よろぼい日記 -3ページ目

よろぼい日記

杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

 

10年ほど前、彼の講演会に一度行ったことがある。

何を考え、何をしようとしているのか。

 

それもあったが、入学式のとき、大隈講堂に入れなかったので、一度なかに入ってみてみようと思ったわけだ。

 

それにしても早稲田界隈の変わりようと来たら!

 

ごみごみした都電通りは金襴緞子がひしめく繁華街に、木造校舎はデパートのような大理石のビルに、通りにこびりつくコンビニやカラオケ、カレー屋やレストラン、不動産、調剤薬局は、まるで間違って宇宙へ足を踏み入れたような錯乱に襲われる。

そこでは虚飾が日常となり、動物の気持ちなどとんとわからなくなった人たち、人工大理石と模造品に慣れ切った人たちしか、生存を手に入れる“競争”にくわわることは出来なくなってしまったのだ。

 

冷たい雨が降りしきっていた。

 

外観のすべては本末転倒だった。

引きも切らぬ人並みは、華やかな彩りで、雨の中を行儀好く歩いていた。

 

文無しは歯が立たぬ。こそ泥ですら。

大方宿無しはムショか収容所に監禁されているか、目立たぬところに雲隠れしているのだろう。ここでは貧乏臭さは弾き飛ばされる。

 

すさまじく、ぼろぼろの浮浪者はいた。だが、ごくありふれたホームレスにはお目にかかれない。50年の間にいつの間にか、摩天楼のような監房社会が出来上がったのだろう。

 

小澤一郎は淡々と今まで通りのことを主張していて、何か特別に触発されることはなかった。一つだけ、彼は政府を批判していたが、何とかするには長い年月がかかると、もう一度戦争をくぐり抜け、何もかも知ってからぼちぼち自立した国にしていくか、中国がアメリカの支配下になってから(又はその逆、つまりアメリカが中国の支配下になってから)再出発を試みるかという視点で歴史を捉えているのかもしれなかった。

 

貧困層にとっては今日の糧が最優先だが、不自由の無い層にとっては何世代かあとの糧が重要なのだろう。

 

口癖のように、お天道様が見ているという。

 

恥ずかしい詐術や卑劣ないいまわしでいい思いをしても、それは一時的なもので長続きはしない、……といった類いのもので、彼の考えていることはありきたりで、至極まっとうなものだった。

 

それに引き換え、わたしの貧窮はあまりにひどかったのでわたしには自分が貧窮はこね上げた粘土で出来ているように思う。貧窮はわたしの本質そのものであり、わたしの血液と同じようにわたしの体の隅々をくまなく循環して、養っているのである。

 

わたしは貧しい人たちを憐れむことも助けることも出来ない。わたしに出来ることは彼らと手を取り合うことだ。

 

わたしも貧しい人たちと同じだから、同時にジュネに共感する。

 

 

――監獄(貧窮)は安全感をわたしに与えてくれる。何ものもそれを破壊することは出来ないだろう。いかなる突風も、嵐も、破産宣告も、それに対しては無力なのだ。

監獄(貧窮)は泰然自若としており、その中にいるわたしたちも泰然自若としている。――

                                                                                  by ジャン・ジュネ

 

 

(先日、加治丘陵南1で見かけた可愛いいムササビちゃん)

   

 

こちらではバケツの底が抜け、あっちでは恐ろしい虐殺がこれでもかこれでもかと沸騰し、まるで生きているだけましだと、巻き込まれないだけ感謝しなさいといわんばかりの有様だ。

 

人々は追いつめられてしまったのか?

あきらめてギブアップしたのか?ちびたちの明日を考える余裕すらないのか?

それとも、この世からとっくに逃げ出してしまったわけか?

 

まさかとは思うがどうもよくわからない。

 

いろいろ調べても、最も優れた論考ですら、心を揺さぶる感性ですら、どこかしら隔靴掻痒だ。

 

しかし、じっとしていればますますひどくなる一方だ。いくら声を上げても、どんなに悲憤慷慨しても、バケツの底がふさがるわけでも、その日暮らしを締めあげるてっぺんの手がゆるむわけではない。

 

たとえ鳥が狙撃されるようにやすやすと吹っ飛ばされることがあっても、本能が――何千年もの前の太古から地球が滅ぶそのときまでわたしたちを導いてくれる本能が命じるように「やめてくれ」と声をかぎりにふりしぼらなくてはならぬ。

 

黙っていればそれだけますます、手に負えなくなってゆくのだ。

 

いや、わたしたちがここまで追いつめられたなら、突き落とす方も、そのぶらさがりのエリートたちも、かれらのお恵みにありつこうと顔色をうかがう片棒担ぎも、荒稼ぎのスナイパーも……つまりは、みんなこぞって地獄の底であえいでいるのだ。

 

あきらめるな。

 

ご存知だとは思うが、かれらてっぺんは、我が身可愛さのあまり、その他おおぜいの有象無象が死のうとあえごうと、痛くもかゆくもないのだ。

 

足手まといになったなら、出来るだけ効率的に、出来るだけ後腐れなく、最先端武器弾薬、きちがい染みた原水爆のありったけを駆使して殺しにかかってくるのだ。

 

だが、あきらめるな。

 

あきらめれば生きていても、能面のような無表情をさらすしかない。

 

今一度、『嘘によらず生きよ』を思い起こそう!

