メリークリスマス・EVE

しかし、べらぼう時代にはChristmasはまだありません。

NHKプラスでべらぼうが大河ドラマ視聴回数が歴代1位になったそうです。

視聴率が悪いとか言われますが、面白ければいいんです。

大体、いまどきドラマって録画で見るのもじゃない?

 

日本橋人形町

鳥近で正月用の玉子焼を買います。

うぶけや

今度なんか買ってみようといつも思っています。
 

日本橋堀留町

田源 イチマス田源呉服問屋ミュージアム

ちょこちょこ欲しい小物が有ります。

ここの2階は耕書堂の再現コーナー 

耕書堂

再現してくれています。面白いですね。

もちろん入場は無料です。

黄表紙も沢山有りました。

カピバラと蛙 欲しい🌟

田源の耕書堂の後は、前から食べたかったラーメン屋に行きます。

日本橋小伝馬町

「ラーメンを食べる」を見て無性に食べたくなりました

「ただ味」

店外のバーコードを読み取って会計をします。店内に入ったらバーコードを読ませて食券を貰います。チョッと面倒。

スタミナ中華🍜 1400円

大きな焼豚・ホルモン・玉ねぎがゴロゴロ入っています。

無料トッピングはにんにく🧄とアブラ🐷

麺はゴワゴワの太麺。

スープは思ったほど濃厚ではなく、にんにく🧄がとても効いています。

ご馳走様でした。

 

近くの十恩公園

ここは江戸小伝馬町処刑場のあった場所

園内には、銅鐘石町時の鐘・伝馬町牢屋敷跡・杵屋勝三郎歴代記念碑・吉田松陰終焉の地碑など、歴史を物語る史跡が豊富に残されています。

吉田松陰終焉の地碑

吉田松陰は、黒船艦隊が再来航した際に密航を企て、現在の小伝馬町の牢屋敷に送られました。 

後に萩に送還されるも、安政の大獄に連座して江戸に送られ、安政6年(1859)小伝馬町の牢屋敷で処刑されました。

銅鐘石町時の鐘

ここで平賀源内先生も亡くなります。

日本橋耕書堂から7分ぐらいの場所です。

十思スクエア 蔦重ギャラリー

ちょっと探すのに時間がかかりました。

案内が悪いかも!

今回のもう一つの目的はここ。

復刻の浮世絵・黄表紙が沢山あります。

無料なのでついでに見学です。

黄表紙好きな方は嬉しいです。

 

歩いて7分くらいで。

日本橋耕書堂跡地

そして、すぐ側の。

蔦重通油町ギャラリー

色々とべらぼうグッズがあります。

 

①大伝馬町に「蔦重通油町(つたじゅうとおりあぶらちょう)ギャラリー」

(中央区日本橋大伝馬町)

営業時間は10時~18時。土曜・日曜・祝日休館。2026年1月31日まで。

 

② 十思(じっし)スクエア蔦重ギャラリー(入場無料)

地元の町会が中心となり、有志により作成した鮮やかな浮世絵や手に取って見ることができる黄表紙(復刻版)など、蔦重関連資料を無料で見学できます。

住所 日本橋小伝馬町5−1 

十思スクエア本館2階校友会室

開館時間 月曜〜土曜10時から17時(日曜祝日 休館)

開催期間は2026年3月中旬迄を予定致しております。

 

③ イチマス田源呉服問屋ミュージアム

(入場無料)

蔦屋重三郎が開いた「耕書堂」を店内の展示館スペースにて再現されています。

当時の耕書堂を再現

住所:中央区日本橋堀留町2-3-8

田源ビル2F

期間:好評につき2026年3月末まで延長して無料公開いたします。

イチマス田源きものクリニック&呉服問屋ミュージアム

中央区まちかど展示館内

時間:10:00〜17:30(12/29-1/4休業)

 

お土産編

田源で買いました。

丁度いい大きさ。

蕎麦・ラーメン・大皿料理にいいですね。

なんと600円。田源に来たら瀬戸物を買いましょう。

浮世絵が立体になっている。面白い。

浮世絵はハードルが高いけれど、これならね。400円

今夜の夕飯

無限もやし

烏賊の唐揚げ

北海蛸

赤カレイの煮付 私が作りました。

卵がタップリなのは妻にあげます。

金柑

ご馳走様でした。

私のべらぼう特集。次回が最終回です。

お楽しみに!

