じゅりにゃのダンスは圧倒的だ。

 風に舞うようになめらかであり、大地を踏みしめるように雄大だ。

 PVを見るたび、私の目はいつも彼女に釘付けである。

 じゅりにゃの細長い指に、振り乱れる髪に、その輝く瞳に、笑顔からはあどけなさが、しきりにこぼれる。

 私は何度も見た。何度もじゅりにゃを追った。振り付けを覚えるぐらい食い入った。

 なんなのか、わからなかった。私をそこまで夢中にさせるじゅりにゃという少女が。


 確かにダンスは上手い。しかし、彼女以上に上手い人間など、テレビで飽きるほど見ている。それなのに、私をそこまで熱中させる彼女の魅力がわからなかった。

 可愛いことは可愛い。むしろ、美少女である。ただ、それだって、飽きるほど見ているし、じゅりにゃの周りでも美少女がわんさかと踊っている。

 じゃあ、なんだ。

 それは存在だった。

 単純に存在であり、複雑に絡み合っての存在でもあった。

 じゅりにゃは存在を画面上にはっきりと打ち出していた。画面の中じゃない。画面上だ。

 強烈なパワーがそうさせているに違いない。

 アイドルとしての自意識、少女としての夢、そこにいる喜び。

 それらの燃え立つものが、彼女の中で反発し合いながらも、混じり合い、溶解し、一つの強烈なパワーとなっている。

 そのパワーは、たんなる若さと言ったらそれでおしまいだ。

 ただ、今のじゅりにゃを見ていて、奮えずにはいられない。

 彼女は少女という人間であり、人間という天使なのかもしれない。

 そうか、人は悪魔にもなれれば、天使にもなれるのか。