの自殺者の多さに高さ2mまでフェンスが補強され、ねずみ返しに鉄条網という厳重な警備になっていると聞く。
自殺者供養のための慰霊碑が建立され献花まで捧げられているという有様。
八木山橋で起きる自殺は変わっていて、錯乱・放心状態になった末に橋の下から伸びてくる“白い手”に引きづり込まれる錯覚に陥って身を投げると言う。
橋の真下には人形に窪んだ部分が多数あり、赤い人型の線が引かれている。
脳をくり抜かれた犬の死体や人間の歯、洋服や靴、遺書など…
ありとあらゆる物が散乱し、この世のものとは思えない不気味な様相を呈している。
面白半分に近付けば頭痛や吐き気などの霊障があらわれると恐れられ、地元住民すらも寄り付かないそうだ。
***
「気に障るわ、意味の無い話は止めて頂戴。」
察しの良い姉は不快を露わにして刺々しい口調で言った。
正論だ。
名前は存在を【顕示】する為の道具、自ら存在を【抹消】しようとする僕達にとってはゴミ同然だ。
嘘でもいいから、知らないフリを決め込んでいた方が、お互いの為なのだ。
車は幾つ目かのトンネルを抜け、その時にはもう、空が漆黒の闇に覆い尽くされていた。
車のライトだけが目の前を照らしている。
ここはもう自殺志願者の聖地、青木ヶ原樹海…
【命は両親から頂いた大切な物です。もう一度静かに両親や兄弟、子どものことを考えてみましょう。一人で悩まず相談して下さい。】
【自殺する 勇気があるなら 生きてみろ】
【一寸待て 死んで果実が 咲くものか】
【遊歩道 引き返す事も 又人生】
【自宅で死ね by美しい富士を守る会】
五・七・五調のものから自殺そのものは否定しない趣旨のものまで…
ありとあらゆる看板が僕達の旅立ちを阻止しようと立ちはだかっていた。
それを目にしても姉は眉一つ動かさず、コンピュータに数字を入力する仕事をしている時と同じ
無表情で、無感動で、無感情な、普段と変わらない様子でいた事に、僕は少しばかり恐怖を感じた。
姉は僕と天ヶ瀬さんに指示を出した、事前に相当の情報収集を行ってきた事が覗える。
「このエリアなら大丈夫かしら、近頃は自殺防止を目的としたNPOの連中が巡回していると聞くわ。二人とも、念のため外を見てきて頂戴。」
そうして僕と天ヶ瀬さんは二人きりで、闇の中に放り出される羽目になった。
天ヶ瀬さんは呟いた。
「虫が鳴いてますね、或いは嗤ってるのかも知れませんね。」
考えてみれば意味深な発言だ、意外と感受性豊かな所もあるんだと感心しつつ、僕は答えた。
「そうだね、人間は自ら命を絶とうとするほど不幸な生き物だって、嗤ってるのかも知れないね。」
「見て下さい城司さん、星がとても綺麗です。」
天ヶ瀬さんにつられて僕も夜空を仰ぎ見た。
「本当だね。」
安っぽい表現だが、まさに宝石箱をひっくり返したような満天の星空が広がっていた。
「だけど、綺麗なだけですね。」
僕には何となく、天ヶ瀬さんの言葉の意味が分かった。
「綺麗なだけじゃ虚しいって、僕等が一番よく思い知らされてるもんね。」
生ゴミとして廃棄されてゆくだけのタンポポの花と同じで…
いま目に映っている星の光は過去のもので、既に燃え尽きて塵になっているかも知れない。
その煌めきは夢や希望の成れの果てで、死者の残り香のような儚い物。
星空は天に磔にされた夥しい数の墓標で、名も無き敗北者達の屍の山。
一つ一つがどれだけ美しく輝いていようと、全体を構成するパーツの一つとして埋没してしまうという現実。
その現実から逃げて
夢を追う事から逃げて
仕事から逃げて
学校から逃げて
他人と接触する事から逃げて
自分と向き合う事から逃げて
泥の中を這いずり回って惨めに死ぬのは嫌だと泣き事を喚きながら
自分の弱さを認めて分相応の生き方をする事からも逃げようとした
その結果として…
【僕は今、此処にいる】
自問自答の末、僕はそれを悟って愕然とした。
夢を叶えられないのが現実なら、現実を夢だった事にすればいい。
そんな無力な存在が自分なら、存在さえも幻だった事にすればいい。
「天ヶ瀬さん…星になったと思って僕の存在を忘れてくれますか?」
僕はそう呟いて、先の見えない暗闇に向かって歩き出した。
闇の中にフェードアウトしてゆく、星々の残光のように。
このまま闇の中を彷徨えば樹海の中で野垂れ死に、失踪事件として報じられ、数ヶ月後に白骨化死体として発見されるだろう。
一歩、また一歩、光から遠ざかってゆく。
着実に、この世との接点から切り離されてゆく。
【振り返るべき昨日など無かった】
【見つめるべき今日など無かった】
【ただ、真っ暗な明日だけが有る】
決意が鈍れば歩みが止まる、僕は何度も噛み締めて、自分にそう言い聞かせた。
…!?