ありがた山の寒からす! 

昨夜は冬至

ゆず湯に入りましたか?我家もゆず湯。ネットに入れてつぶしながら入ります。

やっぱり本物は香りが高いですね。

無病息災、願います。

最近蕎麦が多いんです。

おおもり

タップリ乗ったのが嬉しいですね。

夕飯はスシローのテイクアウト

寒鰤

この季節になりましたね。早く鰤トロも食べたいです。

牛肉 ローストビーフなのかな?

小肌

中トロとトロサーモン

寒鰤あぶりと寒鰤

炙りはね。もういいかな。

煮穴子

江戸前の煮穴子は柔らかくて美味しいね。

海老炙り 塩で2匹

海老・烏賊は塩も美味しいです。

ご馳走様でした。

何でも好きな物が食べられるスシローでした。

夕飯

王様の塩辛

ポテトサラダ

生牡蠣 400円

まだまだ小粒。

祖父江の銀杏

銀杏を食べすぎるとビタミンB6の働きを抑えるためGABAの合成ができなくなり、吐き気、下痢、震え、痙攣などの中毒症状が出ます。 

 

※GABAは、脳内に広く分布し、神経の興奮を抑える抑制系神経伝達物質です。

 

お子さん(特に5歳未満): 5~7個以上食べると中毒症状が出る可能性があります。 

大人: 40個以上で中毒の可能性があると言われていますが、体質によっては少量でも症状が出ることがあります。

大人の方も1日10個程度までを目安にしましょう。

 

茸のポタージュスープ

優しい味わいですね。寒い時は温かい物で体を温めましょう。

 

Tokyo公演もありそうです。

全員いい具合に歳をとりましたね。

願いは叶えられるもの🌟

その日は甲状腺のクリニック

検査をしてとても結果は良かったです。

でも採血は失敗されました。

下手っぴな採血者ですが、頑張って欲しい。前回も失敗されたけど。

こんな事では怒りません。私の血管で修業して下さい!

 

検査後は銀座に出ます。

 

銀座の三越

和心とんかつ あんず

黒豚や京野菜を中心に、お米やソースにもこだわる上質なとんかつが堪能できる。

これに決めました!

初めに切り干し大根とお茶と箸とおしぼりをセットしてくれます。

ご飯は白米か黒米から選べます。(ご飯もおかわり自由です)

お替わり自由のキャベツに2種のドレッシング。(クリーミー系とゆずぽん系)。

オリーブオイル。

かつ用にすりゴマと甘口と辛口ソース。

胡麻をすって、ソースをいれて。

野菜もこんもり

個人用の切り干し大根も大きな容器に一杯です。 

とことん豚のロースかつとヒレカツ膳 2300円

蜆の味噌汁

カツが柔らかい。

軽く上がっています。

美味しいですね。そして安いです。

インバウンドの客も多く、賑わっていました。

ここは再訪アリですね。

そしてデパ地下で買物。

 

夕飯

マカロニサラダ

焼ちくわ

北海道の磯バイ貝君

くるりんマスターが剥きました。

真蛸君 くるりんしています。

そして先日京都で買った鯖寿司。

東京でも買えました。三越銀座店

旨いですね。

具沢山玉ねぎスープ

 

フレデリック・カッセル 銀座三越店

フォレノワール&マロン

オペラを買いに行きましたが、Christmasで26日から売り出すみたいです。

しょうがないですが、もう一つの名品。

フレデリック・カッセルの“ミルフイユ・ヴァニーユ”

美味しく頂きました。 

 

