5年前75歳で脳梗塞で救急搬送され、それから2年して脱腸で救急搬送され、何とか生きのびた今のぼく(80歳)に最も親しみがある作家が野坂昭如なのかもしれない。
以下は彼の最後の日誌『絶筆』からの抜き書きである。
●憚り(はばかり)を済ませる。
殿中ではあるまいし、せいぜい数メートル先の憚りへいくのに寝床から離れがたい。
面倒ではあるが尿意には勝てない。
起き抜けは足元がふらつく。そろりそろりと往復。
●ただ、もう少し生きのびて、日本の行く末を見定めたいとは思う。
●食の安全、安心という面でいえば、腐らない果実、虫食いのない葉っぱ、また、遺伝子操作の方がずっと恐ろしい。神経質になるべきところをまちがっている。
野坂昭如、80歳の時か?
●重装備で沖縄へ着いた。……車椅子に杖、念には念をと、酸素ボンベまで機内に運び込んだため乗り降りが大変。
●特定秘密保護法……病も政治も同じ、危ないと自覚したときには時すでに手遅れ。世の中は再び戦前に戻ろうとしている。
●快眠、快食、これに適度な運動が加われば問題なしなのだろうが、一日ぼけっとして自堕落な明け暮れを自認、これがたたって尾籠な話しで申し訳ないが、快便が難しい。
●食欲もある。
調子のよさの元をたどって、はた、と気づく。
沖縄では毎晩ビールを飲んだ。普段、酒をほしいとも思わず、もはや無縁の日々。
久し振りに酔って、体が目覚めたか。
だが、東京で飲んでも、ちっともうまくないのが不思議。
沖縄の海と空あってのことだろう。
●白い米のおにぎりを、節子に食べさせてやりたかった。
これは何度も読んで何度も感動した『火垂るの墓』から。
●今のぼくには、何の変わることもない、つまり、面白くもおかしくもない明け暮れだ。
小説のネタなど考えたくもないが、いやいや、寝るのが一番。
怠け癖を反省の気持ちもあるが、なるほどこんな風にして年は移りゆくかと他人ごとのように思ったりしている。
秋の初めに誤嚥性肺炎とやらに見舞われ、スッタモンダ。……焦らない、焦らないと妻が呪文のように唱えているが、ぼくはちっとも焦っちゃいません。
●さて、もう少し寝るか。
この国に、戦前がひたひたと迫っていることはたしかだろう。
絶命の数時間前の文字通り絶筆。享年85歳。