何かが袖を引く感触がした。
天ヶ瀬さんだ。
最後の最後まで、余計な真似をする人だ。
「そっちじゃないですよ、私達が進むべき“明日”は。」
天ヶ瀬さんは何か含みのある笑顔でそう言った。
そして僕は直感した、これは“あの時”の復讐なのだと…
だったら僕の自業自得だ。
天ヶ瀬さんに気紛れに希望を与えたりしなければ…
心を鬼にして絶望の奈落に突き落としていれば…
今の今まで、生温い幻想に縋り付く事なんて無かっただろうに…
僕と同じで、闇に身を潜め人知れず死んでいたに違いないのに…
結局僕は歩みを止めた。
そして自分の決意の弱さを恥じた。
放心してその場に立ち尽くしていると、姉が車から降りてきて吐き捨てた。
「興醒めだわ。」と
そして姉は僕に、今まで吐いたどの言葉よりも冷たい言葉を浴びせた。
「あのまま熊にでも喰われて死んだ方が幸せだったでしょうに。」
「いくらお姉さんとは言え、それはあんまりです…」
天ヶ瀬さんは僕に代わってそう反論したが、これ以上何を言っても声は届かないだろう。
「死ぬ気の無い者は去ればいい、私一人でも練炭を焚くわ。」
姉の言葉の端々から迸る殺気が、それが冗談ではない事を物語っている。
「それに、生きてるだけで何の役にも立たない貴方を、誰が面倒看てやるって言うの?」
姉は涙を流していた。こんな風に感情を露わにする事なんて、普段じゃ考えられないのに…
「借金なら何十年か働けば返済できる、だけど貴方の人生までは背負えない、私には重すぎる不良債権なの。」
僕の将来を案ずるがあまり、思いつめて至った結論が【自殺】なのだろう。
それは重くて不器用な、愛情の裏返しだったのかも知れない。
もう少し早く気付いてやれば、姉はここまで苦悩せずに済んだのかも知れない。
だけどもう、やり直すには全てが遅すぎたんだ…
いや…
遅すぎるなんて、誰が決めたんだ。
気紛れに下した決断のせいで、後でどれだけ後悔するか分からない…
だけど未練を残したまま死ぬ位なら、後でどれだけ後悔しようと構わない。
「僕はあの日常に帰りたい。今度はもう少し、頑張ってみるから…」
これは紛れもなく、僕の本心から出た言葉だった。
少しの沈黙の後、姉はこう言った。
「帰るわよ、肉を忘れて来たのにこんな場所にいても無駄だわ。」
そして姉は背を向けて、車に乗り込んだ。
精一杯の、不器用な照れ隠しだったのかも知れない。
それに従って、僕と天ヶ瀬さんも車に乗り込み樹海を後にした。
道中、姉は相変わらず無言を貫いていたが、僕達は不安に駆られるどころか寧ろ、安堵さえ感じていた。
少々の眠気を感じながらも、僕は天ヶ瀬さんと二人で話をしていた。
お互いに、以前より少しだけ親しみを込めて。
天ヶ瀬さんは大人しそうに見えて、意外と話好きなのかも知れない。
・・・
京香「やっぱり死んだ方が幸せだったかなって、後悔してませんか?」
城司「さあね、まだはっきりしない。」
京香「私は少し後悔しています、この世の中は私にとって居心地が悪いから。」
「生まれた瞬間から勝負が付いてる不公平な、社会が嫌い。」
「仲良しゴッコを強要される刑務所みたいな、学校が嫌い。」
「やり甲斐を見出せない単調な作業ばかりの、仕事が嫌い。」
「他人の同情を惹こうと不幸ぶって甘えてる、自分が嫌い。」
「一番最後に、城司さんが嫌い。素敵な名前だねって褒めてくれたのは、城司さんだけだから。」
城司「それって…」
京香「察して下さい、好意に値するって事ですよ。」
・・・