そしてお気に入りのパン屋のシュトーレン

ご馳走様でした。

タクシー運転手の宇佐美浩二は、85歳の高野すみれを東京・柴又から神奈川の葉山にある高齢者施設まで送ることになった。すみれの「東京の見納めに、いくつか寄ってみたいところがある」という頼みを受けた宇佐美は、すみれの指示で各地へタクシーを走らせる。旅を共にするうち、次第に心を許したすみれから語られたのは、彼女の意外な過去だった。タクシーの運転手と客として偶然出会った2人の心、そして人生が大きく動き始める。


すみれ役の倍賞、運転手・宇佐美役の木村のほか、蒼井優が若き日のすみれ役を、すみれの結婚相手・小川役を迫田孝也、宇佐美の妻・薫役を優香がそれぞれ演じる。

中島瑠菜、神野三鈴、イ・ジュニョン、笹野高史らも出演。

映画ではよくある話なんですが、素直に良かったです。

でもパトカーに捕まって見逃してもらう?これは絶対にありません。

警察官はそんなに甘くはありません。

 

映画の後は

若虎家

1987年名古屋市中区栄に第一号である「栄店」がオープンしたのが若鯱家のスタート

名古屋めしですね。

カレーうどんとミニ丼 1319円 

大盛(映画の半券で無料)

カレーうどん

私のチョイス。豚肉は「スギモト」・揚げは「くすむら」名古屋では有名らしい。

ネギは時期によって香りや味の良いもの。極太麺

とてもうどんが太くて美味しいです。

味噌かつミニ丼

とても小さいのですが美味しかったですね。

 

大海老天婦羅きしめん 1316円

妻のチョイス

きしめんが幅広いです。

サッパリしてスープで美味しいですね。

結構お店は混んでいました。たまには食べたい名古屋めしです。

 

夕飯

休肝日でした。

キノコのアヒージョ

胡瓜の自家製糠漬け

春菊の胡麻和え

山芋と海老のすり身揚げ

フカヒレスープ

麻婆豆腐丼

厚焼玉子と焼鳥丼

ご馳走様でした。

金柑

私はクリニックを2軒通っています。

循環器と甲状腺。

 

この日は循環器の診察日

チョッとHbA1cが上がりました。

また下げないといけません。

それよりも血圧が高いかな。

追加でCTと四肢の血圧検査

先生、血圧を下げる薬出して欲しいな。

チョッと運動します。と云う事でchocoZAPに2ヶ月無料で入りました。

さて、私、変身するでしょうか?

 

と云う事でほぼ初めての蕎麦屋

おおもり 750円

ご馳走様。

フルーツが付きました。

 

夕飯🍽️

ナメタカレイの煮付

私が作りました。

真鱈の白子

検査も終わったのでプリン体の多い白子

白子ポン酢。美味しいです。

久しぶりかな。

サラダ

生帆立貝

妻にはホタテ 甘いです。

ナメタカレイの煮付

とても上手く出来ました。

美味しいですよ。

ご馳走様でした。

今日は検査をしました。

検査のあとはラーメンです。

中華そば 間合

丸鷄醤油ら〜麺

麺大盛 950円

ご馳走様でした。

 

休肝日①

シュリンプカクテル(shrimp cocktail)

安いんですよ。

海老チリソース

とろろ蕎麦

最初は蕎麦を楽しんで、後はとろろ蕎麦を楽しみます。

あんまり美味しく無い蕎麦ですが、とろろにすると美味しく頂けます。

 

ちよだ鮨  テイクアウト

安い様な高い様な。味は普通です。 

京都のを食べちゃうとね。


休肝日の夕飯②

皆様にとっても好評な無限ピーマン・パプリカ作ります。

ツナを足して、冷蔵庫へ

無限ピーマン・パプリカの完成

当然、美味しいですよ!

