1.旧日米安全保障条約の内容

日本の軍隊はない

・米軍が日本の土地を使用して軍隊を置く

・米軍は日本の内政問題に関して、必要ならば軍隊を使う(例:国内暴動鎮圧)

・米軍が日本を守る義務は定めてない

 

2.岸の構想

・日本自衛隊の強化

・米軍が日本の土地を使用して軍隊を置くと共に

必要に応じ日本に対する脅威に対して日本を守る

・日本自衛隊は憲法の制約により米軍と共同作戦はできないが、憲法の範囲内で米軍を補佐する

・米軍が日本の行政問題には関与しない

 

3.アメリカからの反対

・アメリカが日本を守るために戦争をする以上、日本もアメリカにことあれば加勢すべきであるがそれがない

・この改定案は日本におけるアメリカの権益を後退させるものだ

・しかし、ダレスとアイゼンハワーは米議会に対して新条約の批准を促すようになる

 

4.経過

ミズーリ艦上で屈辱の降伏調印をした重光葵外相であるから、1955訪米し、鳩山一郎首相に対する事前承認無く、ダレス国務長官に対して日米安全保障条約の双務対等化を提案したが、ダレスは軍のない日本が何を言うかと冷笑した

(1949、時の吉田茂首相は日本も憲法を改定して軍隊を持てというアメリカの提案を断っている)

重光に随行していた岸はこれを直接見ていた

 

5.岸の構想と実行

・軍備を強化するため国防の基本方針を決め、次いで

防衛力整備計画(1958-60の間で陸上自衛隊18万人、海上自衛隊12.4万トン、航空自衛隊1300機)を閣議決定した

・「アジアの日本」を強調し、訪米前後に主として東南アジア諸国15カ国を歴訪し経済外交をした

(ビルマ、インド、、セイロン、タイ、台湾、、パキスタン、カンボジァ、他)

これは自由陣営のチャンピオンアメリカの対ソ連・中国政策とリズムが合致しているわけだが、この中に旧日本軍が白人の植民地であったのを解放した国が多く含まれていて、ここに国士岸信介の大胆不敵な矜持が見られる事に注意されたい.

 

5.マッカーサー大使(マッカーサーの息子)に対する申し入れ(1957)

・マッカーサー大使に対して次のような項目を提示し、併せ、岸の訪米と安全保障条約改定の意思を伝達した

★日本の防衛力強化

★駐留米軍の最大限の撤退

★アメリカ10年後に沖縄と小笠原を日本に返還する

これを見ると、近年の歴代日本首相が、アメリカに対する考え得うるあらゆるサービスを提供してご機嫌を取り結び、見返りとして「アメリカが日本を守る」という言葉を約束してもらって、もって手柄となし、保身栄達を図るというような堕落した状態とはまるで物が違うと言わざるを得ない.

 

6.岸首相の訪米

・訪米の前に岸は衆・参議員予算委員会で次のような明確な意思を表明した

★憲法は9条を含めて全面改定する(4月21日衆)

★自衛のための核保有は差し支えがない(5.7日参)

(後年、岸はこう言っている.

「云うべきことの本質を断言しなければならない」

「物事の核心を隠してはならない」

「民意に従うのでなく、民意をリードするのでなければ首相の資格はないよ」)

・訪米に関して、岸は次のように回想している

「吉田さんの訪米以外、私の前に訪米した首相はいない.吉田さんの訪米も儀礼的なもので実務的なものではなかった.最近は首相になるとアメリカに行かなければおかしいという風潮であるが、私の場合は非常な決意を持って行った.内政上この訪米を利用しようというような気持ちはなかった」

・1957、訪米しダレス国務長官ならびにアイゼンハワー大統領との会談が実現したが、両名とも岸に対して好感を持ち、信頼を感じたらしい

提案を受けたダレスは苦笑いしつつ次のように言った

「改定をやるにしても、命をかけて防衛にあたっている軍の意見を尊重しなければならない.政治家だけで決めることはとても危険だ」

ダレスのこの発言によりアメリカが安全保障条約の見直しという方向的な基本を合意するという流れは決定した.そして、これを受けて、「アメリカの駐日大使+米太平洋軍総合司令官」対「日本の防衛庁長官+外務大臣」による研究が行われることになった

・しかし、ダレスは沖縄の米国による施政権にこだわり、日本による潜在主権に難色を示したのでこの話は岸-アイゼンハワー間の交渉に持ち込まれた.アイゼンハワーは、「ダレスが言うことの方が正しいが、岸さんに手土産は持たせなければならない」と云い、結局日本政府はこの後沖縄に対して予算をつけることができるようになった.

 

6.安保改定交渉妥結と訪米調印(1960.1)

-新安保条約強行採決(同年5月)-安保条約反対の院外闘争が激化-米使節ハガチーに対する暴行事件-全学連4000人が国会に乱入し、学生樺美智子氏が圧死-新条約が参議院での採決がなく自然承認される-アイゼンハワー大統領訪日延期-岸首相が暴漢に刺される-退陣表明

・上記過程はよく知られている通りであるが、この間における岸の色々な考えや気持ちについて、次のような発言が記録されている

「退陣をしたことを後悔している.アイクの訪日を断念したのがこたえた.しかし、今となってはこのまま続けて憲法改定に進むべきであったと思う」

「ハガチー事件のすぐあと川島幹事長が来て、岸さんは退陣し、条約批准は新内閣の手でやるべきだと言われたが拒否した.安保条約は私の手で批准すべきものでそれが責任というものだと主張した.そして、条約を批准したら退陣すると予め公言してはどうかという薦めも拒否した.これをしたら辞めるとかそういう事を総理大臣が言うべきものではない.

最高権力者は辞める時にはだれにも相談せず自分で決めなければならない」

参考資料:

(岸信介証言録-原彬久聞き取り編集-毎日新聞社)