その時の天ヶ瀬さんは、どう見ても頬を少し赤らめていた。
その表情からは皮肉も憐憫も、感じ取る事は出来なかった。
自宅に着く頃には夜が明けていた。
天ヶ瀬さんの家も徒歩数分の近所にあると知った。
朝焼けが綺麗だ。
この寝惚けた頭では、ただひたすらに綺麗だという感想しか浮かばない。
綺麗なだけじゃ虚しいなんて、二度と言うまい。
~1年後~
あの日以降、大きな変化は無かったが、とりあえず僕は26歳になっていた。
天才は27歳までしか生きられないらしい。
ジム・モリスンも、ジミ・ヘンドリックスも、ブライアン・ジョーンズも、27歳でこの世を去った。
あと1年、僕もそれまでに結果を出さなければと思っている。
自分が天才なのか、何の才能も持たない無能なのか。
だけど仮に27歳まで生き長らえても、何食わぬ顔をして生き続ける道を選ぶだろう。
刺身の上にタンポポを乗せるアルバイトの方はと言うと…
僕はエリアマネージャーに昇格し、時給が50円上がった。
以前と違って機械のスピードに遅れることもなく、鮮やかな手際でタンポポを並べる事が出来るようになった。
それに加えて、仕事の合間に小説を書いて文学賞に投稿するようになった。
まだまだ受賞には程遠いが、二次選考まで残って書評を送ってもらえる程度には上達した。
姉は借金返済の目処が立ち、自殺サイトの代わりに婚活サイトを閲覧するのが日課となっているようだ。
天ヶ瀬さん…いや、京香さんはというと
刺身にタンポポを乗せる仕事を辞めて、近所のレストランでアルバイトしている。
深く刻まれたリストカット痕はなかなか消えないが、長袖のシャツを着用する事を条件に雇ってもらえたようだ。
休日には時々家に遊びに来て世間話をしたりして、今もそれなりの交流は続いている。
そうだったら、いいのにな。
THE END
姉「そう。」
どうせ何も期待していないから、と言わんばかりの冷淡な返事。
会話終了かと思われた瞬間、姉は感情を押し殺したような平坦な声調で付け足した。
「お祝いに、森でバーベキューでもしに いきましょうか。」
直感…
告げられたのは祝いの言葉ではなく、呪いの言葉だった。
僕には【死にに行きましょうか】としか解釈できなかった。
だけどもう直ぐ夜じゃないか、などと反論する隙も与えず姉は言った。
「車はレンタカーを借りてあるわ。七輪と練炭は私の友人が持ってきてくれる。一時間後に着替えて玄関の前で。」
姉は用件だけを手短に述べ、急ぎ足で家を出て行った。
計画周到で生真面目な姉の言う事に、冗談なんて生易しい成分は微塵も含まれちゃいない。
だから僕は、迷う暇もなく姉の言うままに玄関で待った。
その言葉通り、30分後には玄関に黒塗りのワンボックスカーが停車していた。
ドアを開けて降りてきたのは、僕の姉と、僕のアルバイト先の同僚のメンへラ少女(名称不明)だった。
姉の第一声。
「心の準備は済んだ?」
僕は狼狽した。
「こ、これってどういう事…」
姉は質問に答える気など無いと言わんばかりに冷たく突き放した。
「ならば未練だけでも置いて行きなさい。」
僕はただただ閉口するばかりで、姉から目を逸らした。
「…。」
メンへラ少女は僕の方を向いて微笑んでいた。
事情を全て知っているかのような余裕の態度で、名乗ってもいない僕の名前を呼んだ。
「ごきげんよう、“八木山 城司”さん…」
僕はその名を呼ばれるのが大嫌いだ。
「驚いたな、姉とはどういう関係で?」
僕は率直な疑問を口にした。
