5月6日GW期間に訪問


「鎌倉殿の13人」では壇ノ浦の戦いも終わってしまいましたが、時代を再び一ノ谷の戦い前に戻してみます。


1184年3月、源氏軍は源範頼を大将に西国街道から生田の森に進撃します。


  一方、源義経軍は、三草山で平氏軍を撃破した後、一ノ谷に向かいます。


この日は、義経が通った藍那から鵯越への経路を歩いてみました。



△神戸電鉄藍那駅を出発、すぐに山道に入ります。

義経と同じ空気感…


△相談が辻

義経が、どちらの道を進むか思案し、作戦会議を開いた場所とされます


山道から星和台の住宅街を抜け、鵯越墓園へ。
北門から入ります。


△義経馬つなぎの松(鵯越墓園内)

松は枯れて根の部分しかありません


<説名板>
義経はわずか70騎で10万の平家を敗走させる「鵯越えの逆落し」と呼ばれる有名な戦いが行われた


△史跡「鵯越の碑」

鵯越墓園南門の植え込みの中、高さ1m程の碑です。


<裏側(写真手前)に刻まれた文言>
ここは摂播交通の古道で源平合戦のとき 源義経がこの山道のあたりから一ノ谷に攻め下ったと伝えられる          昭和29年2月


△鵯越墓園南門近くの高台から長田区方面

「鵯越えの逆落し」と「一ノ谷の逆落し」についてはいろいろ説があるようです。


  義経軍は馬つなぎの松あたりで2つに別れ、一隊はここ鵯越から夢野口へ逆落し、義経率いるもう一隊は一ノ谷の裏、鉢伏山に向かったとする説がわかりやすいと思います。


ここまで藍那から鵯越まで義経と共に歩いた2時間余りのウォーキングでした。



△生田の森(生田神社境内)


   帰りに、「生田の森」に寄りました。


一ノ谷の戦いは、一ノ谷・福原(夢野)・生田の森、の3ヵ所が主な戦場となりました。

生田の森は、源氏本隊の範頼軍が攻撃したところです。


それにしても、身近なところに源平合戦の史跡はあるのですね。


  大河ドラマと司馬さんの歴史書を読んだことで、この時代に興味を持ちましたが、義経は間違いなく我々の身近な場所を駆け回っていたということです。


さて、次は何処へ…? (^-^)