1973、第4次中東戦争がその事例で上記のような二つの傾向が同時に示された
アラブ軍が圧倒してイスラエル国境近くまで進軍したため、このままでは狭小な国内を蹂躙され殱滅されるという恐怖に駆られたイスラエルは、地対地ミサイル(ジェリコ)に200キロトンの核弾頭を装着し、国境が侵されたらカイロ(エジプト)と、ダマスカス(シリア)に発射するという決定をした.
しかし、アメリカの偵察衛星がこれを見つけ、SR偵察機71が持ち帰った写真により詳細確認がなされた.
もしイスラエルが核を使ってしまえば、ソ連軍が出てくる.そうなれば米軍も出なければならないから、必然米ソ直接対決になる.
これを恐れたアメリカ政府はニクソンがブレジネフとホットラインで会話し、「ソ連がイスラエルの核に対抗するために、エジプトに核弾頭を供与しても異議はない」と伝えた.
イスラエルとエジプト間で、20発規模の局地核戦争をさせてしまえば米ソ対決は避けられるという発案であったが、ブレジネフは驚き、国連におけるアメリカ提案の停戦決議を全面支持することにした.アラブとイスラエル両方がこれに同意すれば局地的核戦争をもしかして避けられると所期したからである.
(その後イスラエルは何とか軍事的優位を回復したため核が使われることはなかった)
この事例は又、偵察情報の決定的な重要性を示すものでもある.