「これ。」
メンへラ少女はPDA端末を取り出して、僕の目の前に差し出して経緯を話し始めた。
【自殺志願者SNS】
黒い背景に赤文字を散りばめアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出す画面上には、それに引けを取らない物騒な文字ばかりが表示されていた。
「八木山さんと私はここで知り合いました。」
「同じ悩みを抱えていると知るにつれて仲良くなり、八木山さん主催の“BBQオフ@青木ヶ原樹海”に招待してもらいました。」
「まさか城司さんが弟で、最期にまた巡り合えるなんて、何だかロマンチックですね。」
これから死のうという際にロマンチックだなんて、気でも触れたのか?
僕は否定しようとしたが、それより先に姉の冷徹な一声が遮断した。
「余計な事をべらべらと喋り過ぎよ、遠足じゃないんだから馴れ合いはそれ位にしておきなさい。」
抵抗する程の生への執着を持ち合わせていなかった僕は、姉に命令されるがまま車内に押し込まれ、七輪と練炭と三つの肉塊を載せた黒塗りの車は樹海を目指して走り出した。
道中、姉は安全運転に集中しているのか、自ら話題を振るのが苦手なのかは知らないが、終始無言を貫いていた。
いつ終わるとも知れない沈黙の重みに耐えかね、少女は話を始めた。
「お姉さん、合理的な考え方のできる人なんですね。」
【目的を失った人生なんて残り時間を消化しているだけ、気が向けばショートカットして終わらせてもいい】
「その言葉が、自分を責めて手首を刻んでばかりいた私に勇気をくれました。」
同居人の、血の繋がった僕さえ知らない、姉の一面を垣間見せられた。
自殺サイトを通じた歪な形の関係であれ、姉を慕っている人間がいるとは想像だにしなかった。
幼き日の姉は、今のように仏頂面で機械的な受け答えしかしない、そんな面白くない人間だったのだろうか…
違うと思う。
姉は自分に懐いてくれる妹のような存在を、心のどこかで欲していたのかも知れないな。
僕も、姉も、もう少しだけ自分に素直に生きられれば、どれ程幸せだった事か。
だけどもう、やり直すには全てが遅すぎたんだと、切ない気持ちになった。
車は市街地を抜け、田畑ばかりの鄙びた景色が続いている。
刻一刻と夕日が沈んでゆく、闇の訪れが忍び寄る終焉の時を暗示しているかのようだ。
少女の話は続く。
「喫茶店のアルバイトの面接に落ちた時、刺身にタンポポの花を乗せる仕事を私に紹介して下さったのも八木山さんなんですよ。」
いま形成されているこの状況は、どこまで姉の計算の範疇なのだろう…
ロマンチックとは違うと思いたいが、僕は否定しがたい深い因縁を感じた。
僕は話題を転換した。
「そういえば名前、まだ聞いてなかったよね?」
少女は少し間をおいて答えた。
「“天ヶ瀬 京香”です。」
僕は皮肉と憐憫の感情を半分ずつ込めて言った。
「そうなんだ、素敵な名前だね。」と
天ヶ瀬、なんて不吉な響きだろう。
***
京都有数の自殺の名所、天ヶ瀬ダム…
防犯カメラが設置してあるにも関わらず投身自殺者が後を絶たず、国土交通省によって立入禁止の措置が取られていると聞く。
交通事故や死体遺棄事件があったらしく、幽霊の出没談が多い事で有名だ。
多くの支流から漂流物が流れ着くダム湖にはドロドロの水死体が混ざっており、夜間にバシャバシャと泳ぐような音を聴いたという証言が多数報告されている。
その正体は、上流から流れ着いた水死体の霊であると言われている。
