ポジティブ思考 前向きな姿勢ばかりが 
もてはやされるけれど、、、

わたしはウツから脱するために
ポジティブになろう、良いように受け止めよう
感謝をしよう、
嫌な事については 無かった事にしよう
見ないようにしよう 
ネガティブな事にフォーカスしないで
絶えず良い事 楽しい事に目を向けよう
と努力してきました。

昔わたしは切れやすく
一触即発女だった
わたしはこんな環境で育った
等と書いたりするのも
少し気が引けるような
思いもありながら
それは事実だし
その過去があったから今のわたし
があるのだから
と思ってました。

だけど人によっては
まだそんなことを 言っているの?
今の貴方しか知らない人に
そんなネガティブな過去の事など
語る必要はないのでは?

と感じられるでしょう。

良い事、人を励ます事だけを
書こうと思ってブログを始めたけれど
たまにそんな過去の自分をさらけ出す文を書いた後
なんか 不安になったりして
やっぱりもっと軽いノリの方が
良いのかなぁ
なんて思ってしまう自分もいます。

先週受けたセミナーの中で
30分間 自分が感謝したい人あてに
手紙を書くとか その人についての物語を書く
という作業をしながら
感謝の波動を作りだす
という事をやったのです。

両親とか近しい人に
今まで言えなかった有難うの気持ちを
思い出しながら
50人は居たであろう人たちの中
泣いて 鼻をすする音で
わたしはその作業に集中できなくなりました。

わたしの中に確かに感謝の気持ちはある。
あの時ひどい事を言ったなぁという後悔もある

なんだけど、わたしには 
素直に鼻をすするほどの涙は
出てきそうもない。

そうしたら、涙が出ない 自分を
責める気持ちとか
泣けない自分を 発見して
まだ感謝が足りないかしら
まだわたしは親を許していないのかしら
なんて言う思いがわいてくるものだから
益々
感謝の波動からは遠ざかってしまい
セミナーのメインイベント目
乗れなかった気分だけが残りました。

どうしてかなぁって 思いを巡らすと
根本には
自分に向けられた 厳しい言葉や
感謝を強制された記憶
何をしても褒めて貰う事など一切無い
等の悲しく辛くみじめな思いの傷が
癒えていないのだなぁと感じました。

ご免ね の一言で癒える傷もある
愛しているよ の一言で癒える傷もある
でも両親からはそれは

絶対
(父は亡くなり。

母は脳梗塞性の認知症で発語がない)

それらの言葉はかけて貰えない。
更には そう言う言葉でさえ 
癒えない思いも残念ながら残っている。

exclamation & question 貴方って随分執念深いのねぇ
って思いますか?

人にはさっぱりしていると言われているけどなぁむふっ

例えば犬好きの人が 愛犬を病気で亡くししたとして
その人の記憶から 
その愛犬と過ごした素敵な日々の記憶は
消えますか? 

その人の気持ちから 愛犬を失った悲しみは
時間が経てば消えますか?

ネガティブでもポジティブでも
記憶は薄れる事はあっても
消えることはないように思います。

そしてそれがポジティブなものなら
「想い出」 となり
ネガティブなものなら
後悔や悲しみ等の「傷」となる。

そのどちらも 受け入れて初めて
前に進めるんだろうなぁ
と思ったのでした。 

無いものにしても、
何処かに仕舞われてしまっている感情たちは
そのままでは消えてなくなる事はない。

感じた色々な感情を

受け止め 許し 愛してあげようハート達(複数ハート)

そうしたら、忘れてしまいたい思いや
何処かにしまい込んだ思いが
急に蘇って自分を苦しめる事も
減ってくるのではないかなぁほっとした顔