黙っていてもいい、だが決してあきらめるな! | よろぼい日記

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杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

こちらではバケツの底が抜け、あっちでは恐ろしい虐殺がこれでもかこれでもかと沸騰し、まるで生きているだけましだと、巻き込まれないだけ感謝しなさいといわんばかりの有様だ。

 

人々は追いつめられてしまったのか?

あきらめてギブアップしたのか?ちびたちの明日を考える余裕すらないのか?

それとも、この世からとっくに逃げ出してしまったわけか?

 

まさかとは思うがどうもよくわからない。

 

いろいろ調べても、最も優れた論考ですら、心を揺さぶる感性ですら、どこかしら隔靴掻痒だ。

 

しかし、じっとしていればますますひどくなる一方だ。いくら声を上げても、どんなに悲憤慷慨しても、バケツの底がふさがるわけでも、その日暮らしを締めあげるてっぺんの手がゆるむわけではない。

 

たとえ鳥が狙撃されるようにやすやすと吹っ飛ばされることがあっても、本能が――何千年もの前の太古から地球が滅ぶそのときまでわたしたちを導いてくれる本能が命じるように「やめてくれ」と声をかぎりにふりしぼらなくてはならぬ。

 

黙っていればそれだけますます、手に負えなくなってゆくのだ。

 

いや、わたしたちがここまで追いつめられたなら、突き落とす方も、そのぶらさがりのエリートたちも、かれらのお恵みにありつこうと顔色をうかがう片棒担ぎも、荒稼ぎのスナイパーも……つまりは、みんなこぞって地獄の底であえいでいるのだ。

 

あきらめるな。

 

ご存知だとは思うが、かれらてっぺんは、我が身可愛さのあまり、その他おおぜいの有象無象が死のうとあえごうと、痛くもかゆくもないのだ。

 

足手まといになったなら、出来るだけ効率的に、出来るだけ後腐れなく、最先端武器弾薬、きちがい染みた原水爆のありったけを駆使して殺しにかかってくるのだ。

 

だが、あきらめるな。

 

あきらめれば生きていても、能面のような無表情をさらすしかない。

 

今一度、『嘘によらず生きよ』を思い起こそう!

 

60年前、どうすればいいかに苦慮したソルジェニーツィンのことばに、もう一度耳を傾けてみよう!

 

真実めかしい嘘がいかに高度に巧妙になったにしても、本能はあやまたない。

 

 

 

――記――

 

 

 

 

●かつて意見を述べあうことすら出来なかったわれわれは、今や、ソーシャルメディアで、心ゆくまで悪口をいいあっている。

 

●取り返しがつかないまでに非人間化し、子孫にとってのあらゆる可能性も売り渡すまでになっているというのに、ただただ見てくれだけの“幸福”をかき乱されたくない一心なのである。

 

●ひとりっきりでは一歩も踏み出すまい。さもないと、ある日突然、解雇を通告され、ローンが払えなくなり、家を失って植え込みで寝ていると、不審尋問を食らって、えん罪をでっち上げられて吊される、といわんばかりだ。

 

●公民教育、新聞、テレビで、さんざん叩き込まれたことが習い性となり、快適に暮らせばそれで万々歳ということになっている。

環境や社会的条件がある以上、どれほどひどくともそこから脱出することは出来ない、存在が意識を決定するのであり、どこにわれわれの出る幕があろう?われわれには何も出来ないのだ、というわけだ。

 

だがわれわれには出来るのだ。いっさいが!

 

ただ自分を慰めるために、自分で自分に嘘をついているだけなのだ。

いっさいについて罪があるのは、どこのどの連中でもなく、われわれ自身である。

われわれだけである!!

 

 

●テロで、流血で、暴動で“幸せな社会”をつくろうと考えた熱狂がいかにあやまっていたか、どれほど悲惨だったか。すでにわれわれは知ってしまっている。

――方法の醜悪さは、結果の醜悪さに反映することを。

われわれは――手を汚してはならないのだ!

 

●暴力はかならずしも毎日、われわれすべての肩にその重い前肢を掛けるものではない。それがわれわれに要求するのは、ただ嘘への服従、日ごとの嘘への参加だけであり――“秩序正しい社会”とはこのことに尽きる。

 

●だがここにこそ、われわれが軽視している、最も簡単な、もっとも容易な、われわれの解放のための鍵がひそんでいるのである。それは――個人としての嘘への不参加、たとへ嘘がすべて支配していようとも、もっともちいさな一点だけはゆずるまい、つまり、たとへ支配するとしても、わたしを通してではないという一点である!

 

●ところがこれこそ、われわれの無行動の仮想の円環にうがたれた穴であり、われわれにとってはもっともたやすく、嘘にとってはもっとも致命的なものなのだ。なぜといって、人びとから嘘が飛び去ってしまうなら――嘘はただもう存在をやめるしかないからである。

伝染病と同じく、嘘は人びとに寄生することによってのみ存在することが出来る。

 

●せめても心に思っていないことを語ることだけはやめようではないか!

 

あとはみんなが手をつなげばよいのだ!

 

われわれが力をあわせ、できるかぎりおおぜいでこの道を踏み出すとき、この道はわれわれ全員にとってより容易な、より短い道となるだろう。

われわれが幾千人にもなれば――そのだれに対してももう手出しはできなくなるだろう。

われわれが数万人になれば――わが国はもはや見違えるほどになるだろう!

 

 

 

 

by ソルジェニーツィン。1974年/国外追放直前の訴え『嘘によらず生きよ』より・一部意訳。

 

 

(1年ぶりに加治丘陵で出会った日本カモシカのちびっ子です。)