「みんなちがって、みんないい」と、金子みすゞさん。 | よろぼい日記

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杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

まさか!

そんなばかな!

 

金が底をついたときに限って、あれこれ出費がかさむ災難が突発するもんだ。この一月ほど、どうなることやら、と生きた心地もしなかった。

 

それを何とかくぐり抜け、どうにか気持ちを取り戻して、1ヶ月半ぶりに都心の集会に行くと、何だろう?

 

日の丸を林立させた1000人ばかりの猛者たちが公園の入り口からずらりとならんで“原発賛成!毒薬OK!中ロをけちょんけちょんにしよう!!”と鼻息荒く、気勢を上げていた。

 

まったく、相も変わらず、みんな揃って、真逆へ、真逆へと動いていく。

 

バカ騒ぎが何十年もつづいていて向かっ腹を立てっぱなしだったが、見渡すところ、あれほど忌み嫌っていたドンパチがおっぱじまりそうな雲行きだ。

 

誰だって、戦争で食っているやつらだって、心の底では戦争はいやだろうが、食うこと、寝ること、何とか息をつくことにかまけているうちに、ますますそいつは、ドンパチは身近に迫り、全身に染みこんで、はち切れそうになっていく。

 

人類の尻をひっぱたいて、地球の汚れを拭き取るしか手はなくなってきたのか。

 

てっぺんでは、宝石貴族も、セレブも、ノーベルも、金メダル独り占めも、誰もが感じているとおり、今や、借金地獄にのたうち、そいつらの台所事情は火の車も火の車、触れればドッカーンと運散霧消しかねない。

 

それにまた、どうしたこった?

 

見るもの、触るもの、聞くもの、すべてがまるで死の喧噪だ。

かまびすしさだ。

肉切り包丁の唸りだ。髪の先から足のつま先にいたるまで、僻地から大都会にいたるまで、絢爛豪華な死、死のこれ見よがしの、大盤振る舞い、すっかり張りぼてになった経済成長を押し頂き、納得ずくの死に向かって、チンチンドンドン、そら行け、そら行け、オーハー!もっと行け、民族絶滅に向かって、これでもか、これでもか、まだか!もうすぐか!

あと少しか?来月まで待てるか!先取りして、ドンドン進め!

 

どのみち、地球は滅ぶのだ。もう無理だ。持たない。どうあがいても!

後4時間、365日、何十年もつづけた電光掲示板、イルミネーションを、殺し文句を、空念仏をかなり立てられて、誰もかれもが全員右へならえ、右も左も、異端も異常者も、異論の余地のない乞食ですら、お見事なもんだ、いつの間にか、すっかり、ものの見事に、いかれちまったのだ。

 

フクイチ以前なら、あっかんべーを喰らわし、もう一踏ん張り呵責ない洞窟の奥にトンズラこく手もあった。

以後は、もう何にもない。

 

みんな一緒に裸踊りにとち狂いながらくたばっていく。一人隠れてひっそりとか、みんな仲良く順番通りか……ハラワタは毒まみれ、頭上にはピカドンがかがやき、みんな揃っておっ死んじまう羽目になっちまったのだ。 

残念なことに!

 

1号機から4号機まで吹っ飛んじまって!

ああ!

あるかなきかの良心のかけらを木っ端みじんに吹っ飛ばされちまったのだ。

 

まったく何も、ありゃしない!

何一つ!

ああ!

 

絶滅へ、掛け値なしの破滅へ、ふらふら、盲目、イタイイタイの奇怪な死に向かって、歯止めも、つっかい棒も、支柱も、土台も吹っ飛ばされ、抵抗も抗議も、ハンストも、糞も、何一つ役に立たないと来る!!

転がり落ちるこの世の末期を口をぽかんと開け、あるいは目玉をオニヤンマみたいにひんむいて、ただ呆然と拝んでいるだけのテイタラクだ。

 

あるいは、見かけより、もっとすさまじいのか?

 

ジャカスカ再稼働して、はらわたいっぱいに放射能を抱え込んで、核実験だろうが、チェルノブイリだろうが、スリースマイルだろうが、福島だろうが、広島長崎だろうが、ピカドンだろうが、ありったけの核のゴミをばらまいて、地球のまわりをキノコ雲で覆い尽くそうと、まだまだ大丈夫、そのうち免疫が出来て放射能なんて屁のカッパさ、サイボーグとなって、しゃきっとした第二の人類として、そこら中に跳梁跋扈するぜ、というわけか。

 

放射能の染み渡った廃墟を米つきバッタみたいに。

ええ?

いくら食い物があふれていてもみんな、バタバタと悶絶していく。

もう逃げ場はないらしい。

すたこらさっさと地球の果てまでトンズラこいても、死が、行く手に手ぐすね引いて待ち構えているのだ。

 

毎日声を限りにおらんでも、国連を占拠しても、暴動を起こしても、何をやっても、どうあがいても、がんじがらめに組み敷かれていて、原発を止めると、金融も貿易も経済も食料もガラガラと崩れ落ち、にっちもさっちも行かなくなってしまい、地球は立ち行かなくなってしまうのだ。

 

――そうなればいいか悪いかではない。

いいも悪いもないのだ。

人一倍デタラメであるほど、人非人であるほど、人殺しであればあるほど、残虐であればあるほど、てっぺんに尻尾を振れば振るほど、ゴロツキの旗ふり役を買って出れば出るほど、ぶら下がればぶら下がるほど、鼻くそほどの貴重な命にありつけるらしい。

 

おお、神様!

 

道理で、このところ、いつの間にか日の丸が隣近所にいたるまで、辺りのすみずみに、これ見よがしに氾濫するようになったってわけだ。

道理で、弱いものいじめが、ホームレス狩りが、貧乏人叩きが、よいよい殺しが、いじめとお仕置きのドラムが、生保殺しの罰ゲームが響き渡るようになったってわけだ。

 

 

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速く走れない。

  

  私がからだをゆすっても、
  きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄は知らないよ。

 

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。

 

          by金子みすゞ『私と小鳥と鈴と』

 

 

 

            

             (加治丘陵の春真っ盛り)