2015年4月現在の私
2014年12月末日で会社を退職した私は、明けて1月から自分探しを始めた。
溜まっていた片付けものをしている際に、返さなくてはいけない本が出てきたことで、真っ先に4年間途切れていたボーイスカウト尼崎第25団との縁が復活した。
長らく借りっぱなしになっていた事を詫びるために電話すると、一足先に会社を退職して自立・起業を始めた光造隊長が、自分の経験を元に2種類の名刺を名刺入れとともに作ってくれた。
2種類というのは、ボーイスカウト尼崎第25団の副育成会長としての名刺と、指導者有志で立ち上げた特定非営利活動法人 ふくろうの会 の理事としての名刺であった。
どこに行くにも渡すべき名刺のない私にとって、それは涙の出るほどうれしいプレゼントであった。
ボーイスカウトは、「ひとたびちかいを立てれば死ぬまでスカウトだ」という掟がある。
仕事の都合で中断を余儀なされてきたボーイスカウトの活動だが、私はにわかスカウト指導者の端くれであり、死ぬまでスカウトだったのだ。活動を再開することでささやかな社会貢献にもなる。
おまけに、リーダーの仲間でコーヒー豆の焙煎販売をしている土井さんから、「うちの店を使って収入を得ることをしないか?その収益の一部をスカウト卒業生の就労の場づくりと、グループホームづくりにも充てることを考えよう」という申し出があった。
こうして、焙煎工房マルイ が支援する、特定非営利活動法人 ふくろう珈琲事業部が誕生した。
溜まっていた片付けものをしている際に、返さなくてはいけない本が出てきたことで、真っ先に4年間途切れていたボーイスカウト尼崎第25団との縁が復活した。
長らく借りっぱなしになっていた事を詫びるために電話すると、一足先に会社を退職して自立・起業を始めた光造隊長が、自分の経験を元に2種類の名刺を名刺入れとともに作ってくれた。
2種類というのは、ボーイスカウト尼崎第25団の副育成会長としての名刺と、指導者有志で立ち上げた特定非営利活動法人 ふくろうの会 の理事としての名刺であった。
どこに行くにも渡すべき名刺のない私にとって、それは涙の出るほどうれしいプレゼントであった。
ボーイスカウトは、「ひとたびちかいを立てれば死ぬまでスカウトだ」という掟がある。
仕事の都合で中断を余儀なされてきたボーイスカウトの活動だが、私はにわかスカウト指導者の端くれであり、死ぬまでスカウトだったのだ。活動を再開することでささやかな社会貢献にもなる。
おまけに、リーダーの仲間でコーヒー豆の焙煎販売をしている土井さんから、「うちの店を使って収入を得ることをしないか?その収益の一部をスカウト卒業生の就労の場づくりと、グループホームづくりにも充てることを考えよう」という申し出があった。
こうして、焙煎工房マルイ が支援する、特定非営利活動法人 ふくろう珈琲事業部が誕生した。