短編小説『吸い殻』28枚 up | よろぼい日記

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杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

吸い殻

                                 田中 冽

 

 

 

その年、私は、社命があって沼津にいた。

前任の支店長は目抜き通りの便利なマンションに住んでいたが私はそういうところは嫌いだった。古くてもなんでもいい、ぜひとも海のそばに探してくれと頼んでいた。

格からも実績からも仙台支店と沼津支店では階段を十段ほど踏み外すほどの落差があった。

仙台支店の支店長を二、三年過ごすと取締役のポストが待っていた。

沼津支店に飛ばされると後は何もない。

どういう理由でか、私は沼津に行くことになった。

辞令が有効になる前日の朝、部屋の住所とかぎが仙台支店の支店長室に届いた。

それを見ると、いてもたってもいられなくなり、昔部下だった後任の支店長を無理やり本社から呼びつけ、形ばかりの引継ぎをして、私は新幹線と普通列車を乗り継いで沼津に向かった。

夜遅く私は住所をたどってようやく自分の借り上げ社宅を探し当てた。

木造のぼろぼろの小さなアパートでがっかりしたが、はいってみると細切れの部屋が四つもあった。

ライターの火を頼りに窓を開けると、すぐ近くから波の音がする。

懐かしい潮の香りがかすかに嗅ぎ分けられる。

私は満ち足りた気持ちになった。

そんなに早く赴任してくるとは思っていなかったらしく、部屋には電気もガスも通じていなかった。

着のみ着のまま畳に眠るのは寒かったので、私は街に出て痛飲した。

いくら飲んでも酔いは私を捕らえようとはしない。

それで、酒場の女に頼んで食い物とローソクを手に入れ、部屋に戻ってワンカップを啜りながらまんじりともせず作戦を練りつづけた。

「やっぱり、そうだよ」

外で人の声がした。

自転車が止まる音もする。

ひそひそ声で何か話している。

午前零時を過ぎていた。

じっと耳をそばだてていると、遠慮がちにドアを叩きはじめた。

私はいぶかった。

ドアを開けるとスーツ姿の男とよれよれの作業衣の老人が廊下でもじもじしていた。

「こんな時間に何だね?」

私が尋ねると相手はもがもがいった。

「沼津支店のものかね?」

「それがそうなんですが」

スーツの男は営業課長をしている村上何がしと名乗ってから目のふちに皺を寄せた。

「ひょっとして困っているんじゃないかと思って営繕の朝倉さんといっしょに寄ってみたとです」

 

六畳和室、四畳半和室、三畳の洋間、同じく三畳の台所は、そのうち、ひとりまたひとりと集まってくる社員たちでいっぱいになった。

夜具の代わりにと毛布や寝袋を持ってくる社員もいた。

みな通夜の席に集まって来たようにどこか悲しげな、敬虔な様子をしていた。

ときおり口を開いてもぼそぼそと喋り、何をいっているかよくわからなかった。

「いかんですか」

「いかん」

「どげんしてもだめでっしゃろか」

「だめだ」

質問されるたびに私は答えた。

沼津支店は全国に百十七ある支店のうち十年以上連続赤字を続けている三つの不振店のなかでワースト・ワンだった。

累積赤字が十億をはるかに超えていた。

親会社から出向していた副社長が病死して新しく社長となった小野塚健児は、私より十歳年下の四十二歳だったが若いころから次期小野塚財団のトップを約束された小野塚一族の花形だった。

彼の辣腕は誰もが知っていた。

私大を出てアメリカの関連会社で経営学を学び、戻ってくるとホテル事業の再編成に乗り出し、国内に百数十ヶ所あったホテルをほぼ売却して、業界の冬の時代に備え、経営破綻に立ち往生した老舗のホテルを次々に買い取って小野塚グループのホテル事業を不動のものとしたが、一方で足手まといな子会社を次々に整理し始めていた。

