ご無沙汰しております

3月10日に地元の緩和病院から
私の都合で入院していた旦那さん
退院しました。

入院中、長年使っていたポートが詰まり
右から左に付け替えして
ピーテグの交換もついでにして
痛みのコントロールも上手くいき
コロナで紙おむつがまさかのお一人様一点で
困っていたところ、ひーさんに助けて頂いて
本当に助かりました。🙇‍♀️


そして苦痛だった入院生活ともバイバイ


痛みのコントロールが上手く行ってたのも束の間
次の週には又治らない痛みが続いて
フェントステープが3mgになり、
舌下錠のアブストラルが二錠になり
何とか誤魔化していた痛み。

20日頃から肝機能の悪化も有り
一段と黄疸が強くなり言動にも変化が出てきて
せん妄?肝性脳症?
と質問しましたが、どちらも出てもおかしくないと
言われました。
初めて聞いた時は驚き、戸惑い
とても落ち込みましたが
突飛な言動を楽しむことが出来る私になって
毎日楽しみでした。

そんな感じに毎日を過ごして
3月31日無事に62歳の誕生日を迎えて
生クリームをほんの少し食べたけど
甘すぎて苦々しい顔になりました。

痛みが増し、アブストラルの使用間隔が
短くなった頃…
意思が朦朧とする時間が長くなり
血圧が下がり
脈拍が早くなり…
ピーテグの付け根からは排液が漏れる様になり…
どんどん体調が悪化…
自分が望んで在宅にして
親兄妹そして家族が見守る中
4月5日午前1時22分
旅立ちました。
とても穏やかな笑顔です…
膵臓癌満6年でやっと
痛みが無く
好きな食べ物を好きなだけ
大好きなお酒も好きなだけ
お腹がはち切れるばかりにたらふく食べて
ニコニコになっていると思う。
我慢強い旦那さんでした。
亡くなる前日、訪問看護師さんに初めて
弱音を吐きました…
絞り出した声で
苦しいです…何とかしてくだい
涙が出ました…
そう訴えていても
私がお願いしても
アブストラルの追加を拒み続けて
最後まで頑張りぬいた旦那さん
自分の思うがままに生き抜いた
つまづきは有ったけれど
それでも我が道を貫いた
自分の思うがまま、望むまま
生き抜いた貴方は
本当に
幸せな男だよ
ありがとう
こんな私に32年間付き合ってくれて
本当に
本当に
ありがとう