***
“名は体を表す”って諺があるよね。
名はその者の実体を表し、名と実は相応する。
神様は皮肉がお上手だ、忌わしい宿命をその名に込めて、その人生までも弄ぼうと言うのだろうか…
そう、この“八木山 城司”という名にも、非業の死を宿命付けられたかのような“曰く”がある。
***
東北地方屈指の心霊スポットにして自殺の名所、八木山橋…
あまりの自殺者の多さに高さ2mまでフェンスが補強され、ねずみ返しに鉄条網という厳重な警備になっていると聞く。
自殺者供養のための慰霊碑が建立され献花まで捧げられているという有様。
八木山橋で起きる自殺は変わっていて、錯乱・放心状態になった末に橋の下から伸びてくる“白い手”に引きづり込まれる錯覚に陥って身を投げると言う。
橋の真下には人形に窪んだ部分が多数あり、赤い人型の線が引かれている。
脳をくり抜かれた犬の死体や人間の歯、洋服や靴、遺書など…
ありとあらゆる物が散乱し、この世のものとは思えない不気味な様相を呈している。
面白半分に近付けば頭痛や吐き気などの霊障があらわれると恐れられ、地元住民すらも寄り付かないそうだ。
***
「気に障るわ、意味の無い話は止めて頂戴。」
察しの良い姉は不快を露わにして刺々しい口調で言った。
正論だ。
名前は存在を【顕示】する為の道具、自ら存在を【抹消】しようとする僕達にとってはゴミ同然だ。
嘘でもいいから、知らないフリを決め込んでいた方が、お互いの為なのだ。
車は幾つ目かのトンネルを抜け、その時にはもう、空が漆黒の闇に覆い尽くされていた。
車のライトだけが目の前を照らしている。
ここはもう自殺志願者の聖地、青木ヶ原樹海…
【命は両親から頂いた大切な物です。もう一度静かに両親や兄弟、子どものことを考えてみましょう。一人で悩まず相談して下さい。】
【自殺する 勇気があるなら 生きてみろ】
【一寸待て 死んで果実が 咲くものか】
【遊歩道 引き返す事も 又人生】
【自宅で死ね by美しい富士を守る会】
五・七・五調のものから自殺そのものは否定しない趣旨のものまで…
ありとあらゆる看板が僕達の旅立ちを阻止しようと立ちはだかっていた。
それを目にしても姉は眉一つ動かさず、コンピュータに数字を入力する仕事をしている時と同じ
無表情で、無感動で、無感情な、普段と変わらない様子でいた事に、僕は少しばかり恐怖を感じた。
姉は僕と天ヶ瀬さんに指示を出した、事前に相当の情報収集を行ってきた事が覗える。
「このエリアなら大丈夫かしら、近頃は自殺防止を目的としたNPOの連中が巡回していると聞くわ。二人とも、念のため外を見てきて頂戴。」
そうして僕と天ヶ瀬さんは二人きりで、闇の中に放り出される羽目になった。
天ヶ瀬さんは呟いた。
「虫が鳴いてますね、或いは嗤ってるのかも知れませんね。」
考えてみれば意味深な発言だ、意外と感受性豊かな所もあるんだと感心しつつ、僕は答えた。
「そうだね、人間は自ら命を絶とうとするほど不幸な生き物だって、嗤ってるのかも知れないね。」
「見て下さい城司さん、星がとても綺麗です。」
天ヶ瀬さんにつられて僕も夜空を仰ぎ見た。
「本当だね。」
安っぽい表現だが、まさに宝石箱をひっくり返したような満天の星空が広がっていた。
「だけど、綺麗なだけですね。」
僕には何となく、天ヶ瀬さんの言葉の意味が分かった。
「綺麗なだけじゃ虚しいって、僕等が一番よく思い知らされてるもんね。」
