10年ほど前、彼の講演会に一度行ったことがある。
何を考え、何をしようとしているのか。
それもあったが、入学式のとき、大隈講堂に入れなかったので、一度なかに入ってみてみようと思ったわけだ。
それにしても早稲田界隈の変わりようと来たら!
ごみごみした都電通りは金襴緞子がひしめく繁華街に、木造校舎はデパートのような大理石のビルに、通りにこびりつくコンビニやカラオケ、カレー屋やレストラン、不動産、調剤薬局は、まるで間違って宇宙へ足を踏み入れたような錯乱に襲われる。
そこでは虚飾が日常となり、動物の気持ちなどとんとわからなくなった人たち、人工大理石と模造品に慣れ切った人たちしか、生存を手に入れる“競争”にくわわることは出来なくなってしまったのだ。
冷たい雨が降りしきっていた。
外観のすべては本末転倒だった。
引きも切らぬ人並みは、華やかな彩りで、雨の中を行儀好く歩いていた。
文無しは歯が立たぬ。こそ泥ですら。
大方宿無しはムショか収容所に監禁されているか、目立たぬところに雲隠れしているのだろう。ここでは貧乏臭さは弾き飛ばされる。
すさまじく、ぼろぼろの浮浪者はいた。だが、ごくありふれたホームレスにはお目にかかれない。50年の間にいつの間にか、摩天楼のような監房社会が出来上がったのだろう。
小澤一郎は淡々と今まで通りのことを主張していて、何か特別に触発されることはなかった。一つだけ、彼は政府を批判していたが、何とかするには長い年月がかかると、もう一度戦争をくぐり抜け、何もかも知ってからぼちぼち自立した国にしていくか、中国がアメリカの支配下になってから(又はその逆、つまりアメリカが中国の支配下になってから)再出発を試みるかという視点で歴史を捉えているのかもしれなかった。
貧困層にとっては今日の糧が最優先だが、不自由の無い層にとっては何世代かあとの糧が重要なのだろう。
口癖のように、お天道様が見ているという。
恥ずかしい詐術や卑劣ないいまわしでいい思いをしても、それは一時的なもので長続きはしない、……といった類いのもので、彼の考えていることはありきたりで、至極まっとうなものだった。
それに引き換え、わたしの貧窮はあまりにひどかったのでわたしには自分が貧窮はこね上げた粘土で出来ているように思う。貧窮はわたしの本質そのものであり、わたしの血液と同じようにわたしの体の隅々をくまなく循環して、養っているのである。
わたしは貧しい人たちを憐れむことも助けることも出来ない。わたしに出来ることは彼らと手を取り合うことだ。
わたしも貧しい人たちと同じだから、同時にジュネに共感する。
――監獄(貧窮)は安全感をわたしに与えてくれる。何ものもそれを破壊することは出来ないだろう。いかなる突風も、嵐も、破産宣告も、それに対しては無力なのだ。
監獄(貧窮)は泰然自若としており、その中にいるわたしたちも泰然自若としている。――
by ジャン・ジュネ
(先日、加治丘陵南1で見かけた可愛いいムササビちゃん)