私は実母と絶縁している。

 

私と実母との関係は実に拗れていて厄介なうえに女同士のくだらない僻みがある。

 

 

 

そもそも、私の実家は社会問題のオンパレードで、父子家庭、高齢者介護、ヤングケアラー、貧困家庭、奨学金問題、精神病家系等々。

私の思春期は問題だらけで終わり、こうしてイタイ厨二な三十路女ができあがった。

 

母と私の確執は小学生まで遡る。

父と母は自営業の共働きだった。

私は小学6年生の頃、すでに週末の家事をほぼ全てやっていた。

元々幼少から私は身辺自立の高い子どもで、自分のことは大概できたし、手伝いたがる子どもだった。

それが、当然となり、働く父母の代わりに家事をするのは当たり前でできなければ叱られ居残りでやるようになった。

母は無言で涙を流しながら食器を洗う私の横で録り溜めたドラマを見ていた。

家族6人の洗濯物の山を片付ける私を横目にテレビを見ていた。

その時に聴いていたのは母が買った尾崎豊やチューリップ、カーペンターズ、ロンバケのアルバム、ビートルズだった。

カーペンターズの歌詞の意味を知らずに空で歌えるようになった。

母に愛されていないことはなんだか感じていた。

別に手伝うことは構わなかったけど、気にかけてほしかった。労ってほしかった。ありがとう、と言ってほしかった。

父と母の夜の喧嘩は絶えなかった。

弟が生まれた6年前まで、二人は愛し合っていた、ということを思い巡らすことで、私は二人の関係が崩壊していても絶望しないように縋った。

すでに崩壊しているのはわかっていたけれど、弟が生まれる前までは仲が良かった、と思い込もうとした。

この頃の私の描いた絵は泣いている絵ばかりだった。


小学生のある時、友人と遊ぶ約束をしたが、家事が残っていた。終わらなくては遊べない。

友人が手伝うと言ってくれた。

助かった。

手伝ってくれている間に母が一度家に戻ってきた。

目撃されて友達に家事を手伝わせていることを酷く怒られた。

「あんたは家の恥だ」

そう言われた言葉は刃渡り10センチのナイフで胴体を斬られた程の衝撃を小学生の少女の私に与えた。



中学生の頃、母は外に疑似家族のような娘を持つようになった。

そして私にそれを臆面もなく話した。

私はその頃、自分の母が普通の大人、ドラマで見る母とは違うことを感じて図書館で調べていた。

20年前の当時の限られた状況の中で図書館で見つけたワードは「アダルトチルドレン」だった。

愛情不足で育った大人をそう総称するらしい。

母に当てはまる気がした。

母の愛されたがりは酷かった。

自分を愛さなければ愛し返すことをはなかった。

娘だったが、私は愛されているという実感もなく、母を愛し返せるほど13歳の私は大人ではなかった。

母の疑似家族は携帯電話で繋がっていた。

その子は高校生で母がおらず、家事を一手に引き受けていたらしい。

母が話を聞くことが増えるにつれ、「お母さんて呼んでいいですか」と言われたそうで、それを嬉々として私に母は報告した。

醒めた私は「いいんじゃない?(母親らしいこと子どもに何もしないくせに)」と話した。

どんなに家事をしても認められず、愛されず、なぜ他の子どもが母に愛されるのか分からなかった。

悔しかった。


母と私の関係はすぐに終わる。

私が中3の時に母は家を出た。

何度か母は家出をしていた。父が手を上げたから。弟たちを連れて行くことも多々あった。

実家を新築したあと母は一度家出をし、その後戻ったときに台所が整理されていたのを見て、「私の居場所がなくなった」と言って泣いた。

そして、「どっちについていく?」と尋ねられ、私は友人が地元にいるので「父のところに残る」と言って母と別れた。

その後母とは会っていない。



高一の誕生日、一度だけ母は私に誕生日プレゼントを贈った。COACHの財布だった。

その後母から贈られたものは、今年から生活保護を受けるための支援できないかという役所からの用紙だけだ。


父との離婚後母は何度か再婚した。

何度したのかどんな生活だったのか、私は母と連絡を取らないと決めていたので知らない。


なぜ連絡を取らなかったのか。

私は母が嫌いだった。

私よりも知らない女の子に頼られることを喜んで、私は召使いと同じ扱いを受けた気がした。役に立たなければいらない。いつもそう言われていた気がしていた。私は母に愛されていない。役に立たないならいる意味もない。役に立っても愛してはもらえない。なぜなら母は自分が愛されたくて仕方ないから。服だってお下がりばかりだった。女の子は私しかいないのに。いとこと母のお下がり。服も買ってほしかった。何も言わないから、愛されなかったのかもしれない。

私も居るだけで、生まれただけで愛されたかった。

そして、誰かを愛したかった。無条件で命を愛したかった。

母を無条件で愛していたけれど、諦める日々が、私からの愛をポロポロと何処かに落としていってしまった。





母が出ても私の高校生活、大学生活は実に凝縮された日々だった。折々で書いておこうと思う。