生ゴミとして廃棄されてゆくだけのタンポポの花と同じで…
いま目に映っている星の光は過去のもので、既に燃え尽きて塵になっているかも知れない。
その煌めきは夢や希望の成れの果てで、死者の残り香のような儚い物。
星空は天に磔にされた夥しい数の墓標で、名も無き敗北者達の屍の山。
一つ一つがどれだけ美しく輝いていようと、全体を構成するパーツの一つとして埋没してしまうという現実。
その現実から逃げて
夢を追う事から逃げて
仕事から逃げて
学校から逃げて
他人と接触する事から逃げて
自分と向き合う事から逃げて
泥の中を這いずり回って惨めに死ぬのは嫌だと泣き事を喚きながら
自分の弱さを認めて分相応の生き方をする事からも逃げようとした
その結果として…
【僕は今、此処にいる】
自問自答の末、僕はそれを悟って愕然とした。
夢を叶えられないのが現実なら、現実を夢だった事にすればいい。
そんな無力な存在が自分なら、存在さえも幻だった事にすればいい。
「天ヶ瀬さん…星になったと思って僕の存在を忘れてくれますか?」
僕はそう呟いて、先の見えない暗闇に向かって歩き出した。
闇の中にフェードアウトしてゆく、星々の残光のように。
このまま闇の中を彷徨えば樹海の中で野垂れ死に、失踪事件として報じられ、数ヶ月後に白骨化死体として発見されるだろう。
一歩、また一歩、光から遠ざかってゆく。
着実に、この世との接点から切り離されてゆく。
【振り返るべき昨日など無かった】
【見つめるべき今日など無かった】
【ただ、真っ暗な明日だけが有る】
決意が鈍れば歩みが止まる、僕は何度も噛み締めて、自分にそう言い聞かせた。
…!?
何かが袖を引く感触がした。
天ヶ瀬さんだ。
最後の最後まで、余計な真似をする人だ。
「そっちじゃないですよ、私達が進むべき“明日”は。」
天ヶ瀬さんは何か含みのある笑顔でそう言った。
そして僕は直感した、これは“あの時”の復讐なのだと…
だったら僕の自業自得だ。
天ヶ瀬さんに気紛れに希望を与えたりしなければ…
心を鬼にして絶望の奈落に突き落としていれば…
今の今まで、生温い幻想に縋り付く事なんて無かっただろうに…
僕と同じで、闇に身を潜め人知れず死んでいたに違いないのに…
結局僕は歩みを止めた。
そして自分の決意の弱さを恥じた。
放心してその場に立ち尽くしていると、姉が車から降りてきて吐き捨てた。
「興醒めだわ。」と
そして姉は僕に、今まで吐いたどの言葉よりも冷たい言葉を浴びせた。
「あのまま熊にでも喰われて死んだ方が幸せだったでしょうに。」
「いくらお姉さんとは言え、それはあんまりです…」
天ヶ瀬さんは僕に代わってそう反論したが、これ以上何を言っても声は届かないだろう。
「死ぬ気の無い者は去ればいい、私一人でも練炭を焚くわ。」
姉の言葉の端々から迸る殺気が、それが冗談ではない事を物語っている。
「それに、生きてるだけで何の役にも立たない貴方を、誰が面倒看てやるって言うの?」
姉は涙を流していた。こんな風に感情を露わにする事なんて、普段じゃ考えられないのに…
「借金なら何十年か働けば返済できる、だけど貴方の人生までは背負えない、私には重すぎる不良債権なの。」
僕の将来を案ずるがあまり、思いつめて至った結論が【自殺】なのだろう。
それは重くて不器用な、愛情の裏返しだったのかも知れない。
もう少し早く気付いてやれば、姉はここまで苦悩せずに済んだのかも知れない。
だけどもう、やり直すには全てが遅すぎたんだ…
いや…