パプリカの栽培は終わったので、今度は買って来た無限ピーマンです。

ポテトサラダ

自家製蕪の糠漬け

揚げ出汁豆腐

極旨メンチ

烏賊の唐揚げ

茸のお汁 ベースは蛤の潮汁

 

休肝日③

千枚漬け

これも美味しいですよね。これは東京で買ったもの。

マカロニサラダ

おでん

蜆汁

お代わりおでん

サーモン寿司

サーモンですよ!貴女の好物ですよ。

うん。やっぱり美味しいな。

ご馳走様でした。

蔦屋重三郎

蔦屋重三郎④蔦重 日本橋四部作

蔦唐丸自作 蔦唐丸(蔦屋重三郎)作 北尾重政画 寛政九年頃刊 

「身体開帳略縁起」(寛政9年)の巻末にある絵

 

右下に「蔦唐丸自作」とあるのは、彼は蔦唐丸という名の狂歌師でもあった

作者払底につき自作至って拙き一作

蔦重自身がストーリーを手がけた2作目の黄表紙です。

巻末には新年の挨拶に訪れた裃姿の蔦重が描かれ、今年は執筆者がいないので、自らの作をお目にかけるという口上が記されています。

 

蔦屋重三郎が経営した書店「耕書堂」
葛飾北斎 画 「画本東都遊 3巻」

耕書堂ってもっと小さいのかと思ったら、東博の再現では大きかったですね

確かに大店。この絵は入口のほんの一部なんでしょう。

 

狂歌本『吉原大通会』

人気狂歌師が一堂に会したという設定の絵

狂歌師はみな変装しているが、蔦重(左下)だけは普通の着物姿

 


北尾重政『絵本吾妻抉』(寛政9年)

恵比寿に祈願する重三郎とその妻子。

これを見ると奥さんと子供が描かれていますが、子供がいたような。

 

さて蔦屋重三郎の重三郎の生い立ちは

父親は尾張から江戸へ出てきた丸山重助、母は江戸に住む広瀬津与とされている。

 

本名:丸山柯理⇒喜多川柯理(からまる)

その後離婚?

でも両親とも吉原で働いていたらしい?

 

その後重三郎は喜多川氏へ養子へ行くことになりますが、後年、日本橋通油町に進出した際に父母を迎え入れていることから良好な親子関係であったことが推察されます

 

母の津与は教育熱心であったとされ、太田南畝の碑文には母の教育により強い意志を持ったことが重三郎の成功の一因だったと記されている。

お母さんの事、ババアなんて言わない 

 

駿河屋市右衛門

吉原の引手茶屋(客に女郎を紹介する案内所)“駿河屋”の主。

べらぼうでは両親に捨てられた?

幼い蔦重(横浜流星)を養子にして育てあげた。

ドラマでは義父になっていますね。

大河『べらぼう』駿河屋市右衛門役に高橋克実 キャラクター紹介 ...

なお蔦屋重三郎の養父について、駿河屋市右衛門という名前は見えず、重三郎の養子先の喜多川氏(蔦屋)については、どのような商いを行っていたかは明らかではなく養父については吉原仲之町の茶屋「蔦屋利兵衛」吉原江戸町二丁目の「蔦屋理右衛門」などの説が推察されているが、確証には至っていません。

 

大河ドラマ『べらぼう』つたや三兄弟の癒しキャラ!? じわじわ ...

「つたや三兄弟」

蔦重(横浜流星)唐丸(渡邉斗翔)次郎兵衛(中村蒼)

 

母親 津与

寛政4年(1792)10月26日に、津与は病で亡くなるのですが、母を慕う重三郎が南畝に一文の執筆を依頼したのです。

南畝は碑文のなかで、重三郎の堅固な意思は、母・津与の「遺教」によるものだろうと述べています。

7歳までしか一緒にいなかった母です

この「碑文」にも「広瀬氏は書肆耕書堂の母」であること。

母の「諱」(実名)が「津与」で「江戸人」であること、重三郎を生んでから家を出たことなどが記されています

 

ちなみに、重三郎は、母の墓碣銘は残していますが、父のものは残していません。

墓碣銘に「後移居油街、乃迎父母奉養」

(後、居を油街へ移す、乃ち父母を迎えて奉養す)とあるように、重三郎は、大人になってから、父母を日本橋通油町の新居に迎えています。

天明3年(1783)