 

60年前、どうすればいいかに苦慮したソルジェニーツィンのことばに、もう一度耳を傾けてみよう!

 

真実めかしい嘘がいかに高度に巧妙になったにしても、本能はあやまたない。

 

 

 

――記――

 

 

 

 

●かつて意見を述べあうことすら出来なかったわれわれは、今や、ソーシャルメディアで、心ゆくまで悪口をいいあっている。

 

●取り返しがつかないまでに非人間化し、子孫にとってのあらゆる可能性も売り渡すまでになっているというのに、ただただ見てくれだけの“幸福”をかき乱されたくない一心なのである。

 

●ひとりっきりでは一歩も踏み出すまい。さもないと、ある日突然、解雇を通告され、ローンが払えなくなり、家を失って植え込みで寝ていると、不審尋問を食らって、えん罪をでっち上げられて吊される、といわんばかりだ。

 

●公民教育、新聞、テレビで、さんざん叩き込まれたことが習い性となり、快適に暮らせばそれで万々歳ということになっている。

環境や社会的条件がある以上、どれほどひどくともそこから脱出することは出来ない、存在が意識を決定するのであり、どこにわれわれの出る幕があろう?われわれには何も出来ないのだ、というわけだ。

 

だがわれわれには出来るのだ。いっさいが!

 

ただ自分を慰めるために、自分で自分に嘘をついているだけなのだ。

いっさいについて罪があるのは、どこのどの連中でもなく、われわれ自身である。

われわれだけである!!

 

 

●テロで、流血で、暴動で“幸せな社会”をつくろうと考えた熱狂がいかにあやまっていたか、どれほど悲惨だったか。すでにわれわれは知ってしまっている。

――方法の醜悪さは、結果の醜悪さに反映することを。

われわれは――手を汚してはならないのだ!

 

●暴力はかならずしも毎日、われわれすべての肩にその重い前肢を掛けるものではない。それがわれわれに要求するのは、ただ嘘への服従、日ごとの嘘への参加だけであり――“秩序正しい社会”とはこのことに尽きる。

 

●だがここにこそ、われわれが軽視している、最も簡単な、もっとも容易な、われわれの解放のための鍵がひそんでいるのである。それは――個人としての嘘への不参加、たとへ嘘がすべて支配していようとも、もっともちいさな一点だけはゆずるまい、つまり、たとへ支配するとしても、わたしを通してではないという一点である!

 

●ところがこれこそ、われわれの無行動の仮想の円環にうがたれた穴であり、われわれにとってはもっともたやすく、嘘にとってはもっとも致命的なものなのだ。なぜといって、人びとから嘘が飛び去ってしまうなら――嘘はただもう存在をやめるしかないからである。

伝染病と同じく、嘘は人びとに寄生することによってのみ存在することが出来る。

 

●せめても心に思っていないことを語ることだけはやめようではないか!

 

あとはみんなが手をつなげばよいのだ!

 

われわれが力をあわせ、できるかぎりおおぜいでこの道を踏み出すとき、この道はわれわれ全員にとってより容易な、より短い道となるだろう。

われわれが幾千人にもなれば――そのだれに対してももう手出しはできなくなるだろう。

われわれが数万人になれば――わが国はもはや見違えるほどになるだろう!

 

 

 

 

by ソルジェニーツィン。1974年/国外追放直前の訴え『嘘によらず生きよ』より・一部意訳。

 

 

(1年ぶりに加治丘陵で出会った日本カモシカのちびっ子です。)

 

 

 

 

 

 

 

♪戟叉の一撃
火の雫
いいとも、けっこうさ

もう一度
探しだそう
永遠を

それはきらめく太陽と海

待ちわびた魂よ
ともにつぶやこう

空しい夜と
烈火の昼の
せつない思いを!♪  

 

 

 

 (『地獄の季節』アルチュール・ランボーより)

 

 

下の下の下の方のどん底をのたくりながら生きてきて、あっかんべをしながら潰れた夢の残骸に埋もれてくたばるつもりが、昨今の政治の糞まみれのさまを拝ませてもらうと、私にもやつらをぶちのめしたい夢があったことを思いだしてしまった。

 

阿修羅をはじめ、ネットの呼びかけで、1000人の人たちが銀座に集まってきたのを見て、そのときも、すっかりあきらめていた私の夢も、もしかしたら一歩を踏み出すのではないかと思えた。

 

そして、今も、新土をはじめ、遠くから感受性の炎を、けむりを、涙を盗み見て、やはり遠くなっていたかつての夢を思い出す。

 

互いに互いを軽蔑しあい、エゴ丸出しで罵倒しあわなくても、強いものは弱いものに手を差し伸べ、弱いものは弱いものに手を放さないで生きていけるような世の中にならないものか、と。