親会社内部のことはよくわからない。

しかし、彼が新社長に就任したからには、立て直すために来たのか、それともうまく消滅させるために辣腕をふるうのか、それは誰にもなぞだった。

はっきりしていることはひとつだった。

支店として黒字の見通しがたたなけれはあっという間に潰される。

理屈の上なら人件費を三割削減し、期末までにはぎりぎり五億七千万の完工をやれば何とかなる。

その、五億七千万をどういうふうにものにすればいいか。

それはどんな奇跡が起こっても現実には不可能のことだった。

それでも何としても黒字にし、累積赤字をちゃらにしてここに骨を埋めようと私は考えていた。

「前期で六億やらんか。やれば誰も文句はいいやせん」

営業課長の村上がいった。

「あんたたち知っとると?沼津はね、この三年の年間平均完工高は二億一千万なんよ。そんな実績で半年で六億なんてウルトラ・シーがあると?」

行かず後家という噂は聞いていた業務係長の女史がいった。

みな思い思いに黙り込んだ。

営繕の朝倉さんが点けてくれた真新しい蛍光灯のひかりのなかでみな互いに互いをじっと見つめあった。

私は黙っていた。

誰かがぼそぼそいった。

「みんなで今までの倍働くのさ。建築も営業も業務も力を合わせて今までの倍働けば自然に数字はついてくると思わない?ねえ?」

見ると、くしゃくしゃした顔立ちの痩せた猿みたいな若造だった。

喋るとき唇を斜めにひん曲げる癖があった。

私が教育センターの所長をしていたころ全国から呼びつけられたおおぜいの低業績社員のひとりだったのだろうか、あったことがあるような気がした。

唇を曲げる癖が直らないと、客商売だ。

営業ではとてもやっていけまい、と思った。

 

明け方、かすかに聞こえる潮騒の音にふと耳をそばだてた。

私はがらんとした部屋で寝袋にくるまってひとり転がっていたのだ。

そうだ。

私は沼津に来たのだ。

長い間、夢見ていたことが五十を過ぎて、ほんとうになったのだ。

生まれて初めて海を近くに感じながら過ごすことになったのだ。

その発見に私は至極満足した。

外に出ると、風のなかに驚くほど懐かしいかおりが混じっていた。

少し歩くと暗がりの向こうに松林が広がる。松林は見渡す限りどこまでも続いていた。

散歩をしているのか、人影とたびたび出くわす。

波打ち際に沿って釣り人のちいさな影が点々と見える。

頭上の雲が茜色に染まった。

水平線に沿って帯のようにかかる雲は太陽の出没をさえぎり、黒から赤に向かっていくらか青みを帯びていた。

見る間に陽のひかりはあたりを金色に染めていく。

空がたちまちブルーに輝きはじめた。

薄明のなかで、海は、見渡す限り音もなく黒々とのたうっていた。

やがて、金色のひかりが一切を支配した。

すべてがみるみる金色に染まっていく。

はるか遠く、手を伸ばせば届きそうな位置に富士山の皺がまっしぐらにそそり立ち、金色に輝きはじめた。

海は音を立てて変貌していく。血のようなひかりを浴びて、時々刻々と輝き始めた。

誰もが敬虔な様子をしてじっと見入っていた。

そのあまりな美しさに魅了されていると転勤も人事の確執も老いですら、どこか遠い世界のありえない出来事のように思えて来る。

「お寝坊さん、もう起きている?」

午前七時丁度、出張や単身赴任のときいつもそうするように妻からのいつもの声が携帯に響いた。

「ああ」

私はいった。

「めずらしいね」

「海を見ているんだ」

「海って海?」

「そうだ」

「どこの海?」

「沼津だ」

「沼津?」

妻は絶句した。

無理もないことだが辞令が出てから着任までたいがい半月ほどかかるのでまだ仙台にいるものとばかり思っているのだ。

「きれいなの?」

「何が」

「沼津の海のこと」

「ああ」

私はいった。

「あなたって不幸よ」

妻は泣いていた。

歩合営業から営業所所長を飛び越えて、赤羽支店の支店長に抜擢された四十一歳のときから北海道の函館支店を皮切りに私は業績の低迷している支店ばかりを歩かせられた。

どの支店もその支店を統括する管理職のたがか緩んでいた。

管理職を更迭し、取り巻きのボスを数人切れば支店は次第に活力と機能を回復した。

北九州の小倉支店、下関、富山や徳山や福井、土浦や宇都宮、群馬支店や、茨城の鹿島支店、広島から四国の高松支店とまわり、最期に千葉に社運を賭けて造られた大掛かりな分譲住宅が失敗して、その売れ残りの千三百四棟をすべて完売せよ、という社命を受けて信じられないような奇跡を果たした。

