その日、確かに私は、用をたしていなかった。ずいぶんと、たまったものだ。突っ張った胃腸をさすりながら、私はゆっくりと便座に腰かけた。
 さあ、一思いにやってやろうか、と、胸の内で呟きながら、肛門を解放し、腹部に力を込める。
 ところが、肛門の辺りで排泄物が詰まる。こんなとき、慎重にならなければいけない。早急に用を済ませたいばかりに、ただただ勢いに任せて排泄してしまうと、あの、恐ろしい「切れ痔」になってしまう。それだけは避けたい。ゆっくりと、ゆっくりと、赤子を湯船に浸からせるようにして、優しく排泄していかなければならない。
 さあ、出す。ゆっくりと出していく。しかし、まだある。硬いものが肛門の付近にまだある。
 はて、と、思い、肛門を一度締めてはみるが、切れない。じゃあ、緩めてみる。出していく。力を込め、あるいは息を吐き、出していく。
 こうなると、緊張と緩和の連続だ。むしろ、闘争に近い。私と、排泄物の駆け引きである。
 そうして、五分ほど、闘っただろうか。排泄物は切れ、肛門はすっきりとした。
 勝利した私であったが、不安もあった。どんな排泄物が私の胃腸の中に詰まっていたものか。
 私ぐらいの年齢にもなると、体の中には気をつかわなくてはならない。
 私は腰を上げ、便器の中を見た。
 私は目を疑った。
 そこには巨大な一本糞が、なみなみと浸かっているではないか。
 なんていうことだろう。私は大いに悔んだ。こんな素晴らしい一本グソをするのであれば、ちっぽけな便器の中には排泄せず、大きな野原に腰を屈め、とぐろを巻かせたというのに。
 次にこんな立派な排泄物を生み出すのはいつのことになるだろう。私はレバーを引き、一本グソが便器の奥へと飲み込まれていくさまを泣く泣く眺めていた。