109.グラウンド-ゼロ

2,001.9.11対米中枢同時テロをアメリカは戦争であると認識した。テロ=無差別殺戮=戦争という等式ならば、ベルリンや東京空襲、広島、長崎の事例もテロに他ならないということになる。だが9/11テロは先制テロであり、広島、長崎のテロは先制攻撃(=真珠湾奇襲攻撃、ただしこれ自体は勿論テロではなく正統な軍事的攻撃であったが)を受けて立ったテロである。そこが違う。だが挑戦を受けて立ったものであるならばテロが正当化されるというのではいかにも不味い理屈だ。そこで善と悪の二分識別法が編み出されてくる。

2,002年6月、ブッシュ大統領は次のような演説をした。

「二十世紀が終わって人類進歩のモデルとして生き残ったのは唯一つで、それは個人の尊厳、法治主義と法の下の平等、言論の自由、宗教的な寛容という絶対価値を基準とするシステムである」

これが善の陣営で、それは又「反テロ」の陣営に他ならない。故に広島も長崎もイラクやバルカンにおける劣化ウラン弾爆撃も、これは反テロ陣営がやったことであるからテロではないという理屈だ。

アメリカが広島・長崎を劈頭にして数限りなく実行してきている無差別人身殺傷爆撃に比べれば、この9.11テロなどはケシ粒のようなものでしかないのだが、それでもアメリカ人は、無差別人身殺傷爆撃テロがどういうものであるのか、その匂いを初めて自分の肉体によって嗅いでみたわけだ。

(しかし、一機の飛行機の衝突であのビルが全崩壊するということは物理的にありえないかのような感じを抱かされるのであり、あの、いかにもテロを予期して待ち構えていて撮影したかのような衝突映像をみると、衝突に合わせて、誰の仕業であるかは別としても、予め仕掛けておいた爆発物がビルを崩壊させたものに違いないような感じを抱かせられてしまう)