それが決め手となって北信越の十三の支店を統括する仙台支店長を拝命した。

それがどういうわけか、あと少しというところで再びどん底支店に飛ばされることになってしまった。

「祈れよ」

私はいった。

いった途端、私はいっしゅん涙ぐみそうになった。「どうか力を貸してくださいと、見えない神に向かって」

 

時はまたたく間に過ぎていく。

支店は、想像よりはるかに惨憺たるありさまだった。

手がかりは何もない。

契約の予定も見込み客のあてもなく、社員たちは、日がな、ただ、ばたばたと階段を上がり降りして右往左往しているだけだ。

ただ救いがひとつだけあった。

それは、半年ほど前、三千八百万で契約したまま、ローンがつかず着工出来ないでいる木造二階建ての手作りパン屋があった。

一階が店舗で二階に住宅が絡んでいる。

地元の信金が出すぎりぎりの融資額と施主の手持ちを足しても総費用に一千万ほど届かない。

私は二階の住宅部分の居間を手作りパン屋のレストランとして申請しなおし、五百数十万の追加融資を強引にもぎ取った。

それでも五百万ほど不足する。

請負工事費を五百万切った。二十パーセントの利益は三パーセントとなった。

工事を下請けに発注し、工程が決まった。

すべてがはじまったのは、その日からだった。

私たちは毎日建築予定地のまわりを歩きつづけた。

現場のまわりを開拓することがいちばんなのである。

ひとつ現場の近くにもうひとつの新現場が動き始めるとさらにそこを拠点にまわりを飛び込む。

飛び込み営業をするならやめさしてや、とひとりの古参の営業がふたりの中堅営業を引き連れて退職して行ったがそれも幸いした。

現場はひとつ又ひとつと芋づる式に増えていった。

三月(みつき)もすると、建築現場が十三棟に増えた。

そうなると社員たちは自分たちの思いがけない力を信じ始めた。

朝から晩まで黙って駆けずり回っている彼らを見ていると、まるで奇跡を見ているようだった。

飛び込みの陣頭指揮をとりながら合間合間に、私は下請け工務店の補充に走り、昔とった杵柄で目抜き通りにビル建築求めて私は歩いた。

するとひとつ一億弱のちいさなテナントビルが、ついで三億一千万の診療ビルの改修工事が瓢箪から駒みたいに決まってしまった。

「ばんざーい。ばんざーい」

契約が入る度に壁に大きな造花のバラをピンで留め、支店中が沸きかえった。

 

秋も終わりに近いある日の午後、社員たちが出計らっている隙に支店の台所で横になっているところを揺り起こされた。

「沼津には今回は誰も来はらんわ。たった今、連絡が入ったよ」

業務の女性係長の声は弾んでいた。

「ありがたいね」

私はいった。営業担当専務と新社長が手分けして全国の支店をまわって叱咤激励していた。

明日には、沼津にどちらかが来ることになっていた。

「業績がすごいからだわ。こんなの、うちの支店と水戸と松江だけよ」

「うん」

とうなずいたが、私の頭は別のところにあった。

水戸と松江は何十年も前からいつも抜きんでていた。

そこに沼津も名を連ねるようには確かになった。

しかし、私は着工と同時に頓挫した診療ビルの改修工事のことを考えていた。

頓挫すれば打撃は大きい。

駿河湾を望む山岳地のどてっ腹のあたりに、その老人福祉診療施設はひろがっていた。

頓挫したのは診療所開設当時、山岳部に埋め込まれていた大きな貯水槽が使用可能という前提で見積もりしたにもかかわらず、三十年前の配管が地中で腐食している可能性についてうっかり失念していたからだ。

