14年前のガザのこと『おれたちに、“逃げ場”はない。手製の武器を持って“闘う”時だ!』 | よろぼい日記

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杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

 

――記――

 

1月3日の夜、私たちは悟った。

イスラエルの戦争大臣エフード・バラクの言葉に正しいと言えるものがあるとしたら、それは唯一、この侵攻が長いものになるということだ。

 

こちらの時間で午後9時15分、イスラエル軍は3つの地点からガザ地区に入ってきた。

 

F-16が上空から掩護する中、ガザ市の東、そして、北部のジャバリヤとベイト・ラヒヤから、パレスチナの人々が住む地域に戦車隊が進軍してきた。同じ時刻に、ガザ最南端のラファにも、東南から戦車と歩兵部隊が侵入した。ガザ市のミンタル地区には戦車砲と大砲の砲弾が雨あられと襲いかかり、海からもガザ市に向かって戦艦からの一斉砲撃が起こった。

 

ガザ地区全域が包囲され、ミサイルと大砲の猛烈な攻撃が続いた。

 

多くの住人は、地上侵攻が始まったことさえ気づかず、その間ずっと、イスラエル軍の空爆が激しさを増しただけだと思っていた。

ガザ市はこの数日間、停電が続いていて、どの家のラジオも電池が切れかかっていたのだ。

 

すでに1週間以上、ガザ市のほぼ全住民が家に閉じ込められた状態で過ごし、開いている店など1軒もない。ニュースは口伝えで伝わってくる話に頼るしかなく、自家発電装置を持っていて、なおかつ燃料が残っているという幸運な人はごくごくわずかしかいない。

 

このうえなく厳しい、絶望的な状況に置かれたこの今、武器など持っていない一般の人たちに猛烈な爆撃が浴びせられている。地上戦に先立つ8日間、イスラエル軍は、完全に無防備な人々(その4分の3は女性と子供だ)相手に、世界で最も進んだ軍事力を、システマティックに、思う存分ふるいつづけた。

 

気力・体力とも限界に達した状態で、住民たちは、途方もない喪失感と焦燥感にさいなまれながら必死に耐えている。言うまでもなく、18カ月に及ぶ封鎖で、ガザはすでに、これ以上持ちこたえるのもほとんど不可能な状態に追い込まれていた。

 

この数日間で、私たちは10以上のモスク、聖なる礼拝の場所が爆撃を受けるのをまのあたりにした。ほとんどが、中で人々が祈りを捧げている時のことだった。私たちは、瓦礫の下から子供たちが引きずり出されるのをまのあたりにした。その小さな体の中で折れていない骨はただの1本もないように見えた。私たちは、血まみれの死体と最後の息を引き取る人たちであふれかえっている病院をまのあたりにした。空爆を受けた現場で懸命の蘇生処置を受けている友人たちの姿をTVで見た。何家族もの家族全員がミサイルの一撃で地面もろとも吹き飛ばされるのを見た。私たちの街が、家が、近隣の地域一帯が、とてつもない破壊行為によって、何だったのかもわからない瓦礫の山に変じていくのをまのあたりにしてきた。

 

これだけのことをやっておきながら、イスラエルは声高に、この攻撃は民間人を対象にしたものではない、これはハマースの政治・軍事部門に対する戦争であると強固に言いつづけている。一方の私たち、ガザの住民は、全員が、およそ人間に耐えられようはずもない恐怖と暴力を一身に受けつづけている。もしかしたら、イスラエル軍は、自分たちが作り出した妄想を真実だと思い込むようになり、その妄想のもとに行動しているのではないか。

そんな思いすら浮かびはじめている。

 

イスラエルは私たちの家に入り込み、私たちの街で私たちを攻撃し、私たちに向けて全開の暴虐さを発揮しつづけている。いったい、私たちは、どう対応するのが当然だと思われているのか?

今、ガザでは、パレスチナのすべての派が一致団結し、持てる限りの戦闘能力を結集して、敵に立ち向かっている。

 

その戦闘能力は、イスラエルの軍事力に比べられるようなものでは到底ない。

 

それでも、彼らの闘いは、私たちに、かつてないほど強く、パレスチナの人々は自分たちのものを守るために最後の最後まで闘うだろうという確信を与えてくれている。

 

抵抗と勇気と愛がパレスチナ人のアイデンティティにとって不可欠のものなのだということを、それは、私たちが耐えている苦難がどれほどのものであろうと、決して変わることはないのだということを、示してくれている。

 

彼らの闘いは私たちの心に力を与えてくれた。

 

私たちが最も必要とする時に、心を支えてくれるものが出現したのだ。

 

パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のアブー・アリー・ムスタファ旅団、イスラーム聖戦運動のアル・クゥドス旅団、ハマースのイッズッディーン・アル・カッサーム旅団、民衆抵抗委員会(PRC)のサラーフッディーン旅団、ファタハのアル・アクサ殉教者旅団、このすべてが結束し、統合されたひとつの最前線部隊として、100パーセントの危険が約束されている中、私たちの街を、私たちの家を守るために闘っている。

 

彼らはみな、みずからの死が無力な子供の死をひとつでも阻むことできるのなら、それなら自分は死んでもかまわないという覚悟ができている。

 

私たちはひとつだ。

私たちはこれまで繰り返し繰り返し苛酷な運命を受け入れてきた。

しかし、ガザの人たち(その80%は難民だ)は決して皆殺しにされるつもりはない。

 

圧政と強欲に導かれるままによそからやってきた連中に今一度この地から追い立てられるつもりはない。

 

パレスチナ各派の統一レジスタンス部隊の人員が全部でどれくらいになるのか、いろいろな数字が出されているが、おそらくは数千というところだろう。

 

一方、ガザ地区内・ガザ周囲にいるイスラエル軍は、現時点でおよそ3万3000。

 

明日中には、さらに多くの予備役兵が招集されることになっている。圧倒的な軍事力の差は地上部隊の人員数にとどまらない。イスラエル陸軍はイスラエル海軍とイスラエル空軍に掩護されている。地上部隊には大砲があり、戦車があり、工兵隊があり、諜報機関のサポートがある。イスラエル兵は最新鋭の武器と情報機器を装備している。

 

一方のパレスチナの戦闘員はと言うと、イスラエルの軍事力に抗して自分自身とガザの人々を守るのに、手作りのロケット砲と最少限・最低レベルの武器で間に合わせなければならないのだ。

この今、攻撃のただ中にあっては、現在の状況を正しく判断することも今後を予測するのも難しい。

 

死んだ人、怪我をした人の数も、私たちが失ったものがどのくらいなのかも把握するのが困難になっている。

 

食べ物や水や暖かさや陽の光といった、生きていくための最低限の必需品が贅沢なものではなかったのがいつのことだったのか、それを思い出すのさえ難しい。

 

今、この時点で機能しているのは、人間としての最低限の本能だけだ。愛するものを守りたいという欲求、シェルターを確保したいという欲求、闘う本能、逃げようとする本能だけだ。

私たちはもう長い間、逃げつづけてきた。

 

ガザは私たちの最後の避難所、今イスラエルと呼ばれているものに取って代わられてしまったのちの、私たちの最後の家だ。

このすべてが60年前に起こった。

イスラエルは、これ以上、いったい何がほしいというのか。

 

私たちにはもうどこにも行くところはない。

イスラエルは、現在ある国際法の条項をことごとく無視してきた。

今こそ、私たち自身を守る時、レジスタンスの時だ。

 

 

 

 ●私たちに残された最後のものを守るために ●

      サファ・ジューデー/2009年1月5日●