 

二代目を継いだ番頭の勇助が養子になったとみられる。

この時代、必ずしも血縁関係が継ぐとは限りませんが、養子と云うと蔦屋重三郎の娘婿かも知れません。

 

蔦屋重三郎の妻

歴史学者安藤優一郎の書籍には、重三郎の死に際に別れの言葉を交わしたこと、文政8年(1825年)に妻が死去したことが記されており、正法寺の過去帳に記された

「錬心妙貞日義信女 文政8年10月11日」が重三郎の妻にあたると見られています。

 

山東京伝のもとを、執筆の依頼に訪れている蔦屋重三郎の様子。
左の机に座っているのが京伝、まん中でお茶を出しているのが京伝の妻・お菊。

右に座る重三郎は「たとえ足を擂粉木(すりこぎ)にしても通ってきて、声をからし味噌にしても…先生の悪玉の作を願わねばならぬ」と催促している様子。(寛政5年刊)

 

蔦重の死

寛政3年(1791)に刊行した山東京伝の洒落本『仕懸文庫』、『錦の裏』、『娼妓絹麗』が幕府の忌諱に触れて蔦屋は財産の半分を没収され、京伝は50日間の手鎖の刑という厳罰が下されたのでした。

この弾圧により、狂歌ブームは収束、狂歌の帝王・大田南畝(蜀山人)の引退(後に復帰)などが重なって蔦重の出版物の人気が急速に衰えてしまいます。

 

蔦重は処罰の五年後にあたる寛政8年(1796)からは病気がちとなり、その翌年。

寛政9年(1797)5月6日

脚気かっけ:江戸患い

齢48で病没してしまいます。

 

「江戸患い」

江戸を訪れた地方の侍や大名を中心に江戸に行くと体調が悪くなる、足元がおぼつかなくなる、怒りっぽくなる、場合によっては寝込んでしまう者が続出。 

侍たちが故郷へ帰るとケロリと治ったことから「江戸煩い」と呼ばれる病が流行りました。

江戸を離れると麦や穀物、野菜などを中心とした食生活に戻るため、自然と回復した

脚気はビタミン欠乏症の一つで、ビタミンB1の不足によって心不全による足のむくみ神経障害による足のしびれが起きることから「脚気」と呼ばれています。

 

「惜むべし、寛政九年の夏五月脚気を患ひて身まかりぬ。享年四十八歳なり」

曲亭馬琴が『近世物之本江戸作者部類』でそう書いているように、寛政9(1797)年5月6日に蔦重は48歳でその生涯を閉じる。

 

狂歌師の大田南畝は寛政9年の年明けから蔦重の見舞いに訪れるようになる。

南畝が幕臣として記した勤務日誌『会計私記』(寛政8年11月1日~寛政9年6月14日)では、寛政9年3月27日に耕書堂へと見舞いに訪れたときのことを、こう書き記している。

耕書堂にも立ち寄ったが、病は全快していなかった

 

蔦重の死からわずか7年ののち、文化年間に入ると、幕府の統制も緩んで江戸の文化創造は再び活性化していきます。

新しい文化を牽引したのは、復帰した太田南畝(蜀山人)をはじめ、蔦重と縁が深い山東京伝、曲亭(滝沢)馬琴、十返舎一九葛飾北斎といったメンバーでした。

これに式亭三馬、柳亭種彦、為永春水、

歌川広重といった新しい才能が加わって、江戸の都市文化が大きく実を結ぶこととなったのです。

 

蔦重 日本橋四部作如何でしたか?