水は、工事用の仮設水道として、終われば診療施設を流れる人工庭園の憩いの池に使われる。

水がないと工事にならない。

貯水槽は重機を持ち込めない傾斜地に埋められていた。

ヘリコプターで持ち込むことも検討したが急斜面と地盤の不安と何よりも費用の点で見送らざるを得なかった。

「みんな、人が変わったみたいに目の色を変えて飛びまわっているわ」

業務の女史はうっとりと私を見つめた。

「悪いが村瀬を呼んでくれ」

私はいった。

村瀬は来た。

彼は、三度目の退職勧告を受けてしょげ返り、ひとりで私物を片づけていた。

突然の呼び出しにその猿のような顔は、少しはにかんでいるように見えた。

「明日から土方や」

私はいった。

「支店長と、ですか?」

村瀬はいやな顔をした。

「そうや」

私がいうと、村瀬はそっぽを向いた。

「やるんだ」

私の語気は自分でも思いがけないほど強かった。

「やれといっても」彼は口ごもった。「そんなの設備屋のおっさんの仕事でしょう?」

「やつがふたり連れてくる」

私はいった。

「たった五人で?」

「ああ」

狭くてそれ以上、人がはいれない。

五人でどれだけやれるかわからないが、もともと無理を承知で受けた工事だったからこそ受注できた。なんといっても工期のけつが厳しい。

どんなことがあっても十日以内に掘りあげなくてはならなかった。

そのことを説明し、私は念を押した。

「いいな、支店の命運がかかっている」

「命運ね」

彼は鼻に皮肉な皺を寄せた。

「そうだ」

「いやといったら?」

「いやとはいわせない」

私はいった。

「いやです」

彼は答えた。

「立つ鳥跡を濁さずだ」

私はとっさにそんなことをいった。

彼は少し考えていた。

それから、数日前私が差しだした退職勧告を受け入れたときと同じように少し唇をゆがめていった。

「いいですよ。最期のご奉公やわ」

 

崖伝いの茂みで人のけはいがした。

みな動きを止めた。

業務係長の女史が毎日午後遅く、冷たいものを抱えて業務報告かたがたやってくる。

多分それだろうと私は思った。

営業社員への個々の指示は、十時の一服のときと、昼飯時、三時の一服のとき、私は携帯でとった。

貯水槽はとても手ごわかった。

五メーターの深さに埋没しているだけでなく鬱蒼と繁茂する樹木の根に覆われていて、つるを打ち込んでも弾かれて手に負えない。

急勾配で足がかりも滑る。

それでも何とか一日が終えると、大小さまざまの生々しい根がすだれのように立ちふさがった。

ふとももの太さの根は設備屋の同級生という仮枠大工の爺さんがのこぎりで切断した。

爺さんが溝を横断する鋼のような根と格闘している間、私たちは一息入れた。

村瀬はいつもすぐへばった。

へばっても若さだ。

ひと休みするとスコップをとって、がむしゃらに赤土を跳ねた。

四、五日もがいているうちにようやくはかが行くようになった。

雨はなかったが、六日目に一日だけ休んだ。

休んだ翌日から二段跳ねがはじまった。

溝の底から控えの跳ね場に赤土を跳ね、溜まった赤土をひとりが地表に跳ね上げ、てっぺんのひとりがそれをまわりに均していく。

私はてっぺんの均し役だった。

均しながらいつも遠くに輝く海を見遣った。

二段跳ねは仮枠大工の爺さんがした。

村瀬は設備屋と元土工のちっこいじいさんと張り合っていつも溝の底からスコップで赤土を跳ねあげた。

その日の二時過ぎ、赤土に水が混じるようになった。

それからようやく貯水槽の底が見え隠れしはじめた。

 

