日本代表の試合やJリーグの試合でチームが敗れた時、よく聞こえてくる批判としては
「◯◯のミスで…」
「◯◯が決定機を外した…」
等がありますが、一つ個人的に納得しかねる批判が

「監督の交代策が…」
「監督が交代カードを使い切らなかった」

などの監督を批判する類のもの。

そもそも「試合に出ているのは選手」なのになぜ監督が批判されなければいけないのでしょうか?

自分が監督を批判する時は
・選手に「監督のサッカー」を強制させている
この1点が見えた時だけです。

なぜそう思うかというと、根本的に

「サッカーはやらされるものではなくやるもの」

だという前提があるからです。
ですから「サッカーはやらされるもの」という発想がそもそも無いので監督を批判するという発想にもなりませんし、選手達が「監督にサッカーをやらされて」いるのが分かった時に初めて監督を批判します(同時に「やらされている選手」への批判もしますが)。

もしかするとファンやサポーターから普通に監督に対する批判が出るのは「サッカー=やらされるもの」と思っているからではないでしょうか?

ピッチで試合をするのはあくまで「選手」です。「監督」ではありません。
試合の勝敗は全て選手達の手の中にあります。
そもそめサッカーは「選手達の判断と技術でしか出来ない」スポーツですから。
監督が出来ることは「選手達にやらせる」事だけですから。

もちろん「監督の指示」というものも介入します。
ですが選手がその指示に違和感を抱いているのであれば「言うことを聞く必要は無い」のです。そうすれば「誰のせいにも出来なく」なりますから。
監督の指示に従うにしても「ただ従う」か「自分でどこが納得できてどこに自分の色を付けるか考えた上で従う」かで全く意味合いが変わります。
選手は他人のせいにしてはいけません。全ての成功と失敗は自分の手の中にある事を認識してピッチに立たなければいけません。

むしろ自分が上手くいかない事を監督のせいにする選手こそがピッチに立つべき選手ではありません。そういう選手こそが批判の対象であるべきでしょう。
それこそ川崎フロンターレの風間八宏監督が指導の現場でよく仰るという「やらされるなら帰れ」という言葉が当てはまります。

そして監督は「選手達の判断を邪魔してはいけません」し、指示や注意をする際も「選手の判断を確認する事」「ただお前のやりやすい方法があればそれでやれ」と付け加える事を絶対に忘れてはいけないと思います。

以上、サッカーとは人に「やらされるもの」ではなく自分で「やるもの」です。

それを大前提として見る側もそろそろ認識して、正しく批判するべきなのではないかなと思います。