これを読んでまた大河ドラマが面白くなる事を願います。

 

ここに取り上げた年表で特に脚注の無い記述は 田中優子『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』の「関連年表」を参照している。

 

・寛延3年(1750年)1月7日、蔦屋重三郎、新吉原で誕生。

宝暦7年(1757年・7歳)前年に実母が家を出たことにより、重三郎は喜多川氏の養子になる。

 

・安永2年(1773年・23歳)新吉原の大門口五十間道に貸本、小売りの店舗を開店する。朋誠堂喜三二の洒落本『当世風俗通』刊行。

 

・安永3年(1774年・24歳)吉原細見の改め『細見鳴呼御江戸』編纂に携わる。「蔦屋」の名で初めて北尾重政の評判記『一目千本』刊行。

 

・安永4年(1775年・25歳)洒落本『青楼花色寄』刊行。吉原細見『籬の花』の刊行が始まる。

 

・安永5年(1776年・26歳)北尾重政、勝川春章の彩色摺絵本『青楼美人合姿鏡』刊行。

 

・安永6年(1777年・27歳)『明月余情』『手ごとの清水』『娼妃地理記』刊行。

 

・安永9年(1780年・30歳)朋誠堂喜三二の黄表紙、四方赤良の『虚言八百万八伝』などを刊行。

 

・天明元年(1781年・31歳)志水燕十の黄表紙『身貌大通神畧縁記』刊行。作画を手掛けた北川豊章が初めて歌麿を名乗る。

 

・天明3年(1783年・33歳)9月に日本橋通油町に進出し、耕書堂を開業する。 両親を引き取る。

狂歌師としての活動を開始し「蔦唐丸」を名乗る。喜多川歌麿画の『燈籠番附 青楼夜のにしき』、四方赤良編の『通詩選笑知』刊行。吉原細見の株を独占し、『五葉松』を刊行する(序文は朋誠堂喜三二)。

 

・天明4年(1784年・34歳)北尾政演画の『吉原傾城新美人合自筆鏡』、四方赤良編の『通詩選』刊行。

 

・天明5年(1785年・35歳)山東京伝の黄表紙『江戸生艶気樺焼』、洒落本『息子部屋』、狂歌集『故混馬鹿集』『狂歌百鬼夜狂』『夷歌連中双六』などを刊行。

 

・天明6年(1786年・36歳)山東京伝の洒落本『客衆肝照子』、北尾政演画、宿屋飯盛編の狂歌絵本『吾妻曲狂歌文庫』、喜多川歌麿の絵入狂歌本『絵本江戸爵』刊行

 

・天明7年(1787年・37歳)山東京伝の洒落本『通言総籬』、喜多川歌麿の絵入狂歌本『絵本詞の花』、四方赤良編の狂歌集『狂歌才蔵集』、北尾政演画、宿屋飯盛編の狂歌絵本『古今狂歌袋』刊行。

 

・天明8年(1788年・38歳)山東京伝の洒落本『傾城觿』、喜多川歌麿の絵入狂歌本『絵本虫ゑらみ』刊行。

 

・寛政元年(1789年・39歳)喜多川歌麿画の『潮干のつと』刊行。

恋川春町の黄表紙『鸚鵡返文武二道』刊行。

 

・寛政2年(1790年・40歳)山東京伝の『小紋雅話』、洒落本『傾城買四十八手』刊行

 

・寛政3年(1791年・41歳)山東京伝の黄表紙『箱入娘面屋人魚』、洒落本『仕懸文庫』『青楼昼之世界錦之裏』『娼妓絹籭』が摘発される。重三郎は身上半減の重過料が課される。

 

・寛政4年(1792年・42歳)曲亭馬琴が番頭として蔦屋で働き始める

10月、母の津与が死去。

この年より翌年にかけて喜多川歌麿の美人大首絵を多数刊行。    

戯作制作を断念し、書物問屋として学術関連の書物刊行を始める。

 

・寛政5年(1793年・43歳)結婚を機に曲亭馬琴が退職。

 

・寛政6年(1794年・44歳)この年より翌年にかけて東洲斎写楽の役者絵を多数刊行十返舎一九が蔦屋に寄宿、黄表紙 『心学時計算』刊行

 

・寛政7年(1795年・45歳)版元蔦屋重三郎として確認されている最後の錦絵(東洲斎写楽作)が刊行

本居宣長の随筆集『玉勝間』刊行。

 

・寛政9年(1797年・47歳)前年秋ごろより体調が悪化する。

3月危篤 5月6日、脚気により死没正法寺に葬られる。

 

・文政8年(1825年)に妻が死去

文久元年(1861年)蔦屋耕書堂廃業。

 

 

 

 

 

今夜は中華だよ

千枚漬けのシーズンになりました。美味しいですね。

無限ピーマン

皆さんも楽しんでいますか?