茂みを登ってくる足音を耳にしながら私の胸は騒いだ。

業務の女史が何かいっている。

誰かを案内しているようだった。

「よし、少し早いが一服にしよう」

私は号令をかけた。

四人が泥にまみれて上がってきた。

それと同時に茂みが割れ、業務係長といっしょに新社長の肥満体がひよっこり姿を現わした。

彼女はドライアイスの包みをひろげた。

「社長さんからの差し入れなの」

「ありがとうございます」

私は頭を下げた。

「支店まわりの通りがかりに沼津の猛者さんにひとこと挨拶だけでもしておこうと思ってね」

新社長は煙草を一本取り出してくわえた。

「恐縮です」

私はいった。

「重役連中は何もわかっていないのよ。沼津支店長のつめの垢でもせんじて飲め、といったら彼はどこの馬の骨とも知れないセールスマン上がりだから、とあさってみたいなことを抜かすからね」

彼は百円ライターで手ずからくわえた煙草に火をつけた。

小野塚グループの御曹司がお金ざくざくであることは誰でも知っていた。

気取りから、秘書も連れず、百円ライターで火をつける。

しかし、黒塗りの社用車がエンジンを入れたまま待っているはずだった。

「あんたには、前々から期待していたんだよ。だからこれからもずっと期待していていいよね?」

彼は歯の浮くようなおべんちゃらをいった。

糞みたいな野郎だ、と思った。

「社長さんにお言葉をかけていただけるだけでも光栄に存じます」

私は型どおりに答えた。

言葉は両刃の剣だ。

鵜呑みにすると後ろからばっさりやられる。

撥ねつけるとそれっきりだ。

「じゃ、暮れの支店長会議の後で、ゆっくりたる酒をつき合ってくれ」

最期に彼はそういって、吸いさしの煙草を弾いて、くるりと背を向けた。

そのときだった。

「何で埋めるんや」

村瀬が社長の背中を泥の手でつかまえていた。

「埋めるって?」

社長は何をいわれたか、一瞬、分からないらしかった。

「あれや」

村瀬の指先には溝があった。

溝の底には一面びっしりスコップの引っかき傷がついていた。

ところどころの水溜りには木の葉が浮かんでいた。

その葉っぱに絡まって、社長が捨てた吸い殻が水にほどけ、汚い脇腹を晒していた。

「吸い殻のことか」

社長は理解した。

「ここまで掘りあげるのに、わしらがどんな思いをして掘りあげたのか、少しは察してもらいたいもんだよ」

設備屋のおやじがいった。

「拾い上げろ」

仮枠大工の爺さんが怒鳴った。

「ついうっかりマナーを忘れていて、申し訳ありません」

社長はみんなに向かってすばやく頭を下げた。

「マナーの問題じゃねーぜ」

元土工がバタ板を手にとった。

社長は足をとられて尻もちをついた。

でっぷりした社長の童顔におびえが走った。

村瀬が猿みたいに真っ赤な顔をしてスコップを振りあげて構えていた。

「言い訳はいいから、降りていって、てめえの汚い吸い殻をてめえで拾い上げろ」

村瀬が唇を醜くゆがめて、切りつけるように怒鳴っている。

それでいい、と思った。

そう思うと、私は、久しぶりに心の底からほっとした。

 

結局、私はその年の暮れに開催された全国支店長会議に出席しなかった。

なぜといって、そのことがあって一月もしないうちに私はまた新しい辞令を貰ったからである。

そして、私は本社総務部付のその辞令を破り捨てて十数年ぶりに妻の元に戻った。

あとで聞くと、私が骨を埋めようと思っていた沼津支店は、翌年の四月一日付けで残務整理に業務の女史ひとりを残して誰もいなくなってしまったそうである。

いや、沼津だけではない。

それから丁度二年と半年が過ぎた。

私たちが人生のすべてを賭け、子を育て、さまざまな形で愛していた私たちのたくさんの支店も本社ですら、いつの間にか、きれいに整理されて、今ではこの世のどこを探しても、影も形もなくなってしまった。

  

                         (了)