遅すぎるなんて、誰が決めたんだ。
気紛れに下した決断のせいで、後でどれだけ後悔するか分からない…
だけど未練を残したまま死ぬ位なら、後でどれだけ後悔しようと構わない。
「僕はあの日常に帰りたい。今度はもう少し、頑張ってみるから…」
これは紛れもなく、僕の本心から出た言葉だった。
少しの沈黙の後、姉はこう言った。
「帰るわよ、肉を忘れて来たのにこんな場所にいても無駄だわ。」
そして姉は背を向けて、車に乗り込んだ。
精一杯の、不器用な照れ隠しだったのかも知れない。
それに従って、僕と天ヶ瀬さんも車に乗り込み樹海を後にした。
道中、姉は相変わらず無言を貫いていたが、僕達は不安に駆られるどころか寧ろ、安堵さえ感じていた。
少々の眠気を感じながらも、僕は天ヶ瀬さんと二人で話をしていた。
お互いに、以前より少しだけ親しみを込めて。
天ヶ瀬さんは大人しそうに見えて、意外と話好きなのかも知れない。
・・・
京香「やっぱり死んだ方が幸せだったかなって、後悔してませんか?」
城司「さあね、まだはっきりしない。」
京香「私は少し後悔しています、この世の中は私にとって居心地が悪いから。」
「生まれた瞬間から勝負が付いてる不公平な、社会が嫌い。」
「仲良しゴッコを強要される刑務所みたいな、学校が嫌い。」
「やり甲斐を見出せない単調な作業ばかりの、仕事が嫌い。」
「他人の同情を惹こうと不幸ぶって甘えてる、自分が嫌い。」
「一番最後に、城司さんが嫌い。素敵な名前だねって褒めてくれたのは、城司さんだけだから。」
城司「それって…」
京香「察して下さい、好意に値するって事ですよ。」
・・・
その時の天ヶ瀬さんは、どう見ても頬を少し赤らめていた。
その表情からは皮肉も憐憫も、感じ取る事は出来なかった。
自宅に着く頃には夜が明けていた。
天ヶ瀬さんの家も徒歩数分の近所にあると知った。
朝焼けが綺麗だ。
この寝惚けた頭では、ただひたすらに綺麗だという感想しか浮かばない。
綺麗なだけじゃ虚しいなんて、二度と言うまい。
~1年後~
あの日以降、大きな変化は無かったが、とりあえず僕は26歳になっていた。
天才は27歳までしか生きられないらしい。
ジム・モリスンも、ジミ・ヘンドリックスも、ブライアン・ジョーンズも、27歳でこの世を去った。
あと1年、僕もそれまでに結果を出さなければと思っている。
自分が天才なのか、何の才能も持たない無能なのか。
だけど仮に27歳まで生き長らえても、何食わぬ顔をして生き続ける道を選ぶだろう。
刺身の上にタンポポを乗せるアルバイトの方はと言うと…
僕はエリアマネージャーに昇格し、時給が50円上がった。
以前と違って機械のスピードに遅れることもなく、鮮やかな手際でタンポポを並べる事が出来るようになった。
それに加えて、仕事の合間に小説を書いて文学賞に投稿するようになった。
まだまだ受賞には程遠いが、二次選考まで残って書評を送ってもらえる程度には上達した。
姉は借金返済の目処が立ち、自殺サイトの代わりに婚活サイトを閲覧するのが日課となっているようだ。
天ヶ瀬さん…いや、京香さんはというと
刺身にタンポポを乗せる仕事を辞めて、近所のレストランでアルバイトしている。
深く刻まれたリストカット痕はなかなか消えないが、長袖のシャツを着用する事を条件に雇ってもらえたようだ。
休日には時々家に遊びに来て世間話をしたりして、今もそれなりの交流は続いている。
そうだったら、いいのにな。
THE END