主任は今のお笑いが苦手です。
何分、「そんなの関係ねー」のヒトが流行ってた時も、会社の同僚に写真を見せられた所で全く分からなかった上、どんなキャラかを知った後もどこが面白いのかさっぱり理解できなかったし、近年の「ワイルドだろぉ?」のヒトにしても全く興味が惹かれない。
朝から晩までほぼ90%を占めているTVのバラエティも、その手のヒトたちが出ているという事実だけで食指が動かず、殆どがBSかCSの懐かし系ドラマやアニメか、深夜アニメ路線ばかりで、周囲との話題が八割方合致しないでいる体たらく。
暮れから三が日にかけて延々と放送されていた漫才番組なんかも、両親に叱られつつも、齧りつくようにして見ていたもの。
今はその両親の方が喜んで見ているそれらを、こちらが理解できないでいる現状なワケなんですが…(-_-;)
そんなこんなの今の主任も、決して百%近年のお笑いや芸人が大嫌いなワケではありません。
と言うコトで、今回はその許容範囲内の一員たる「寛平ちゃん」こと間寛平師匠が主演されたVシネマ「ファンキー・モンキー・ティーチャー」の主題歌たる
「Funky Monkey ROCK’N’ROLL」をご紹介いたします。

ファンキーモンキー、と言うと恐らく多くの方は、某シンガーユニットを彷彿とされるでしょうが、主任はあのヒトたちも実は凄く苦手。
で、本来はロックンロール、と言う歌の類もか~なり苦手。
ま、それはそうと。
元々「ファンキー・モンキー・ティーチャー」は、講談社刊週刊ヤングマガジン誌上に連載されていたもりやまつる先生のデビューにしてヒット作品で、当時はまだまだ健在だったツッパリブームをとりいれたギャグ漫画。
間氏を主演の映画へと仕立て上げ、三作目からはVシネマ路線になるものの、全6シリーズに渡るロングランを記録する人気作となりました。
そして、「幻の8インチCD」とされて入手困難な現状にあるこの主題歌は、全編を通してOPもしくはEDに使用されていた、ポニーキャニオンからのリリース。
作詞に「機動戦士ガンダム」などのアニメ主題歌にも多く関与されている工藤哲雄先生、作曲に「トゥー・チー・チェン」の別称で「忍者戦隊カクレンジャー」の主題歌も歌唱されていた都志見隆先生、とビッグネームの連ねられている本曲は、映画のメインメンバーより選りすぐられた吉本芸人達のファンキー・モンキーズと主演の間氏とのユニットが歌唱を担当。
今や画家として活躍の場を移されているジミー大西氏の「ノッテル!ノッテル!」などのギャグの数々をも振りながら、色々な意味で不良でダメダメ揃いのキャラクターたちが繰り広げるコテコテのストーリーの流れがふんだんに盛り込まれ、抱腹絶倒にして元気が出る一曲に仕上げられています。
カップリングナンバーは本編の挿入歌として使用された「ファンキー・モンキーDANCE」。
作詞に鷺田千登勢先生、作曲に現代音楽やエレクトロニカの一人者でもある小川類先生を迎えたこちらも同ユニットの歌唱によるもので、メインナンバーよりも更に輪をかけてコテコテなヤンキー系コミカル曲となっています。
実を言うと主任、ツッパリとか不良とかを称賛する系統の各アートが当時とても苦手で、まだまだ人気の残っていた横浜銀蝿とかの類も大嫌いでした。
ハードロック系に抵抗感が生じていたのも そこから来ているものと思われますが、他ならぬ「ファンキー・モンキー・ティーチャー」の原作漫画も元々は敬遠気味。
無論、映画化されていた事など微塵も知る由がなかったのですが、たまたまある日の夕刻、たまたまチャンネルを合わせたtvkで突然この「Funky Monkey ROCK’N’ROLL」が流れて来て、そのまま視聴に当たった番組に抱腹絶倒。
これが映画のヒットに伴って吉本が独自の路線として製作、放映のなされていたバラエティ「ファンキーモンキー寛平先生がゆく!」で、これが気に入って以降、オリジナルの方もレンタルビデオにて視聴。
原作の方も食わず嫌いを克服して、流石に購入までとは行かなかったものの愛読するようになり、新たな視界を開拓する所以へと結びつきました。
あれがなければ恐らく「魁!!クロマティ高校」なんかも第一印象だけでスルーしていたかもしれません。
ツッパリ文化そのものを前向きに打ち出すだけの作品群には今でも抵抗がありますけどね。

「ア~メ~マ~!」や「わしゃー止まると死ぬのじゃ」の様な、意味不明ながらインパクトの強烈な一発ギャグ。
当CDでも存分に才を発揮されていた、「ひらけ!チューリップ」「ゲイボーイ・ブルース」「花の芸能界」などのヒットを確固とする高い歌唱力。
そして、難病や高齢をも乗り越えて、世界規模にまで類まれなど根性をご披露してくれた長距離マラソンの偉業。
寛平師匠に対して、主任が常々覚える憧れと贔屓目の理由は、突き詰めていけばきりがないのですが、何よりも大きな感動を与えてくれたのが、かつての相方たる木村進氏への思いやり。
難病が元の不幸で車いすの生活へと追いやられ、生活も家族も全てを失ってしまった木村氏に対して、たったひとり手を差し伸べられ、今現在も多忙の間を縫われながらお世話に当たられているのが他でもない寛平師匠なんです。
様々なスキャンダルや騒動にも巻き込まれ、時に白い目で見られたりと不遇な目にも遭われてきた氏ですが、こうした一連を踏まえてもこそ、なおかつ支持と応援のエールを送らずにはいられない。
この先々も末長く、我々ファンを喜ばせ、限りない感動を与えてくれる、芸人界の鑑として頑張られ、努められて戴きたいものです。