赤貝ひも

最近は赤貝の身よりひもが好きです。

貝柱もあって美味しいですね。

さて今夜は大陸系町中華です。

いいですね。海鮮がいっぱいです。

味付がまたいいんです。

我家の柴ワンも大好物。

これは私が独占料理です。

このホルモンがまた旨いんだね。

定番です。これは味が濃い目なんですがご飯が進んじゃいますね。

これも盛が良いんですよ。一人前でも容赦はしません。

タップリと盛られます。

うん、旨い。

全部は食べきれないの次の日にも残します

ご馳走様でした。

母の祥月命日の法事がありました。

以前は実家で兄弟が集まって新年会を開いたのですが、長男の嫁さんが反対をしてそれが無くなりました。

今は長男も亡くなったので、もう実家にも行く事もなくなりましたね。

法事であっても、段々と兄弟も疎遠になってしまいます。

なので正月は。妻の実家の新年会と、夫婦の正月旅行を楽しみます。


今夜の夕飯🍽️

真鱈の真子

美味しくなりました。

自家製糠漬け

エシャロット

スーパーの焼鳥

鳥長の焼鳥

やはり鳥長のが美味しいね。

鳥長の厚焼玉子

江戸前の厚焼玉子は甘めなんです。

シジミの味噌汁 

 

真鱈の真子の煮汁にご飯でおじや。

今まで極力避けていましたが、今夜はやってしまします。

美味しいね、やっぱり。

ニラ饅頭ご馳走様でした。 

 

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柳家権太楼独演会

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新聞記事 三遊亭歌きち

上方落語『阿弥陀池』を、昭和初期に昔々亭桃太郎(山下喜久雄。(1910~70)柳家金語楼の実弟)が東京へ移植した。このとき登場人物を改変し『新聞記事』と改題した。

 

猫と金魚 柳家権太楼

「猫と金魚」は初代柳家権太楼の十八番。

さん光(現:権太楼)から真打に昇進して三代目柳家権太楼を襲名したときこの噺に挑んだが、自分に合わないと思いそのまま演らずにきたそうです。

さん光が抜擢で真打昇進が決まると、先代昔々亭桃太郎の未亡人が「さん光さんが面白いから名前をあげたい」と言ってきたそうです。

さん光もその気になってサインの練習などしていたが、師匠小さんはいつまで経っても挨拶に行かせなかった。

実は小さんが挨拶に行くのを忘れた?

そのうち現在の桃太郎師匠が襲名することになって、小さんが「とられちゃったな。お前は金太郎になるか」。(笑)と云われたそうです。

そして、小さんは「権太楼になれ」と言ってきた。

「猫と金魚」で売れた初代の次に二代目がいたが名前を湯河原の人に売っちゃった。

さん光は名前を取り戻す為に30万円

また初代の遺族に30万円を払って、三代目権太楼を名乗った。

30万円というのは、小さんが提案した額で60万円をやりくりするのに大変だったとか。

と云うまくらの語りがありまして本題に入ります。

 

仲入り

片棒 柳家福多楼

ケチな商店主が三人息子のうち跡取りを誰にするかを、自分の葬儀をどのように出すかという問いを出して決めるという内容。

 

お菊の皿 試し酒 柳家権太楼

一席終わって時間を見る。また早いからってもう一席。

かなりお疲れの模様。

食道がんステージⅣからの高座復帰。治療に当たっては、「声帯を傷めないで欲しい」という希望を医師に伝えたと言う。

春からの二回目の深川での高座でした

益々頑張って欲しいものですね。

権太楼師匠。